第7話 鯉に堕ちたら
彼は雨を降らせることが仕事だった。
雲の上から地上を見守って、作物がしっかりと育つように雨を多く降らせたり、時には雲を退けてたくさん日光を浴びさせたりと、日々忙しく働いていた。まだ任されている地上の範囲は狭いけれど、それでも自分の仕事に誇りを持っていた。
彼の任されている範囲には、小さな村がひとつだけある。きれいな滝のある、小さいけれど美しい村だ。日々雨を降らせながら、村が豊かに発展してそこに暮らす人たちが笑顔で過ごしている様子を眺めることも、彼の楽しみだった。
仕事をしていると、長い間雨を降らせることができない時期もある。ただ、今回の期間は特に長く感じていた。もう2か月ほど、あの村には雨が降っていない。
他の地域とのチョウセツというものもあるらしいけれど、ただただ彼にとっては、村の人たちが心配だった。この数週間、何度か村人が数十人連れだって滝の前に集まり、アマゴイと呼ばれる催し物を行っているようだ。ひとりの少女が、滝を前にして空に向かって手を伸ばし、何か話している。空を見つめる少女と目が合う、ような気がする。純粋な少女の目を見ていると、彼の胸はどこかざわつく心地がした。
さらに1か月が経った。彼女は今日も空へ向かってイノリというものをささげる。まだ雨を降らせる許可は下りない。毎日のように目を合わせるうちに、彼は少女個人に対しても、不思議な気持ちを持つようになった。よくわからないのだけれど、彼女を見るときの気持ちは、喜怒哀楽では哀に近い感情なのかもしれない、と思った。
雨が降らせることができないまま150日が経った。村では多くの病人が出てきたようだ。アマゴイをする人もどんどん少なくなる。彼女自身も少し、細くやつれているように見える。それでもまだ、許可は下りない。彼の胸のざわつきは日に日に増している。
数日後、村に約5か月ぶりの雨が降り注ぐ。村中が歓喜し、恵みの雨を喜んだ。その雨は、彼が許可を待たず、自分自身の判断でもたらしたものだった。
ルールを破ったものは地上へ堕とされる。姿を魚に変えられて。それが彼の世界の掟だ。しかし不思議と彼の気持ちは軽く、むしろ高揚感すら感じていた。村の人たちの喜ぶ姿を見ることができたからか、それとも彼女に直接会える可能性があるからか。
ほどなくして、彼は空から堕とされた。天気のルールを破った影響からか、地上は大嵐になっていた。轟轟と降りしきる雨とともに彼は雲の上から地上へ堕ちていく。そして、村外れの滝へと着水した。大嵐の中、きれいな姿など面影もないほど激しく荒れ狂う滝の中、泳ぎ方を知らない彼はぐちゃぐちゃに水の中でかき回され、次第に意識は遠のいていった。視界が濃い藍色に染まっていく中、彼の心には雨を喜ぶ彼女の笑顔があった。
翌日、村はきれいな晴天だった。大嵐も一日で終わり、村への影響はほとんどなかったようだ。
滝つぼの湖の岸辺に、魚となった彼は浮かんでいた。彼が生きているのかどうかもわからない。
そこへ、一人の小柄な人間が表れ、静かに彼のもとへ立ち寄り、ゆっくりと彼を掬い上げた。そして彼を抱えたまま真っ直ぐに、村の方へと駈けていった。
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