第12話バレンタイン前週
『こんなメールが来ております』
『何です?』
『
『こんばんは』
『先日電車に乗っていたときのことです。満員電車に揺られながら通勤していると車内の中吊り広告が目につきました』
『中吊り広告……天井から吊されているあれですね』
『ゴシップ誌の広告だったのですが、そこには超人気男性声優Kが現役女子高生の声優Uと深夜の密会と書かれていました』
『K?
『Kの方は直ぐにピンときたのですが、Uが誰なのか気になり、コンビニで立ち読みをしてみたところ、東京某所のホテル街と思わしき場所を男性が女性と腕を組んで歩いている写真が掲載されていました。男性の方は顔がはっきりと写っており、どう見ても上尾野辺さん。以前から女好きで有名ではありますが、お相手がお相手だっただけに、思わず「え!?」と声を出して驚いてしまいました。顔はハッキリと写っていませんでしたが、左右の横髪を三つ編みにした髪型と華奢で小柄な体つきから察するに、咏ノ原(うたのはら)さんと思わしき人が上尾野辺さんに寄り添っているではありませんか。屈指の人気を誇る上尾野辺さんと破竹の勢いで活躍中の咏ノ原さんの熱愛、これは声優界を揺るがす大スキャンダルと言ってもよろしいのではないでしょうか? ……こちら、もんじゅさんからのメールでした』
『ありがとうございます』
『……何か言いたいことある?』
『雑誌は立ち読みしないで買ってあげて下さい』
『そっちじゃねぇよ! 正しいけれども』
こうして弾劾裁判が始まった。
『うちの番組の方でもね、この雑誌用意させてもらったんだけれども……見て、これ』
『……これは上尾野辺さんですね。この服を着ているところをスタジオで見たことがあります』
『そっちもそうなんだけど、これ、清恵じゃないの? ちょっとぼやけてるけど。髪型とかそっくりじゃん』
『違います』
『お、妙にはっきり言うねぇ。逆に怪しい』
珍しく咏ノ原さんは不愉快さを隠さなかった。
『私こんなに不細工じゃないです』
『言うねぇ……でも、たまたま写りが悪かったのかもしれないじゃん』
『ありえません。それに私と上尾野辺さんが恋仲になることもありません』
『どうして? 結構一緒に作品出てるよね?』
『だって、猿みたいな顔してるじゃないですか』
『ばか!? 別の事務所の人を悪く言うなよ』
『そう言われましても。私にだって選ぶ権利はあります』
『こわ……あんたねぇ、女のファンを敵に回したよ? 完全に』
『何でですか? 付き合っていないと言っているのに』
確かに付き合っていないことを公言することで上尾野辺さんのファンはホッとするだろうけど、それ以上に貶されたことで怒りを買いそうだ。咏ノ原さんは気づいてなさそうだけど。
『……はぁ。何か、これ以上追求したらまた余計な敵を作りそうだからやめとくか……』
『そもそも本当に写っているのが私だったら事務所に止められてますからね、ラジオでこの話題出すの』
『まぁ、その通りなんだけどさ……というわけで、上尾野辺くんはともかく清恵は潔白です』
『その日はこの番組のイベントで福岡にいました』
『ラーメン美味しかったよね』
『焼き鳥屋であんなに豚バラ肉を食べると思いませんでした』
『あー、旨かったなあれ。とり皮も旨かったけど』
『私は椎茸がよかったです』
こうして咏ノ原さんの弾劾裁判は何故か上尾野辺さんが猿みたいだと馬鹿にされるだけで終わり、福岡のグルメトークへと移っていった。番組後に咏ノ原さんのTwitterが腐女子に襲われたが、それはまた別の話。
『清恵、次あんたがメール読んで』
『わかりました……えーと、アカテナンゴさんから』
『はい、ありがとー』
『己己己さん、清恵さん、こんばんは』
『こんばんはー』
『二月に入り、そろそろ全国の男子が楽しみにしているイベント、バレンタインが近づいてまいりましたが、お二人にチョコを渡す予定はあるのでしょうか? ないのでしたら己己己さんと清恵さんでチョコを交換したらいかがでしょうか? とのことです』
『ふーん……バレンタインねぇ』
『全国の男の子はバレンタインが楽しみなんです?』
『そりゃあ楽しみなんじゃない? 好きな子からチョコがもらえるかもしれないわけだし』
『ですが、もらえない可能性もありますよ? それに自分の好きな子が他の男の子にチョコレートを渡す可能性もありますし』
『あんたね、夢がないよ。リスクを考えちゃあいけないね』
『チョコレート一つに夢もないと思いますが……』
『違うんだよなぁ……わかってない。あんた、チョコあげたことないでしょ?』
『ありますよ』
『あるの? ちょっとというか、かなり意外だわ』
『私、料理上手じゃないですか?』
『ああ、自分で言っちゃえるくらいにな』
『そのせいなのかバレンタインが近くなると色んな男子にチョコレートが欲しいとお願いされてしまって。おかげでバレンタイン前日はチョコレートを作るのに大忙しでした』
『え? それって……料理が上手だからじゃないんじゃないの?』
『……? まぁホワイトデーのお返しでお菓子が沢山もらえたので私としてもありがたかったですが』
『あんたお菓子好きだもんねぇ』
『ゴディバのビスキュイが大好きです』
『随分詳しく言うねぇ』
『もしかしたらリスナーさんが送ってきてくれるかもしれないじゃないですか』
『卑しいな』
『抜け目がないと言って下さい。そう言う己己己さんはチョコレートを渡したことはあるんです?』
『ないね!』
『でしょうね』
『……なんだよー、もっと話広げさせろよー』
『だって己己己さん料理しないじゃないですか』
『そ、そうだけどさ、市販のチョコをそのまま渡したかもしれないじゃん』
『でも、渡したことないんですよね?』
『うん』
『……友達とかと交換しなかったんですか?』
『あれだね、ホワイトデーに返してた。そっちの方がわかりやすかったから』
『完全に男子のやり口ですね』
『いいんだよ、誠意がありゃ』
二人ともちょっと変わったバレンタインを過ごしていたらしい。姉御は姉御肌だから女子に人気ありそうだし、咏ノ原さんは男子に告白されても告白だと気づかなそうだ。ああ無情。
『今年は誰かに渡す予定あるんです?』
『ないね!』
『でしょうね』
『清恵は?』
『大量生産の予定です。学校や収録現場に持って行くので』
『
『たかがチョコレートで仕事が増えるのなら当然の選択です。それで、どうするんですか?』
『何を?』
『私たちでチョコレート交換しますかって話です』
『市販のでもいいんなら』
『せっかくだから作りましょうよ』
『ヤだよ。大体、清恵は沢山作んないといけないんでしょ? ただでさえ。あたしの分で手間取らせるわけにはいかないね』
『大丈夫です。百個と百一個では誤差のようなものです』
『百個も作んのあんた!? で、でもさ、あたし料理下手だからイヤなんだよねー』
『大丈夫です。心を込めて作ればきっと美味しくなると思いますよ。だって、己己己さんが作るんですから』
『清恵……』
暖かい言葉に姉御は咏ノ原さんの名をつぶやく。
『……それは番組的に美味しいって意味だろ?』
『はい』
『絶対やらない!』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます