第29話 ~記憶物語~記憶相続
この時代、生物工学上の画期的製品として、外付け記憶レコーダーが普及していた。
記憶レコーダーに古い記憶を押し出して大脳の空き容量を作り、その空き容量を使って追加情報を記憶すれば、全体としては記憶力を改善することができる。
そういう着眼で生物工学を応用していった製品だった。
この記憶レコーダーだが、見た目はカツラと同じ形状をしており、通電性皮膜の表面には髪の毛を植毛している。
一方の人体の方には、後頭部の上の方に記憶レコーダーと大脳皮質を接続する端子を外科手術により埋め込むのだ。その小さく細い金属性の端子2本を記憶レコーダーの通電性皮膜の何処でも良いから、突き刺せば接続完了だ。
この記憶レコーダーには所有者の記憶が保存されている。
――その記憶が相続税の課税対象となりうるか否か?
税務署内部の議論でも意見は別れたが、仮に列記とした遺産だと認定したところで、
――その資産価値は幾らと査定すべきか?
という次なる問題が持ち上がる。
この問題に公平な回答を準備できなかったことから、税務署は遺産と認定することを諦めたのだ。
ところが・・・・・・である。勿論、記憶の内容と市場価値は千差万別なのだが、記憶の内容次第では中古市場において高値で取引されることも有る。
特に金持ちというのは、庶民の手が届かない様々な娯楽を経験している。一般庶民としては、仮想現実でも構わないので、金持ちの生活の一端を体験したつもりになってみたいという誘惑を抱いていた。
カジノで大勝ちしたり大負けした挙句に、美女に囲まれて高価なシャンパンを浴びる程に飲んだりする酒池肉林型の体験。
或いは、個人のクルーズ船を駆って、世界の7大陸を遊覧。南極大陸にも上陸して皇帝ペンギンと戯れたり、北極海に浮かぶ氷山の群れを縫うように航海してオーロラを追い求めたりする冒険型の体験。
飛行機のファーストクラスで世界を一周し、宿泊客は自分だけという小島でバカンスを楽しんだり、辺境地の奥地までキャラバンを組んで世界遺産を見学したりする豪遊型の体験。
危ないところでは、阿片窟に籠って、麻薬に溺れる体験なんかもあった。勿論、その後には苦しいリハビリの記憶が続くのだが、第三者としては、その苦しい後半部分を無視すればいい。
記憶レコーダーを相続した遺族は、伝手を辿って記憶を売買するブローカーに遺品を持ち込んだ。
「放蕩三昧の爺さんで、自分の代で財産を食い潰してしまいましたが、それだけに楽しい人生を送ったはずです。是非、その記憶を査定してはもらえませんか?」
「分かりました。ところで、査定の手間を軽くするという意味でお尋ねしますが、お爺様はどのような人生を送られたのですか?
勿論、楽しい人生。つまり、売り物になりそうな人生だけで結構です」
「冒険家に憧れていましたからね。よくハンティング・スーツをトランクに詰めて、アフリカなんかに行っていました。
野生動物保護条約が厳密に運用される前の時代です。ですから、密猟に参加した記憶なんかが残っていると思います」
「それは高く買い取れるかもしれませんね」
「それで、どのくらいの日数で査定額が分かるのでしょうか?」
「そうですね。お爺様から引き継いだ暗唱番号が正しければ、1週間程度で査定額をお知らせできます」
「記憶レコーダーは、その時に返却いただけるのでしょうか?」
「記憶レコーダーの返却は数カ月後となります。
と申しますのは、1週間で判明するのは、どういった記憶が残っているかという内容だけです。
お爺様の御記憶を第三者の大脳で再生しようとすると、相性の問題から中々うまくいきません。それを第三者が楽しめるように加工しなくてはなりませんので、その作業日数が結構嵩んでしまうのです」
「それで、第三者も爺さんと同じ記憶を楽しめるようになるのですか?」
「完全に同じというわけには参りません。本当の自分の記憶と比べて多少の違和感は残ります。
ですが、娯楽という観点での記憶観賞としては、満足の行くレベルになるでしょう」
「爺さんの記憶を楽しめる第三者は1人だけ?」
「いえいえ、不特定多数の御客様にお売りします。我々も商売ですから、薄利多売で多くの御客様に売らないと、あなた様への査定額も提示できません。
もし不特定多数の方に記憶を売るのが嫌でしたら、そうおっしゃってください。今回の査定の話は無かったものとさせて頂きます」
「いえいえ、異存は有りません。是非、爺さんの記憶で商売してください」
それから1週間後。ブローカーから遺産相続人に連絡が入った。
「お待たせ致しました。査定額が出ました」
「御待ちしていました。早速ですが、幾らですか?」
「全て合わせて、300万円でございます」
「その程度なんですか。もう少し高い金額を期待していました」
遺産相続人はすっかり肩透かしを食らった気分である。
「御期待に添えなくて申し訳ありません。
あなた様も御存知の通り、娯楽記憶は1本3千円程度で販売していますので、1,000人に販売できて初めて査定額の原資が賄えます。実際には記憶の加工賃や販売手数料なんかが嵩みますので、5,000人程度に販売できて初めて、我々の商売はトントンとなります。
お爺様の記憶は、正直に言うと、際物ではありませんでしたので、中々販売本数は増やせないと思います」
「そう計算していくと、こんなものかもしれませんね」
ブローカーの理路整然とした説明を聞き、遺産相続人も現実の世界に目が覚めていく。この世の中で“瓢箪から駒”みたいな話は宝くじしか無いのだ。
「ところで、売り物になりそうな記憶は幾つありましたか?」
「7つです。
先に御説明頂いたようなアフリカ象の密猟の記憶は確かに有りました。
他にも、アマゾン河を探検された時の、フラミンゴの大群が空を覆うような景色の記憶とか、なかなかの内容のものが有りました。
商品化された暁には、あなた様にも製品Noを御報告いたします。
それで、査定額には満足頂けますでしょうか?」
「分かりました。お売りします」
「ありがとうございます。
ところで、記憶レコーダーは郵送にて返却させて頂くことで構いませんか?」
「いやあ、爺さんが着用していたカツラを貰っても保管に困りますし、そちらで処分してください」
「承知致しました。
それでは、査定額の300万円を御指定の銀行口座に振り込ませて頂きます」
実は、この記憶レコーダーにはピンポイントで高く売れそうな記憶が1つだけあった。
アフリカ象の密猟のためにサバンナを駆けずり回った探検旅行の途中で、亡くなった老人は象の墓場に辿り着いていた。大量の象牙を発見したが、その時は運搬能力が無くて、回収を断念したようだった。
当時は野生動物保護条約の規制も緩かったので、象牙の値打ちも今ほどではなかった。
この記憶を密猟業者に渡してやれば、今なら記憶の中の風景と地図情報を照合することで、その所在地を高い精度で特定することが可能だった。ただ、一般人がそういった密猟業者に辿り着くことは不可能だ。蛇の道は蛇である。
記憶を取引する闇社会としては偶にだが、正規ルートの中古市場で売り捌くよりも、こういったアルバイトの身入りの方が大きくなるケースがある。遺産相続人との話を終えたブローカーは、その筋の闇社会に連絡を着ける手筈を取った。
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