会おうな?(興梠探偵社file)
sanpo=二上圓
第1話
「息子さんを探して欲しいとおっしゃるんですね?」
確認する探偵の言葉に黒いソファに腰を下ろした婦人は頷いた。
「ええ、そうなんですの」
冬の足音が聞こえる11月中旬のその日、興梠(こおろぎ)探偵社にやって来たのは運転手付きの自家用車に乗った婦人だった。
古き良き時代を髣髴させるつぶし丸髷に玳瑁(たいまい)の簪。但し着物は至ってモダン好みで、木賊(とくさ)色に銀漆で鷺が描かれている。その鳥を狙うごとく傍らに置いた首付きのブルーフォックスの双眸が煌いて見えた。このショールのせいで探偵社の飼い猫は今さっき全速力で事務所から飛び出して行ったのだ。
婦人は舞踏会に持って行くようなビーズ刺繍の小さなバッグから写真を1枚取り出すと、
「息子です。名は朔耶(さくや)。溝口朔耶(みぞぐちさくや)。年は23になります。帝大を来春卒業いたします」
「では、就職も決まっておられる――」
可笑しそうに婦人は眉を上げた。
「勿論ですわ。就職と言っても、宅の……亡き主人の残した海運会社に入社の予定なんですのよ」
「ああ、なるほど」
澱みなく婦人は続けた。
「主人、溝口丈太郎(みぞぐちじょうたろう)は7年前に他界しました。とはいえ、幸いにも支えてくださる部下の皆様がいて、私たち母と子、それはそれは仲良く暮らしてまいりました。それなのに、突然――」
先刻までの微笑みが嘘のように、こちらも突然、泣き出した。
「あの子ったら姿を消してしまいましたのよ!」
写真の中のその人、息子の溝口朔耶は優しげな美青年だった。
見目麗しく、帝大卒の秀才で、将来を嘱望された、資産家の一人息子が忽然と姿を消す――
一大事である。
写真から顔を上げると探偵はきっぱりと言い切った。
「了解しました。当探偵社、総力を挙げて息子さんの行方を探し出して見せます」
「あら、お待ちになって」
意気込む探偵の鼻先に夫人は指輪――ダイヤとエメラルドともうひとつは何だろう、モルガナイト?――の煌く手を翳した。
「実は、息子の行方に関しては心当たりがありますの」
「はぁ?」
パチンと留め金を響かせて婦人はバッグからもう1枚写真を取り出した。
美しい、けれど、やや儚げな微笑を浮かべて、娘が映っている。
「? ご令息の失踪に関して関わりがある? このお嬢さんが?」
「〝お嬢さん〟ではなくってよ」
探偵の問いに夫人は即座に首を振った。
「〝悪魔〟です」
その悪魔の化身たる乙女と溝口朔耶が知り合ったのは今年の春だった。
婦人、溝口陶子(みぞぐちすえこ)は言う。
帝大の春季大学祭。まさに妖術的手管によって純情な青年は陥落する。夏を迎える前に二人は一緒に住み始めた……
写真をテーブルに戻しながら探偵は言った。いつものコントラバスがやや掠れている。
「居所がわかっておられるなら、厳密な意味で〝失踪〟ではないですね?」
咳払いを一つしてから、
「引き戻せというご要望なら――誠に申し訳ありませんがその種のご依頼は当探偵社では引き受けかねます」
「まあ! なんてこと! よくお聞きになって!」
ボビンレースのハンカチを握り締めて金切り声を上げる婦人。
「夏以降、一緒に暮らし始めたといっても、私の朔チャンは大変親思いの良い子で、必ず3日と開けずに私に連絡を入れてくれました。ところが、1週間前からその連絡がプッツリと途絶えてしまったのよ!」
「ど、どうか、落ち着いてください、奥さん」
「いいえ、落ち着いてなど居られるものですか! ああ、神様あぁぁ!」
なんて賢いんだ獣は! ここへ来て探偵はつくづく思った。ノアローは逃げて正解だった。そして、もう一人……
「おおーい、フシギ君! 紅茶のお変わりを、頼む! とにかく――落ち着いてください、溝口さん? お話はお聞きしますから……」
ブルーフォックスの隣に今1度夫人を座らせる。自分の捻れたタイを直しながら探偵は努めて冷静な口調で言った。
「さあ、どうぞ、先をお続けください」
「何処までお話しましたっけ。ああ、そう、息子からの連絡が途絶えて不安を覚えたわたくしは、翌日、横山――宅の執事ですわ――をやってその悪魔の住むアパートを見てこさせたんですの」
「……つまり住居も把握されておられるんですね?」
「当然ですわ。私に心配をかけさせないよう朔チャンが教えてくれましたもの」
婦人はしわくちゃになったハンカチを鼻に当てて啜り上げた。
「それで、執事の言うには、そこには息子の姿はおろか気配さえなかった、と」
再び立ち上がった婦人、テーブル越しに探偵の両腕を掴んだ。
「ですから、これこそ、完全な失踪です! そして、ここから先はもう、わたくしども素人では無理ですわ! 探偵様、どうかよろしくお願いします! 1日も早く私の大切な息子の居場所を突き止めて頂戴!」
「し、しかしですね……」
「何が『しかし』ですの? よもや、息子を思う母の気持ちをお察しくださらない?」
「いや、そうは言っていない。ですが」
「ああ! なんてこと! 私のこの願いをお聞き届けくださらないなら、貴方だって…悪魔の一員ですっ!」
いやはや……
「おおい! 助手! 何処へ行ったんだ? いるんだろう? 早く……紅茶のお変わりを持って来たまえ……! フシギ君……!」
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