第2話
さて、今日からはようやく人間らしい生活ができるぞ。そう思うと何をするにも気合が入る。
まずは町へ行って色々と研究資料を仕入れないといけない。
だからといって研究のためだけに町へ行くのも健全な青少年として寂しいものがある。
ちょっとした出会いとかあったらいいな、とか。
でもそんなことを期待するのも少々寂しい気がする。
やはりここは研究をきちんとしなくてはいけない。主に女性について。
ちょっとだけ。ほんのちょっとだけそういう本も買っておこう。
あとは飯だな。食いに行くのもいいが、自分のために作る料理だったら、全然苦でもない。むしろ普段よりも凝った豪勢なものでも作るか。
材料は……そうだな、町へ行ってから決めよう。それも楽しみのうちだ。
屋敷を取り巻く結界から外れ、森を抜け街道に続く小道へ。片道一時間ほどかかる距離は、普段ならば億劫だけど、今は楽しくて仕方ない。
ほら、見てごらん。小鳥も僕を祝福して鳴いているよ! あはは……。
うーむ、久々の自由のせいかのか、今まで散々な毎日を送っていて脳がいかれてしかったのか、思考がおかしい気がするぞ。まあそれもいいか、自由なんだし。
もう少しで街道に辿り着くというところで、この辺りでは見たことのない少女が不可解な行動をしているのが目に付いた。何かを探しているのだろうか、しきりにキョロキョロと辺りを見回している。
見たところあまり裕福そうな家庭ではなさそうだが、それでも精一杯がんばってオシャレな服を着ている姿が気にる。これは何か特別な事情がありそうだ。
「このような場所で何をしているのですか?」
警戒をさせないよう、やさしく問いかける。突然声をかけられ驚かせてしまったが、笑顔で返してきた。
少しぼさぼさな金髪を後ろで少しまとめた頭。気が弱そうだが、人懐こそうな笑顔が似合う顔に、青い瞳。体は少し華奢だけど将来美人になりそうな、とてもかわいい少女。
予期せぬ出会いがこんなところに。やはり自由とは素敵なものだ。
「あっ、ええっと、こんにちは」
「失礼、こんにちは」
しっかり挨拶ができる良い子だ。
「それで、探し物でしょうか。落し物とかでしたら探すのをご一緒しますよ」
僕は別段親切な人間ではないが、この少女にとても興味を持ったから少し付き合おう。
ひょっとしたらここから楽しげな展開に発展する可能性もあるし。
「あの、えっと……この辺にルゥ・コーゲン様のお屋敷があるのですが、ご存知ですか」
少女の探しているものを聞き、僕は一瞬固まってしまった。
ルゥの屋敷を知っている者は、国でいえば大臣以上、あとはルゥへの手紙を運ぶ公務員だけのはずだ。にもかかわらず、この辺りにそれがあると知っているということは、きっとこの少女は只者ではない。安物の服を着ているのも、何か事情があるのだろう。
さあどうする、ロート。考えるんだ。まずは、まずは……。
そうだ、この少女の正体を掴まなくてはいけない。選択肢を狭めれば、それに対する答えも減らすことができる。
「キミは一体誰なのかな」
直球の質問をかけてみた。一言二言しか話していないが、この子は嘘とか付かず、きちんと話してくれるような気がする。
「私はリルミムと申します。ルゥ・コーゲン様の妻です」
…………。
……は?
やばい、一瞬脳内が真っ白になった。何がどうなっているのか、全然理解できない。
ルゥの……、何て言ったっけ? 妻、と言った気がしたんだけど。
妻ってなんだっけ。伴侶? 嫁さん? 夫婦なのか?
