第17話 彼女たちの秘密
メイドたちが食事をセッティングして出ていく。食欲をそそる匂いが立ちのぼって空腹に堪える。
浴室の方からずっと聞こえていた水音は途切れている。もうじき出てくるのだろう。
かちゃりと鍵を開ける音に立ち上がって振り向けば、彼女が淡いピンクの簡易ドレスに着替えて立っていた。湯あみして頬がほんのり上気している。
「お待たせしました」
昨日と同じようににこやかに微笑む彼女に、ウィルは表情を消したまま応対した。朝食の席を引くと、彼女は素直にテーブルに着いた。
ウィルが席に着くのを待って、食事に手を付ける彼女をじっと見つめる。ベルエニー家の料理人は腕がいい。昨夜も実に手の込んだ料理を見事に仕上げていた。
今朝も、おいしい朝食が準備されているが、空腹なくせに食欲がわいてこなかった。
それよりも重大な謎が目の前にいるからだ。
彼女に会話をするつもりがないのは明らかで、ウィルは黙ったまま食事を腹に詰め込む作業に没頭した。
あれほどおいしいと思っていた食事の味は全く覚えていない。食べ終わったあとには、何を食べて飲んだのか、思い出すこともできなかった。料理人には詫びておかねばなるまい。
メイドが入って来て空になった食器を片付けて下がる。そのタイミングで彼女は椅子を引いて立ち上がりかけたのを見て声をかけた。
「待ちなさい」
「今日も図書館に連れて行ってくださる約束ですよね」
「……身元不明の君に屋敷内を歩かせるわけにはいかない」
表情を消してまっすぐ見つめると、観念したのか彼女は再び椅子に腰を下ろした。そらされた彼女の瞳には逡巡が見える。
「……わたしはテオの姉です」
「今さらそれが通るとでも?」
口元をゆがめて皮肉っぽく言うと、彼女は口を閉ざして目を伏せた。
ウィルはゆっくり席を立つと彼女の後ろに回った。細い肩に手を乗せると、びくっと体を揺らした。後ろをちらりと見る彼女の目には怯えが浮かんでいた。
「離してください」
「では、一つ教えてくれ」
「……何をですか」
今朝目覚めてからこの部屋に来るまで考えていた。あの手紙の内容を。
彼女が眠りにつき、テオが目覚める。それが何を意味しているのか。
薬を受け取りに行って店に泊まったあの日。
彼女の寝室からテオは出てきた。ちらりと見えた部屋の中にあったのはベッドが一つ。
もしも自分の想像が正しいのであれば。
「……どうして君たちの家にはベッドが一つしかないんだ?」
あからさまに彼女の体がこわばった。振り向くことはしなかったものの、目を見開いたのが斜め上からでも見て取れた。
右手がのろのろと持ち上がり、胸の前でこぶしを握る。
「答えてくれないのか」
「……答えたくありません」
唇を何度も舐めながら告げたその声は震えていた。
「テオ殿が女性化の薬で変化したと言われた時は大して違和感がなかった。十四歳のテオ殿が大人の女性の体になったのだと思っていたから、体のサイズが違うのも、そんなものだろうと思っていた。目の色は違うが、もしかしたら成長すると目の色が変わることがあるのかもしれないと」
ともすれば一足飛びに話を進めそうになるのを抑え込んで、ウィルは続けた。
「だが、あの手紙をみつけてしまった。女性化の薬は嘘で、君はテオ殿ではないことを知った」
彼女は身じろぎもせずに座ったまま、向かいの空の椅子をにらみつけている。
「昨日、図書館で呪いや神罰について調べたいと言っていたね。君が眠り、テオ殿が目覚める。それは……呪いや神罰の類なのだろう? その原因を調べたかったのではないか?」
ウィルが口を閉じると、沈黙が流れた。
自分の呼吸音さえ聞こえそうな中で、彼女の体から力が抜けた。逃げないようにと押さえつけていたウィルの手から外れて椅子の背に体を持たせかける。ウィルは椅子の横に回り、肩にそっと手を乗せた。
「……ロビンソン様」
目を伏せていた彼女は長くため息をつくと、口を開いた。
「ウィルでいい」
しかし彼女は力なく首を横に振った。偽婚約者でもない者が呼ぶのははばかられる、というのだろう。
