第8話やりたくはないけど負けず嫌い

『己己己さん。最近のブームをご存じです?』


『ブーム? 何? 塩麹とかそういうブーム?』


『空前の置き引きブームだそうです』


『イヤなブームだな、おい。というか、世間のブームじゃなくて、このスタジオの事件じゃねーか!』


 ある日の声春ラジオは物騒な話題から始まった。


『何、またあったの? 二件目? ここ最近、毎週ない?』


『私のも合わせると三件目です』


『いや、あんたのはスタジオ外のやつじゃん』


 いったい何の話なのだろうか。突然過ぎて、ちょっと。


『えーとね、リスナーの人わかんないと思うから、パチ、最初っからちゃんと説明して』


 あ、今日は尾上さんブースの中にいるんだ。初登場のとき以来かな。


『了解っス。ゴールデンウィーク明けくらいからっスかね、このラジオは東京のスタジオで録ってるんスけど、ちょっと盗難事件が相次いでて』


『最初はプロデューサーの加藤さんだっけ?』


『今日は作家の井崎さんス』


『今日も財布?』


『財布っス』


『まぁ、ありがちっちゃあ、ありがちだけど、手口がちょっと面白いよね』


『そうですね。財布の中身は何も取らないで、財布だけ持っていく……犯人さんは財布好きなんでしょうか?』


『いや、多分売ってるんでしょ。財布』


『でしたら、中身を盗った方が早くないです?』


『んー……小心者なんじゃない? ほら、中身が盗られてないんなら、ちょっと許しちゃいそうじゃん』


『小心者は窃盗なんてしないと思いますが……』


 咏ノ原さんの言う通りだけど、ちょっと面白い。手がこんでいるというか、無駄というか。


『……もう警察には連絡したんスか?』


『何で?』


『え、だ、だって、おっかないじゃないっスか。お金は盗られてないっスけど』


 不安げに尾上さんが話すと、姉御と咏ノ原さんの不敵な笑い声がブースの中に木霊した。


『……わかってないね。パチは』


『そうですね。わかっていないみたいです』


 わかってない? 二人は何を言ってるんだろう。


『こんな美味しいネタないよな、清恵?』


『ラジオにはもってこいのネタです』


『それに警察が入ると面倒だからね、色々と』


 ん? ん?


『……つまり私たちで犯人を見つけようってことです』


 つまり……この事件もラジオのネタにしちゃうってこと!?


『本当に見つかるかはわかりませんけどね。ですが、私が被害に遭うことはないと思います』


『自信あるねぇ。探偵もののアニメに出てただけあるわ』


『私は怪盗役ですけどね。まぁ、コーナーを募集していたので、ちょうどいいんじゃないでしょうか』


 二人のいつも通りの声からはまったく危機感が感じられないけど……いいのかな? そんなことして。色々と怒られそうな気が。


『つーわけで、みんな貴重品を特別厳重に管理とか、なしの方向で。普段通りいこう』


『ですね。いいですか? 今、ラジオで話しているということは、警告の意味もあります。これで犯行がなくなるのなら、それはそれで問題ないです。ラジオ的には面白くないですが。ちなみに、手口を変えて、中身をくすねるようになったら普通に警察を呼びます。被害額が洒落にならなくなるので』


『清恵の言う通り。それでも財布だけ取ってくんだったらネタにするまで。……大丈夫だって、パチ。あんたは空手やってたんだし。小心者には狙われないっしょ』


『お、押忍! それじゃ、失礼するっス』


 さっきからずっと押し黙ったままなのに気づいたのか、姉御がからかい混じりに声をかけると、尾上さんはどこか不安げに返事をして、ブースの外へと出て行く音が聞こえた。


 ひょっとして、姉御と咏ノ原さんのリアクションに驚いているのかな? 私もちょっとびっくりだけど、二人とも面白ければあり的なところがあるからなぁ。それに、もしかしたら、本当に自分は盗られたりしないと思っているのかもしれない。二人とも自分に自信がある人だし。タイプは違うけど。


