第23話 ~記憶物語~帰還兵の選択

 米国国防総省と富樫医科工業という日本企業の間で、包括提携が結ばれた。

 富樫医科工業は、外付け記憶レコーダーのトップメーカーである。

 その富樫医科工業は、国防総省に対して外付け記憶レコーダーを独占供給する替わりに、帰還兵への装着、使用ノウハウを供与するという内容の包括提携だった。

 外付け記憶レコーダーとは、生物工学上の画期的製品で、既に日本では普及期に差し掛かっていた。

 記憶レコーダーに古い記憶を押し出して大脳の空き容量を作り、その空き容量を使って追加情報を記憶すれば、全体としては記憶力を改善することができる。そういう着眼で生物工学を応用していった製品だった。

 ところが、国防総省との間で交わした包括提携の目的は、記憶力の向上ではなかった。戦場での過酷な経験によりPTSD(心的外傷後ストレス障害)を患った疾病兵の治療に供するのが目的である。

 忌まわしき記憶を記憶レコーダーに移し、そのまま記憶レコーダーを廃棄してしまえば、疾病兵は悪夢から解放される。つまり、病原を根絶できるはずだという発想である。

 その記憶レコーダーが流出することになれば、兵士達の戦場体験がマスコミ界などに流れ、国防総省に反対する世論を喚起しかねないので、その廃棄作業には国防総省が責任を持つ。

 具体的には、記憶レコーダーの購入・装着費用は国防総省が面倒を見る。だから、疾病兵が自腹を切って、管理が杜撰な市中から記憶レコーダーを勝手に手配することは、経済合理性の面から考え難い。

 そういった軍人社会の仕組みを構築するのが包括提携の目的であった。

 この記憶レコーダーによる治療は、PTSDに悩む疾病兵を数多く救済した。難を言えば、戦場に赴いている期間の記憶が無くなるので、人生にポッカリと穴が開いた様な気分になるが、PTSDに悩まされて社会復帰できないよりはマシである。

 金が有る疾病兵であれば、その空隙に仮想記憶を植え付ける施術を受ければいい。但し、腕の立つ施術者は極めて限られてはいたが・・・・・・。

 この治療を受けるのがアメリカ軍人の中でも当たり前になってきた時節。帰還兵の1人であるジョンは、治療を受けるか否かに悩んでいた。

「戦場で人を殺めた過去は消せない。自分の記憶から消去することは、一種の偽善だ。

 殺人の罪を忘れ去るというのは、神に許される所作なのだろうか?」

 戦場で敵を殺めることは兵士の本分であり、そんな悩み方をする兵士は極めて稀だ。

 でも、ジョンは、人生経験を大して積まぬ若いうちに、単純な愛国心に駆られるがまま志願し、そして戦場に赴いて行った。平均的な兵士に比べて、遥かに道義心が厚かったのだ。だからこそ、余計にPTSDに悩まされた面もあった。

 無事に本国に帰還した後、教会の日曜ミサには毎週欠かさず出席した。何度も牧師に懺悔し、神に許しを乞うた。でも、罪悪感は一向に軽くはならず、重くなるばかりであった。

 挙句の果てが、PTSDを患い、社会生活を続けられなくなった。

 治療の相談を受けた牧師は、

「あなたは十分に罪を悩まれました。そのことは神も御存知です。治療を受けても、きっと神は許されますよ」

 と背中を押してくれたが、ジョンには踏ん切りが付かなかった。そうやって、思い悩む時間がズルズルと長引いていった。


 結局、そんなジョンが選択したのは、荊の道であった。

 記憶レコーダーと同じ時期に日本からアメリカに渡ってきたバーチャルカプセルを使って、自分の戦場体験を第三者と共有する活動を始めたのだ。第三者に戦場を疑似体験してもらうことで、戦争の真の姿を理解してもらう。

 それは反戦活動であった。だが、それが罪滅ぼしだと思った。

 バーチャルカプセルとは、カプセルの中に入った発信者の頭皮に無数の電極を貼り付け、その記憶内容をバーチャル空間に投影することで、受信者と記憶を共有できるようにした装置である。

 受信者は、発信者と同様、半径1m程度の縦型カプセルに張った電解液に浸かる。そして、水着を着用し、ゴーグル付きのヘルメットを装着する。

 そのゴーグルにはジョンの記憶が仮想空間のごとく広がる。準備されたカプセルの数だけ、複数の受信者が同時にジョンの記憶を共有できた。

 但し、受信者のゴーグルに映るジョンの記憶映像には、ボカシ加工が加えられていた。そのままの映像を投影しては、受信者がPTSD患者になりかねないからだ。

 その修正された記憶でも相当な迫力で、真面目な反戦活動家に限らず、興味本位の者、更にはゲームに飽き足りない者までもが肝試し気分で参加した。でも、そういったツワモノでさえ、ゴーグルを外す時は憔悴し切ってしまい、無口になった。

 一方のジョンは、この再生イベントの度に、忌まわしい記憶を追体験することになる。その回数を重ねるたびに、ジョンの精神的ダメージは蓄積されていった。

 そして、この活動を始めて5年も経った頃、正常な精神状態を保てなくなったジョンは、教会が運営する精神病院に入院した。

 精神病患者の大半には奇行が見られるが、ジョンは自暴自棄の暴力を病院スタッフに振るうでもなく、極めて行儀が良かった。行儀は良かったが、それは生きる力を喪失したと言うのが相応しい状態で、食事を摂ることも理解できず、徐々に衰弱していった。

 そして、入院して間もなく、ジョンは短い人生を閉じることになる。


 記憶というものは時間と共に多少は薄れる。そして、自分の精神状態も、いつまで耐えられるかが心許なかった。

 だから、ジョンは、外付け記憶レコーダーを購入し、自分の記憶が鮮明なうちにレコーダーに保存しておいた。再生イベントのたびに、その保存した記憶を自分の大脳に呼び戻していたのだ。

 ジョンは、自分を支援してくれたボランティア団体に、遺言を残していた。

「自分の死後、レコーダーに保存した記憶を使って、この活動を続けて欲しい」

 レコーダーに保存した記憶を再生する際、記憶と大脳の相性というものが有るらしく、本人の大脳以外で再生すると記憶がぼやけることが不可避だった。だが、この場合には、その弊害は寧ろ望ましい現象であった。ジョンの記憶映像を意図して加工する手間が省けるからだ。

 ジョンの死後、彼の遺言に従って、ボランティア団体は活動を再開しようとした。

 だが、試しにレコーダーの記憶をバーチャルカプセルで再生しようとすると、ジョンの戦場での記憶は失われており、その替わりに、蝶のような、天使のような白い物が仮想空間をゆらゆらと飛び回っているのみであった。

 この不思議な出来事について、ボランティア団体の人間が、精神病院の院長に話したところ、

「入院した時には既に話ができる状態ではなかったけれど、ジョンの入院中、彼が両手を挙げて宙を見上げ、1人で微笑んでいる姿を何度も目にしたよ」

 という証言が、何人もの病院スタッフから寄せられた。

 レコーダーの記憶は再生イベントで何度も使用されており、確かに戦場の記憶だったはずだ。ジョンが精神病院に入院する際にはレコーダーを彼の頭から取り外しており、それ以降はボランティア団体が保管していた。

 誰かがレコーダーに手を加えることは不可能だった。でも、戦場の記憶は白い浮遊物の映像に変わってしまっていた。

 恐らく、その白い浮遊物は確かに天使の映像で、ジョンは入院中に天使の祝福を受けていたのだろうと、誰もが思ったのだった。

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