転校生

「きょうは三年二組に新しいお友達がやってきました。

 真崎すばる君です」

 串本先生がいつもの笑顔で黒板に名前を書いた。

 その子は頭でっかちで、みんなより少し背が低かった。

 先生が話している間ずっとうつむいたままで、挨拶をうながされても気弱な上目づかいでちらっと見るだけで口を開くことはなかった。

 これでクラスメートたち全員、真崎すばるを弱虫の変な奴だと認識しただろう。

 瀬田隆はこの子は完全に高木にいじめられるなと思った。

 高木は根っから意地悪だ。体格がよく、自分よりも弱くて小さい奴を見つけると必ずいじめの対象にする卑劣な奴だ。

 クラスメートたちも巻き込んで、いつまでもしつこくいじめ続ける。

 入学した頃から今まで数人の犠牲者が不登校になったり転校したりした。もちろん被害児の親が学校や教育委員会に訴えたが、学校側はいじめの事実はないと隠蔽し続けている。

 ご多分に漏れず高木の親が町の実力者だからだろう。

 いじめへの情熱を勉強に傾けたら、もっと成績が上がるのに。

 勉強が得意ではない高木にいつもそう思っていた。

 だが、自分もただの傍観者でいられなかった。

 高木の一派ではなかったが、命令されるといじめに加担しなければ次に自分が標的になる。それはクラスメート全員同じだった。先生が守ってくれないのなら自分の身は自分で守るしかない。