それで、僕は一体どうしたらいいんだ。ルゥからは決して誰にも正体をばらしてはいけないと言われているのだが、相手はルゥの妻だと言う。これまでも偽らなくてはならないのだろうか。身内は別という話はされていないから、ルゥのふりをしていなくてはいけないはずだ。
家を知らないということは、ルゥの姿も知らない可能性もある。そもそも僕がルゥに連れ去られてから二年の間、妻なんて全く見たことも聞いたこともない。つまり僕がこの場で取る行動は一つだけだ。
「ええっと、僕がその、ルゥなんだ」
少女の顔が一気に明るくなる。先ほどまでの挨拶程度の笑顔ではなく、満面の笑みという感じに変化した。今の話を全く疑うこともなく、この少女は受け入れたようだ。
罪悪感。今僕はこの世の悪を全て集めた塊になってしまった気がした。こんなにも純真無垢な少女に嘘をついたんだ。背徳的とでも言おうか。
もちろんそれを快感に思う人も世の中にはいるが、どうやら僕はその類の人じゃないらしく、申し訳ない気持ちで一杯になった。
エロい妄想は構わない。別に彼女がそれで不幸になるわけではないから。
「大変失礼しました、ルゥ様。私は約束通り、あなたの妻となるために来ました!」
一体何のことだか、僕が知る由も無い。約束なんてもってのほかだ。だからといって、もしここでその約束を無かったことにしてしまったらルゥが帰ってきた時、どんな目に合わされてしまうのだろうか。それを考えると頭が裂けそうになる。
さてどうするべきか再び考えろ、ロート。早く答えなくては不審に思われてしまうだろうし、かといって、はいそうですねというわけにもいかない。
だって妻ってことは、これからずっと一緒に暮らすという話だろ。いくらなんでも唐突すぎるし、いつまで偽らないといけないのか、そしてその間に何も問題が起こらないとも言えない。
そりゃあ問題にもよるが、喜んで受け入れるハプニングだってある。しかしそれが僕の人生を破局へ導く可能性も否定できない。
さすがルゥとでもいうべきだ。僕に全く自由を与えない。いや、それどころかさらに厄介な問題を残していきやがった。
「じゃあとりあえずうちに……」
この場で考えていてもきつくなるだけだし、一旦帰ろう。なるべく平静でいるかに見せつつ、少女をルゥの屋敷へ通すことにしよう。
森の中にある結界をくぐると、泉というには少々大きな湖があり、その中央の島にルゥの屋敷がある。かなり深い湖だけど、透明度が高く底が見える。
そこで僕は手を、下から何かを放り投げるように振る。と、その軌跡に湖面が固まり、橋になった。凍らせたわけではなく、魔法により無理矢理結晶化させて固体にしたものだ。だから人が乗っても滑ったりしない。
リルミムはその光景を見惚れている。慣れるとただ面倒なだけだが、僕も初めて見たときはあまりの神秘的さに感動したものだ。そういえば、ルゥから初めて教わった魔法ってこれなんだよな。
「お先へどうぞ」
リルミムは恐る恐る足を延ばし、そっと橋に乗せる。
そしてバランスを取るように手を広げ、ふらふらと真っ直ぐ歩く。幅は充分にあるはずなんだけど、不安なのだろうか。逆に危なっかしい。
いつでも支えられるよう、僕は彼女の直後を歩くことにする。
あとちょっとというところで、意を決したようにリルミムが飛ぶ。島に無事着地をしてこちらを振り向いた。僕もすぐに到着。
渡り終えた僕は、かかとで橋を軽く叩く。すると橋は雪のように粉々に砕け、元の湖へと戻った。
初めて見る光景に感嘆したようだったが、やがて困ったような顔を僕に向けた。
「あの、これって簡単に使える魔法なんですか?」
「そうだね、やり方さえわかれば簡単だよ。どうかしたの?」
「ああいえ、ただ私が外へ出るには、どうしたらいいかなと」
出かたがわからなければ監禁みたいなものだから、不安になるか。
「大丈夫だよ、後で教えるから心配しなくていいからね」
「はい、ありがとうございます」
「じゃあドアを開けるよ。これはでかいだけで、普通のドアだから開閉は簡単だよ」
僕は屋敷のドアを開けて少女を中へ通した。
「わぁ……」
少女は思わず感嘆の声を出す。一般の家庭に育った人間でも、おいそれとは足を踏み入れられぬレベルの豪邸だからな、この屋敷は。だけどここで暮らし、さらに掃除をやらされていると、この無駄に広い空間が邪魔でしかなくなる。
リビングや厨房、風呂などを一通り説明して二階に上がる。
「それで、ええっと……リルミムだっけ」
「はい」
「じゃあリルミム。この部屋を使ってくれ」
ルゥの屋敷は部屋も無駄に多い。人を招くわけでもないのに、何故こんなにまで部屋が必要なのかといつも嘆いていたけど、ここにきてようやく使用する目的ができた。
「この部屋、私の家よりもずっと広いです! 本当にこのようなお部屋を頂いてよろしいのでしょうか?」
書斎から近い、さして広くもない部屋へ通したのだが、とても感激してくれたようだ。しかしこの部屋よりも小さな家って、一体この娘はどのような家庭で育ったのだろう。
「好きに使ってかまわないよ。この家ではさして広い部屋じゃないから、もっと広い部屋がよければ移っても問題無いよ」