彼女なら――アリス殿なら問題ないというのに。
彼女はウィルの方へ向き直り、目を伏せたまま口を開いた。
「お願いがございます」
「聞こう」
「このまま……わたしたちを店に戻してください」
「それは無理だ。カレル様とも顔合わせをしていないし、このままでは返せない」
「子爵様のお仕事はお受けできません。他の薬師を探してください」
彼女は迷いなく言い放ち、顔を上げた。ウィルに向けられた視線には強い意志が見え隠れする。
「なぜと聞いていいか」
そう尋ねるとアリスは再び目を伏せた。
「知られてしまったら、すみやかにその土地を離れなければならないのです」
「なぜ?」
「……家族以外には知られてはならないと誓約したのです」
「誰と?」
だが、アリスはその問いには答えず、力なく首を左右に振った。
約束した相手の言葉に従うアリスに、ウィルはもやもやとしたものを感じつつも強要はできないとため息を漏らした。
「……ならば、やはり不法侵入者として拘束するしかあるまい」
この手は使いたくなかったが、このまま帰らせるわけにも逃がすわけにもいかない。渋々といった体でウィルが言うと、アリスは眉根を寄せ、上目づかいににらみつけてきた。
「勝手なこと、言わないでください。誰のせいだと思ってるんですかっ!」
「なに……?」
「ロビンソン様だったのでしょう? ピアスを抜き取ったのは」
「え……?」
思わぬ責めにウィルは目を見開いた。
――ピアス? 確かに、眠る時には外した方がいいと思ってそうしたのは間違いない。だが、それが何の関係がある?
「ロビンソン様が勝手なことをしなければ、こんなことにならずに済んだのにっ」
「ちょっと待ってくれ。……一体、何の話だ」
「だからっ……ピアスを抜き取ったから、こんなことになったんです!」
涙目になりながら自分の髪の毛を掴んで詰ってくるアリスの耳元に目をやる。形見だと言っていた猫のピアスがちゃんとつけてある。右耳のそれには、琥珀がはめ込まれていた。
目の部分にはめ込まれた石は、持ち主の瞳とそろえたと聞いた。右がテオ、左がアリスだと。
なのに、目の前のアリスは、琥珀のピアスを右耳に着けている。
「どれだけわたしたちが迷惑しているか、わかってますか?! ここまで来たのはテオの意志ですけど、そのあとのことは全部ロビンソン様のせいですっ」
「たかだかそれだけのことで……?」
「たかだかですって!? あの人の魔法を舐めないで!」
アリスは勢いよく椅子から立ち上がった。気圧されて一歩後退ると、彼女はさらに踏み込んできた。
「魔法?」
「簡単な魔法ならともかく、高難度の魔法は核となり媒体となるものがなきゃ働かないことぐらい知ってるでしょう?」
「あ、ああ。話には聞いたことがあるが……」
魔石のおかげで魔法は生活の中でも普通に使われている。魔石ランプやキッチンの魔石コンロ、魔石バスなど、貴族でない一般の家庭にも普及するほどだ。
だが逆に、生活の中で使う魔法はささやかなものばかりで、ほんの一部の才能ある者たちだけが訓練を受け、職業魔術師として力と技を磨いている。
アリスの言っているあの人というのは、その職業魔術師の一人なのだろう。
「なのにっ……せっかく夢のお店を持てたのに……」
ぽろりと目じりから涙がこぼれた。エメラルド色の瞳が悲しみに濡れ、アリスはその場に膝をついて頽れた。
「アリス殿……すまない」
ぽんぽんと話が飛んだおかげで彼女の言いたいことをすべて汲み取れたかは正直分からないが、今目の前でアリスが泣いているのは自分のせいだということだけは理解した。そして、勝手にピアスを抜いたことがまずかったことも。
アリスの前に膝をついて頭を下げる。だが、アリスは力なく首を左右に振り続けていた。手を伸ばして彼女を抱きしめようとした時。
――ベランダ側の掃き出し窓の戸が部屋の中に飛び込んできた。
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