メイナフィア―神と人を見守る木―
朝渡 菊
メイナフィア
遠い空の話です。
この地球の遥か遠いところにメイナフィアという惑星及びメイナフィアという銀河かあります。
そこには地球ではとても考えられない不思議とも奇妙とも捉えられるような色をしたさまざまな食物がとれるのでありました。
これは、そんな星の一人の少年のお話です。
むかし、メイナフィアのサビナス地区というところがあってそこにサトウという場所がありました。
なにもなく、ただ丘の上に木がいつ折れるかもわからないような様子でたっておりました。
そんな、風だけが通り抜けるような場所です。
ある時、一人の少年が丘の上にある木の上に登ってきました。
少し青白い顔でダブダブの臙脂色の軍服を着ていました。
少年は木のてっぺんまで辿り着くと足もとを見やり、少しおどけた様子でひゃあと言って笑います。
そして、木の幹を二、三回たたき、まるでそこに人がいるように語りかけました。
「やあ、ようやく終わったよ。...永いものだったなあ......」
木には口がありませんから、返事はありません。
しかしその代わりとでもいうように木の葉がさやさやと揺れました。
「実はだね、私には婚約者がいたのですが、永い戦いの間に長兄と縁を結んだそうなんだ。」
今は男と女一人ずつ子供がいるそうなんだよ。
少年はそう言って、一言誰かに向かってか断ると煙草に火をつけました。
ぷかぷかと頼り無さそうに空へと飛んでいく煙火をしばらく見ていた少年は、ぼそりとほの暗い顔で語りかけます。
「先の戦いで兄嫁がお隠れになったそうなんです。それでいつ帰ってくるかも知れない私より長兄と結ばれた方が良いだろうということで、長兄が婚約者の家に働きかけて結ばれたらしいのです。」
深いため息をつき少年は空を見上げます。
「婚約者は最後まで拒んでくれていたらしいのですが、やはり肉親には逆らえんでしょう。......まあ今、彼女は長兄と仲良くやっているのですがね」
長兄も彼女も優しくて美しいのだから。
訪れた深い沈黙にさやさやと木の葉がざわめきます。
この人は、もしかしたら、ここから身を投げ出してしまうのではないか......。
そんな不安が木を巡ります。
そんな不安をよそに少年はぶらぶらと足を揺らめかせました。
木漏れ日に当たったくたびれた黒い靴が深い緑に変わってゆきます。
「嗚呼、せっかく生きて御国に、故郷に戻ってこれたのに、家に帰りにくいなんて、本当に親不孝な男ですよ、私は。」
そう言って後ろに生えていた枝を背凭れのようにして寄りかかったまま、すう、と幾何もかからないうちに眠ってしまいました。
木は少年が直に日の光を浴びないようにゆっくりと葉をずらします。
少年の穏やかな吐息が聞こえてくるなんの変哲もない穏やかな昼間。
木は先程の少年の話を思い出していました。
少年が話していた夫婦は、よくこの丘に子供二人を連れて来ていた者達でしょう。
あの夫婦は毎回決まって帰り際になるとただの丘に生えているただの木に向かって、少年が生きて帰ってくるようにと祈って去っていくのです。
最初は何か別のものと勘違いをしているのかと思って気にも留めていなかったのです。
しかし風が、はたまた小鳥達の四方山話を聞いているに少年はこの空の高いところで敵を減らすために戦っているそうなのです。
そこで夫婦はこの地区のなかで一番高いところにある一番背の高い木のところに来て祈っていたのでしょう。
その日から木も彼らと同じように祈ることにしました。
少年の顔は見たこともありませんでしたが、夫婦らから聞いているかぎり、日の御子のように輝いた子であることは間違いなかったのです。
そのような子が死んでしまうなんて、実に悲しいことではありませんか。
あと、理由をつけ加えるとしたら、一度でも良いから彼らが誉め称える少年の姿を見てみたかったのです。
日は西へと傾きます。空には双子の月が顔を覗かせようとしていました。
随分と長い間考え事をしていたようでした。
少年はいつの間にか起きていたのか背凭れの枝から身体を起こし、遥か遠くの光り輝く星達を見ています。
赤に黄、緑、白に蒼、色とりどりのまるで天の宝石箱の様でした。
