第15話 別人? それとも?

 自室に戻って執務机に腰を下ろすと、ウィリアムは手にした紙切れを机の上に置いた。

 知らず握りしめていたせいですっかりしわくちゃになっていて、丁寧にしわを伸ばす。

 人払いをしておいたので誰かが入ってくることはないだろうが、念のために扉の鍵もかけておいた。


『テオへ』


 その一文から始まる手紙は、確かにテオに宛てられたものだった。

 その差出人は、テオの姉。


「アリス殿なのか……?」


 ウィリアムはテオにアリス以外にも家族がいるかどうか聞いたことはなかった。

 もしかしたら他にもいるのかもしれない。

 だが、だからと言って、ここにいる説明がつかない。

 彼女がアリスだとしても、納得できないことがありすぎる。


 眉根を寄せて、じっと手紙をにらみつける。


 テオはどこへ行ったのか。

 そもそも、なぜテオに目覚めた後のことをことづけるような手紙なのか。

 今、テオはどこにいるのか、彼女はどこから来たのか。

 一つだけわかっているのは、女体化の薬というのは嘘だったということだ。

 いや、あの話は、自分がもしかしてと話を向けたのが始めだった。

 おそらく都合の良い理由として飛びついたのだろう。

 だから、彼女はテオのふりをした。

 そう。

 ……ふりだったのだ。


「どういうことだ……?」


 ウィリアムは頭をガシガシかきむしる。

 ここに来た夜に、テオは消えた。そして彼女が現れた。

 明日目覚めるテオへの置き手紙。

 そして。

 今日一緒に過ごしたのがテオでないのなら、あの笑顔や眼差しは真実、自分に向けられた彼女のものだと思っていいのだろうか。

 ウィリアムは手元の紙から視線を外し、両手で顔を覆ってため息をついた。


 春の館の花の庭を見たときの彼女の笑顔は紛れもなくアリスの笑顔だった。

 満開の花さえかすみそうな彼女の微笑みは、今でも自分の中にしまいこんである。

 テオだと思っていたはずなのに、違和感に気づけなかった。

 花を見てあれほど喜ぶのは女性の方だ。自分の武勇伝をせがむテオの姿とは重ならない。

 以前、子爵の館には薬草園があることを話した時、嬉しそうに目を輝かせたのを覚えている。彼女がテオなら、花よりも薬草園を見たがるはずだ。


「どうして気づけなかったんだ」


 それは、自分のふし穴の目に対する呪詛だった。

 彼女を……いや、あの時点ではわからなくて当然だ。

 テオによく似た風貌の、しかし瞳だけはアリスの色をたたえた彼女は、テオでもアリスでもない人の姿になっていた。

 テオにはない柔和な笑みを見逃していたなどと、なんともったいないことをしたのか。


「アリス殿……」


 歯噛みする。

 自分を見る目の中になんの熱も宿っていないことはわかっている。

 自分はただ、客の代理人として薬を受け取りに来る従者程度にしか認識されていない。

 だから、少しでも彼女に近寄りたくて、テオから彼女の情報を引き出した。

 彼女に、ただの客としてではなく認識してもらうにはどうすればいいのか。

 眼鏡が野暮ったくて残念と言われたと聞けばさくっと眼鏡をやめ、チクチクしてキスの時に痛そうねと話していたと聞けばヒゲも剃り、身なりを整えれば若く見えてモテるでしょうにとと言われれば、多少複雑な気持ちながら、少しでも年齢相応かそれ以上若く見せるための試練をこなすのも苦ではなかった。

 それなのに。

 これは何の悪戯なのだ。


 この手紙によれば、明日はテオが来て、彼女が消えるのだろう。だから文章の形でテオに書き残しているのだ。

 ならば、明日にはテオが来る。

 彼からもう少し詳しく話を聞かねばならない。

 ……いずれ彼とは義兄義弟の仲となる予定なのだから。


 そうと決まれば、この手紙は元に戻しておくべきだろう。

 これからのことについてあれこれ悩むのをやめたせいだろうか、紙切れを手に立ち上がったウィリアムの表情は穏やかだった。

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