 隆を含め、みんなしたくもないいじめをやらざるを得なかったが、高木は現在標的の南田に珍しく飽きが来ていた。

 反撃はしないが、中にはいじめをものともせず、ただひたすら無視し続ける南田のような奴もいる。

 もし完全に飽きたら次は誰が標的にされるのか、みな戦々恐々としていた。

 そこに真崎すばるが転校して来たのだ。

 みなほっとしただろう。それは隆も同じだ。

 先生に指示され席に着くうつむいたままの真崎を高木の目が追っている。やりがいのある新鮮な獲物に瞳が爛々と光っていた。


 さっそくその日の放課後、真崎すばるは高木一派に捕まった。

 数人の男子とともに隆も仲間に加えられていた。高木に誘われ、断れなかったのだ。

 ごめんね、真崎君。

 隆は心の中で詫びるしかなかった。

 高木は真崎の背負ったランドセルをつかみ校舎の裏に引っ張っていった。

 うつむいたままの真崎の表情は読めなかったが怯えているふうでもなく黙ってついてきた。

 隆はきょう一日真崎の顔をちゃんと見ていない。家に帰ってもきっとどんな顔なのか思い出せないだろう。

 高木が自分のランドセルを下ろし裏庭の一角に置いて真崎の前に立つ。

 みなそれに倣い真崎を取り囲んだ。

 隆は輪に加わっていたができるだけ高木と離れて立った。

 高木が真崎の大きな頭を小突く。

 初めは指一本で軽く何度も突いていたが、調子づいてくると両手で身体を突き飛ばし始めた。

 小さな真崎がふらふらよろけると相棒の三好がそれを受け止めてすぐ突き返す。

 二人は楽しそうに人間キャッチボールをした。

 それでも真崎はうつむき黙ってされるがままになっている。

 いじめられることに慣れているのかもしれないと思った。

 高木の命令で一人二人とみな順番に加わっていく。

 本当はこんなことしたくないのに。

 最後は僕の番だ。こんなことやめて逃げたいけど後が怖い。

 真崎が目の前に突き飛ばされて来た。

「ごめん」

 そうつぶやいて小さな体を高木のほうに押す。

 真崎が顔を上げた。サイズの合わないゴムの面をかぶっているような顔の真っ黒な小さな目でじっと見ながらよろめきながら離れていく。

 高木がとっさに身を引き、受け手をなくした真崎が地面に尻餅をついた。

 隆以外のみんなが大笑いした。

「瀬田、お前も笑えよ。面白くないのか?」

 すっと笑顔を消した高木が冷たい眼差しを向けてくる。

「お、面白いよ。はははは」

 誰が見ても取ってつけたような笑いだったが、高木は機嫌を良くし、今度は座り込んだままの真崎を蹴り始めた。

 隆が面白がっていようとなかろうと関係ない。人を支配していることに意味があるのだ。

 みなも次々真崎を蹴っていく。足跡のスタンプが重なりあってシャツを茶色に染めた。

 隆はさすがに躊躇した。

「おい瀬田、蹴れよっ」

 高木の一言でみな蹴るのをやめ視線を送ってくる。

 その隙に真崎がゆっくりと立ち上がった。

「誰が立てって言ったよ、このくそチビっ」

 高木が背中に飛び蹴りを喰らわせた。

 だがさっきとは違いびくとも動かず、逆に高木が尻餅をつく。

「てっめぇぇっ」

 いっきに顔を紅潮させ、高木が勢いよく立ち上がった。

 真崎はゆっくり高木を振り返るとぱかっと口を開け、

「ああああああああああああああああああ――」

 サイレンのような大きな声を上げる。

「なんなんだよ、てめえうるせえよ」

 高木が両手で耳を塞ぐ。

 真崎の異様な姿に隆は怖くなっていち早く逃げ出した。高木たちも散らばる。

 声を上げたまま真崎がみんなを追いかけ回し始めた。

 隆は植え込みと塀の隙間にしゃがんで隠れた。鼓動が激しく胸が痛い。

 口を開けた時の真崎の顔にぞっとした。あの声も気味が悪い。いとことネット動画で見た、焼かれながら死ぬまで叫び続けた人の声みたいだ。

 その声が遠くなったり近くなったりしながら聞こえている。

 突然、横の植え込みががさがさと動き、隆は身を縮めた。

「なんだあいつ。気持ち悪ぃな」

 高木がしゃがんだ姿勢で近寄って来る。

 急に真崎の声がしなくなり静かになった。

「やっと止まったか――

 あれがあいつの逃げ方なんか? 

 なあ瀬田、もういないか見て来いよ」

 高木が顎で命令する。

 確かに声は聞こえないが、ここから出る気になれない。

 首を横に振りうつむくと、ふんっと馬鹿にしたような鼻息が聞こえた。

 だが高木自身も行こうとしない。

 静かなまま三分ほど経ち「お前もたいがい弱虫なのな」と隆の頭を小突き、高木が植え込みから出ていった。

 明日からは僕が標的になるかもしれない。

 隆はうつむいた顔をさらに沈めた。

「わっ」

 高木の叫び声が聞こえた。

 隙間から覗くと植え込みの前に立つ高木と駆け寄ってくる真崎が見えた。声は出ていないが口がぱかっと開いたままで、頬の皮膚が溶けたようにだらりと垂れていた。

「ああああああああああああああああああああ」

 再び声を上げ、蒼くなって逃げ出す高木を追いかけていく。

 植え込みの前から二人の姿が消え、だんだん遠ざかっていく声がまったく聞こえなくなっても、隆は植え込みの陰から出られなかった。

 それはみなも同じなのだろう。隙間からは誰の姿も見ることはなかった。

 やがてそれぞれの隠れ場所から三好たちが出て来た。

 それを見て安心した隆も植え込みから出る。

「もう戻ってこないよな」

 誰にともなく問う三好にお互い顔を見合わせたが、その答えは出ない。

 みな顔面蒼白で、急いでランドセルを持つとそそくさと帰っていく。

 三好が自分と高木のランドセルを持ち、「じゃ」と最後の隆に手を上げ帰っていった。

 残ったランドセルは二つ。

 これどうしよう。

 真崎のランドセルを職員室に届けようかどうか迷う。 

 だが、なぜ隆が持っているのか先生に問われたらどう答えればいいのかわからないし、家に届けるよう頼まれるのも怖い。

 さっきの真崎の様子を思い返しぶるっと身震いする。

 結局、校門まで持って来てしまったランドセルを門扉に立てかけて隆は帰った。


「おはようございます」

「おはよう」

 門前に立つ先生と挨拶を交わした隆は、今頃まであるわけないとわかりつつもランドセルを探して辺りを見回す。

 あれから真崎が取りにきたのか、先生か用務員さんが回収したのかわからないがやっぱりない。

 きっと昨日のうちにちゃんと戻ったんだ。

 一晩中気になっていた隆はやっと安心した。

 教室に入ると昨日の連中は何事もなかったようにきょう発売の漫画雑誌や昨夜観たアニメの話題で盛り上がっていた。真崎も高木もまだ来ていない。

 席に着いた隆のそばに三好が近づいてきた。

「きのうさ、高木の家にランドセル届けたんだけど、まだ帰ってなかったよ。どこまで逃げてったんだろな」

 元気のない表情をしているが隆にも返事のしようがない。

 予鈴が鳴る寸前、ランドセルを背負った真崎が教室に入ってきた。昨日と同じようにうつむいたまま席に着く。

 三好やその他の奴らはちらっと見ただけですぐ視線を元に戻した。

 チャイムの後、串本先生が入ってきたが、それでも高木は来なかった。

 出席を取る先生は高木を抜かし次の生徒の名を呼んだ。

「先生ぇ、高木は?」

 三好が間に割り込む。

「えっ? ああ――

 そうそう、さっき連絡があってきょうは休むそうよ」

「どうしたんですか」

 三好の質問に串本先生は「さあ――」と困ったような笑顔を浮かべてそのまま出席を取り続ける。

 三好は何か言いたげにこっちを見たが知らんふりした。

 あれから何があったのか。

 隆も気になり真崎のほうを盗み見ていたが、うつむいた顔がゆっくり上がり、隆のほうへと向き始めたので慌てて視線を黒板に移した。


 高木はそれからもずっと学校に来なかった。

 心配した三好がたびたび先生に訊ねたり、家を訪問したりしていたが、先生の返事は相変わらず要領を得ないし、行っても誰もいないんだと逐一隆に報告しに来た。その都度曖昧に返事していたが、日が経つにつれ次第に何も言ってこなくなった。

 真崎はいつまでたっても変わらずうつむいたまま学校生活を送っていたが、彼をいじめるものは誰もいなかった。


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