「私は今まであの星達のそばで少しでも命の華を長く保とうと、輝こうと生きてきました。」
けれど時々思うのです、と少年は続ける。
「この命の華を奪い続けるものは本当に必要だったのでしょうか...私には分からんのです」
ある時、私は燃料が無くなり動けなくなっている一つの飛行船を見ました。
その飛行船にはまだ人が乗っていて、苦しそうに喘いでいました。
当然です。
飛行船は高いところを飛ぶもんですから人が吸える空気があまりないんです。
だから通常はボンベに空気をたくさん貯めてから空へ飛ぶのですが、あの飛行船は長く高いところにいすぎたのでしょう。
首を苦しそうに押さえている敵機をじっと見ていると、ふと人が此方を見て苦しそうにしながらも手を伸ばしてきたのです。
その時、私はハッと気づいてしまったのです。
彼も同じくこの星に住む私と同様の生命体だということに。
私達は幼い頃からこの地区以外に住む生命体は野蛮で愚かなものである、そう学んできました。
しかし、苦しげにこちらに手を伸ばす人を見ているかぎり野蛮とも愚かであるとも思えなかったのです。
むしろ生に必死にしがみつこうとしている美しく尊いものにみえたのです。
かの人が何故手を伸ばしたのか、私には本当の理由は分かりません。
敵機である私の飛行船を見て攻撃をしようとしたのかもしれませんし、もしかしたら死際に最愛の姿を見たのかもしれません。
けれど私にはそのどちらの理由でも、その他の理由でも良かったのです。
私は一人の尊い犠牲を見てようやく真の事を知ることができたのですから。
私達は先の戦では勝ちましたが、結果的には負けているのです。
そこで少年は枝に座り直し、丘の下に輝く地上の星を見下しました。
「元婚約者に会うのは勿論気が進まないのですが、一等に気が進まない訳は、私が真の事を知る前に正しいと思っていたまやかしの真実を未だに教育していて、それが正しいとだと当然のように思っている人々が此処に数多の数いて、誰も本当の事を知ろうとしない事なのです。」
少年は重いため息をつき、町の光から目をそらしました。
彼の瞳には、この幸せの灯とも言われるこの光りは何に見えていたのでしょうか。
「きっとこのまま家に帰った私がこのことを話しても婚約者達は私の事を戦で気が触れたのだと思って腫れ物のように優しくいたわってくれるでしょう」
辺りは夜の帳が降りたせいでやけに静かになっていて、少年が誰かに話しかける声だけが闇に吸い込まれるように消えていくだけでした。
昼間の暖かな空気の残り香が少年の頬を撫でるように通りすぎてゆきます。
少年にしては少し長い髪が夜に紛れるように揺らぎ髪を崩しました。
「別に私が奇人を見るような目で見られても良いのです。けれど、私と親い人達がこの悪しき考えに囚われているのは見るに耐えられんのです。」
木は黙ったままでした。
人の言うことはなんと難しく、複雑怪奇なのでしょうか。
木は長い間此処に立ち人々を丘から見てきましたが、そんなことを言う人は誰一人としていなかったのです。
少年はその言葉を語り終えるとだんまりになりました。
口を真一文字に結び、町よりも遥か遠くを見つめています。
空を彩る宝石は少年の行方を見守るように、ゆっくりと流れてゆきます。
山際から日の光が一筋差し込んできた頃。
少年はぼそりと言いました。
「きっと、この悪習が変わらなければまた戦が起こるでしょう。私が生きている間に。この地区の軍費を考えると早くて三ヶ月後、遅くても二年以内に。
...変わらなければならんのです。いつまでも勝者で、いじめっ子の頂点ではいられないのですから。」
そう言うと立ちあがり、幹を撫でるように軽く触る。
「ありがとうございました。神と人を見守る木、メイナフィア様。また会う時はこの地区だけでなく世界は変わっていますよ」
そう少年は言って指笛を鳴らすと遠くから飛行機が飛んできて、そのまま彼を連れていったのでした。
メイナフィア―神と人を見守る木― 朝渡 菊 @YamasaTarosa
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