「い、いいえ! こんなにも広くて綺麗な部屋なのに、不満なんて言ったらバチが当たります! ……私の家は貧しくて、こんなところに住めるなんて、夢にも思っていなかったのですから……」
少女の目を潤していた涙がこぼれた。泣き顔というのは、綺麗な人でも顔を歪めるからあまり好きではないんだけど、この子からはかわいいという表現しか出なかった。
じっと見ていても失礼だし、居辛い雰囲気だから退散しよう。
「じゃあ僕は仕事が残っているから、何かあったら呼んでくれればいいよ。この廊下の先にある書斎にいるからね」
「はいっ」
さて、これからが大変だぞ。一体これはどういうことなのか調べなくてはいけない。
ルゥの書斎──、今は僕の書斎か。とりあえず今まで受けた仕事の手紙をひっくり返し、内容を把握しておかなくてはいけない。
リルミム、リルミム……っと。これじゃない。これでもないだろう。
多分最近の仕事だろうな。こんなことになるのなら、嫌がらせのつもりで終えた仕事の手紙を適当にあちこち突っ込まず、きちんと整頓しておけばよかった。
この箱も違う。これも……。ひょっとしたらルゥは、こうなることを見越していたのかもしれない。チクショウ、完全に手のひらで踊らされている。
っと、やっと見つかった。はぁ、後で整理しておくか。
苗字は無しということは、貴族ではないんだな。そして一五歳。かわいい盛りの年齢だ。
手紙を読むと、ルゥへの依頼内容は妹の病を治してもらうことだと判明した。そして支払う金が無かったために、自らを差し出したようだ。ルゥは何を思ったのか、彼女を買い取らずに妻として受け取ることにしたらしい。
「これは……なんとも言えないな……」
急に力が抜けてしまい、椅子からずり落ちた。角が背中をひっかき、痛い。
ルゥは願いを叶える代償に、大金を受け取るのが本来の業務だ。いい加減な気持ちで気軽に依頼をされないために。それは金持ちだろうが、貧しかろうが関係無く。
金が無いなら無料でいいよ、では後々に大変なことになってしまうから。しかも請け負うかどうかは別問題になる。大金を積めば叶えるといったものでもない。
かといって、これを放っておいたとする。そして後で僕が知ったら激怒しただろうな。
今回は結果として、彼女の妹も、彼女の心も救われたのだ。そしてルゥとしても報酬を受け取り名分を守れた。
問題は全く無い。それどころかこの裁定は見事と言える。リルミム自体もこれから何不自由無く暮らすこともできるし、両親も自分の娘がルゥの妻になれたと誇りにできる。
ただ、この歳で親元から──ましてや、自らを代償にした妹の今後を見ることなく過ごさなくてはいけないのも、少し寂しいんじゃないか。
そしてだんだん腹が立ってきたぞ。あんなにも笑顔が似合うかわいい娘が、鬼畜の殿堂ルゥの妻であるということに。
なんとかして僕のものに……もとい、ルゥの魔手から離す方法は無いだろうか。
などという邪な考えでどれくらいの時間を埋めたのだろうか、僕を現実に引き戻すかのようにドアがノックされた。
「ルゥ様、お食事の用意ができました」
僕が何もしなくても、食事ができている。なんてうれしいことなんだ。
ここに来てからずっと僕が食事当番。いや、当番というのもおかしいか。まるでコックのように朝から夜まで食事を作らせられていたから、ありがたい。
「丁度お腹が空いていたんだよ。何を作ったのかな」
「今日は奮発して、ケヌにしてみました」
ケヌはそばとうどんの間みたいな麺料理だ。そば粉と小麦粉の割合が半々の、中太麺。そば粉がやや高価なためにそばの代用として食される、とても庶民的な料理。
もちろん奮発して食べるほどのものではない。そば粉自体高いといっても高級食材というわけではないため、たかが知れている。味自体もどちらが美味いというわけでなく、人それぞれ好みの問題だ。
「ケヌかぁ……」
ここへ来てから四年の間、食べ物に不自由することがなかったおかげで、存在すら忘れていた。特に好きというわけではなかったが、よく食べたっけ。
「……ああっ、申し訳ありません! そうですよね、ルゥ様のような方が、ケヌなんて庶民的な料理を食べるわけありませんよね。ごめんなさい、私にはこれ以上の高級料理の知識が無いんです……」
しげしげと眺めている僕を見て、リルミムは誤解をしてしまった。
「いやいや、そういうんじゃないって! 僕だってたまたまパム容量が大きかっただけで、元々庶民の出なんだよ。だから前はケヌをよく食べていたんだ。少し懐かしいなって感じていただけで、逆に嬉しかったくらいなんだから」
実際に僕の家は、中流もいいところくらいの普通の家庭だった。魔力は遺伝しない一代ものだから、親が魔術士でも子供は並以下なんて珍しくない。もちろんその逆で、親が魔力をほとんど持たなくとも、王宮魔術士になった者も多くいる。
「そうだったんですか、よかったです。たくさん食べてくださいね」
といってリルミムは鍋いっぱいのケヌをテーブルに置いた。
──暫くした後、もう一生分のケヌを食った気分でベッドへ横になった。
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