第15話 想い出の空き地

 改札口を通り抜けると、駅前の半円状の広場が一望できた。

 浩輔は、ビジネスバッグを担ぎ直した。階段を降りて広場の中を横切ると、すぐ目の前にバスロータリーがある。最初は乗るつもりだったが、思い直して、そのまま歩くことにした。時間はまだ余裕があるし、自分の足で辿り着きたいという気持ちがあった。


 商店街に差し掛かると、小学生ぐらいの男子児童が、人混みを気にせずに走り回っていた。わんぱくな少年達の手首には、腕時計のような機械が巻かれている。中には、その装置を熱心に弄っている男の子もいた。その光景を目にしていると、自分の幼少期とはずいぶん変わってしまったな、とつくづく感じた。

 浩輔も、アイウォッチを使用していた。それはスマートフォンの後に主流になった、通信機器だった。四八ミリの液晶画面をタッチして、アプリやSNSを起動することができる。ブルートゥースのワイヤレスイヤホンを耳にはめれば、音楽を聞いたり、通話をすることも可能だった。GPS機能も内蔵されていて、大人用の十八金モデルや、婦人用のブランドモデル、子供用の低価格モデルも販売されている。我が子の身を案じて持たせている親が多く、最近ではほとんどの児童に普及していた。その社会現象はまるで、近年の子供達から子供らしさが損なわれているように思えた。


 子供が産まれた時には、持たせるべきなのだろうか。浩輔は、祐子のことを考えると、後ろめたさを感じた。昨日の夜には、母の様態が悪化したから病院に宿泊すると、連絡を入れた。そして電車でこの街に移動する時には、まだ看病で長引きそうだから帰れないと、嘘をついた。祐子は介護に理解があったため、疑うこともなく受け入れてくれた。だから、自分が今、母の病室ではなくて想い出の場所に向かっていることは、彼女は知らないはずだった。

 偶然にも、今日は会社が休みだった。そして祐子の体も、まだ働くことができるほどの頑健さだった。やがて子供が生まれれば、こうして一人きりで遠くまで出歩く時間もなくなるだろう。だから、今しかないと思った。祐子には申し訳ないとは思ったが、×××に会いたいという気持ちは、抑えられなかった。初めは、命の恩人に謝礼をする目的だったはずだが、胸の奥底に仕舞い込んでいたはずのなにかが、追想を切っ掛けに再燃しているようだった。


 浩輔は、生活雑貨や総菜の店舗が建ち並ぶ中に、スーパーを発見した。そのまま店内に入って、食料品を物色する。もし再会できた時に、手ぶらでは格好が付かないと思ってのことだった。袋のまま、ビジネスバッグに詰め込む。

 商店街の端まで到達すると、そのまま十字路の横断歩道を直進した。駅前のにぎやかな風景は、やがて鳴りを潜めて。両脇を銀杏の木が挟んでいる並木道の坂を、ゆっくりと下っていく。

 その歩調に合わせて、脳裏には幼少期の記憶が再現されていた。


 自分の命を救ってくれた、×××。

 彼女は▲▲――妖精だった。


 それはやっと思い出せた、×××の正体だった。とても実在し得ないような、架空の存在だったが、以前から予想していた、地縛霊や土地の神様に近かったため、それほど意外ではなかった。驚いたのは、妖精は大人には見えないだけではなくて、大人になると記憶からも消えてしまう、ということだった。


 妖精のことなんて、すぐに忘れるよ。


 それは彼女が、いつかの冬に呟いていた言葉だった。当時は気にも留めていなかったけれど、もしそれが本当だとしたら、過去の記憶喪失についても、説明が付くようだった。

 交通事故で引き起こされた、記憶障害。最初の段階では、心的ショックで一時的に頭が混乱していたのだろう。そのせいで、病室のベッドで目覚めた時には、なにも思い出すことができなかった。そのまま自然に回復をしていれば、妖精のことも覚えていたはずだった。

 だが、リハビリの一貫で実施されていた精神力テストと、新しく通う小学校のための勉強。あれが問題だった。医師と家庭教師が入れ替わりで教育をして、知能が発達すると同時に、いつしか子供の要素を失っていたのだろう。そして妖精のことが見えなくなって、妖精との記憶も消滅してしまった。

 記憶喪失が事故の後遺症だという病院の診断は、実際には間違いだった。

 真相は、妖精による忘却のせいだったんだ。


 アイウォッチの地図アプリとGPS機能で、現在地をリアルタイムで確認していると、スピーカーから響く音声ガイダンスが、もうまもなくだと通知をした。浩輔は、期待感よりも、緊張の方が強く全身を揺さぶっていることに気が付いて、狼狽した。

 もし、想い出の中の景色と違っていたら。今さら、体の内側から不安が沸き上がる。追い払うように頭を振ると、ふと住宅街の一角に、見覚えのある建物があった。

 まさか、と思った。小走りで近づくと、そこはかつて住んでいた、二階建ての一軒家だった。本当に、残っているなんて。二七年前から変わらないその景観に、なんともいえない郷愁の念が、胸の中に訪れるようだった。

 あまり好きな家ではなかった。ベッドで寝ていた療養生活の記憶しか、頭の中にはなかった。それなのになぜ、実際に目の前にすると、懐かしくて堪らない気持ちになるのだろう。

 表札には、筆記体の英語が綴られていた。どうやら今は、外国人の家族が住んでいるらしい。二階の自分の部屋だった、ほんの少ししか開かない窓の内側からは、子供のはしゃぐ笑い声が聞こえた。

 浩輔はしばらく、そのままで眺めていた。そして、また同じ道路を歩き始める。目的地は、昔住んでいた家ではなかった。そしてその場所はもう、すぐそこにある。


 想い出を辿るように、一歩一歩近づいていく。


 大急ぎでサンダルを履いて、玄関口から隣接した広い通りに飛び出た、あの日。期待で胸がいっぱいで、住宅街の道路も、自然と早足だった。狭い路地を抜けて、突き当たりにあるカーブミラーを左に曲がる。そこには狸の酒屋があって、その奥の空き地では、ショートカットの彼女が、手を振って迎えてくれるはずだった。

 自然と、駆け足になっていた。ひさしぶりに胸が高鳴るような、子供らしい冒険心が満ち溢れていた。






 浩輔は、肩で息をしながら立ち尽くした。

 角を曲がった先の通りの、右側の並び。

 そこに、空き地がある。懐かしい想い出の空き地がある。

 ある、はずだった。


 そこには、西洋風の一軒家があった。

 空き地だった土地を、さらに拡張して。

 隣にあったはずの酒屋もなくなって、その敷地と合併して建てたようだ。

 地面に咲いた草花だけではなく、その土地の形状も変わって。

 昔の名残は、影も形もなく消え去っていた。

 浩輔はただ、眺めていた。

 ただ、呆然と。




 第16話 遙かな春 へ続く..

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