『……何か、初々しかったな。パチの反応。固まっちゃってさ。可愛いねぇ』


『……ですが、キャピキャピはしてないですけどね』


『ん? どうした急に』


『昨年、己己己さんが私に言いました。新人はキャピキャピしていなくてはならないと』


『……言ったなぁ』


『言いました』


 そういえば言っていたような。初回放送だったっけ。


『んー……まぁ、確かにキャピキャピって感じではないか。パチは。元気なのはいいんだけど』


『キャピキャピというのはもっとあざとい感じですしね。ダメです。新人はキャピキャピしていないと』


『どの口が言ってる、どの口が。清恵が言っても説得力ないよ?』


 呆れたようなため息が姉御の口から漏れる。咏ノ原さんにキャピキャピ感はまったくない。むしろ大御所のような風格が漂っていた。


『私はもう二年目です』


『そういう問題か? いや、そういう問題じゃないだろ。ダメだって、新人じゃなくても若手はキャピキャピしてなきゃ。若さ出さないと』


『出ていないでしょうか? 化粧ののりとか、かなり差があると思います』


『ケンカ売ってんのか……?』


 姉御の反応から、咏ノ原さんが姉御と自分を見比べながら言っている姿を容易に想像出来てしまう。本当に怖いもの知らずというか。


『それに私のキャピキャピが足りているのは、去年の己己己さんの反応で証明済みです』


 そういえば。咏ノ原さんがいたいけな幼女を演じたときの姉御の取り乱しっぷりはすごかった。鼻息が荒かったし。


『……な、なーにが、証明済みだよ。あのときは偶然だ、偶然』


『あれだけ興奮しておいて、よくそんなことが言えますね』


『じゃ、試しにまたやってみ?』


『はい?』


『そこまで言うんなら、また妹を演じてみ?』


『……ひょっとして、誘導しようとしています? 嫌です。己己己さんの趣味に付き合うつもりはありません』


『違う違う、そういうんじゃない。いいから、やってみ?』


『何故です?』


『いいから、いいから』


『はぁ……』


 強引な姉御に生返事をし、咏ノ原さんは二度咳払いをする。


 そして、次に聞こえてきた声は、


『お兄ちゃん、お兄ちゃん! あれー? おねむなの? もう八時だよー? 起きてー? 学校遅刻しちゃうよー?』


 昨年姉御や私たちを魅了した可愛らしい幼子のものだった。


 可愛い! 可愛い! いつもの抑揚のない声からは想像出来ないくらい感情豊かで。これがプロの声優さんなんだなぁと改めて感心する。


 これなら、また姉御の貴重な姿を見られる(聞ける)かもしれないと思ったが。


 咏ノ原さんの演技が終わっても、取り乱した声はおろか、鼻息さえも聞こえてこなかった。


 ……あれ?


『……おかしいですね。己己己さんが口を閉じたままだなんて。この間は馬鹿みたいにお兄ちゃんと呼ばせたというのに』


『馬鹿は余計だ。な? 言っただろ? あのときは偶然だったって』


『……そうみたいですね。興奮されるのも面倒ですが、リアクションが薄いとそれはそれで癪です』


『まだまだ青いってことだ』


 愉快そうに姉御が高笑いをし、沈黙する咏ノ原さんからは少しだけ悔しさのようなものが感じられた。


 咏ノ原さんの演技は素晴らしかったと思うんだけど……本当にあのときはたまたまだったというのだろうか。


『清恵はまだまだペーペーだからな。もっとキャピキャピするように努力しなさい』


 上機嫌そうな姉御。その声に隠れるように『今度は部活の後輩で』という咏ノ原さんへの作家さんのリクエストが聞こえた。


『部活の後輩……何でですか? ……よくわかりませんがわかりました』


『お、なに、再挑戦? 言っとくけど、あたしはそんな甘くないからね』


『部活に入っていた経験がないので上手く出来るかはわかりませんが、己己己さんに勝ち誇られるのも嫌なので』


『そ。あ、でも、部活の後輩が起こしに来るのは変か……じゃあ、あたしが部活をサボろうとするから、それを注意してみ?』


『注意です?』


『ああ、注意。それも媚び媚びで』


『……媚び媚びですね。わかりました』


 咏ノ原さんが再び咳払いをする。さっきはあれだけ演技するのを嫌がっていたというのに。もしかしたら咏ノ原さんは負けず嫌いなのかな。


 咏ノ原さんが演じた部活の後輩は、


『先輩、己己己先輩! 今日もサボりっスか? ダメっスよ、ちゃんと部活出ないと。試合も近いんスから……先生には自分も一緒に頭下げるっスから。ね?』


 先ほどの幼女とは打って変わって、活発で気の利く先輩想いの女の子だった。


『……どうでしょうか? デコさんを参考にしてみたのですが』


 珍しいことに、尋ねる咏ノ原さんの声はどこか恐る恐る。どうやら、本当に部活の後輩というものがどういものなのかわかっていないようだった。


『……ダメです?』


 なかなか、姉御から反応が返ってこない。どうしたんだろ? 私はよかったと思うんだけど。


 妙な空気の沈黙ののち。


『……ありだな、後輩』


 口を開いた姉御の声には確信めいた何かがあった。


『え?』


『ちょ、あれだ、後輩ありだな! 自分の夢は先輩と結婚することっス、って、冗談めかして言ってみ?』


『え、何でですか?』


『いいから!』


 鼻息を荒くしながら強要する姉御には、普段の余裕や冷静さが感じられず、去年咏ノ原さんにお兄ちゃんと呼ばれたときの反応によく似ている。


『……どれだけ結婚願望があるんですか……』


 呆れ混じりな咏ノ原さんだったけど、そのため息はどこか嬉しそうにも聞こえた。


 ……しかし、咏ノ原さんはいつのまに【っス】をマスターしたんだろう。もしかして家で練習とかしたのかな……。ちょっと想像すると面白いかも。

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