第9話 ~記憶物語~犯罪捜査1(取り調べ)
都内某所、独り暮らしの若い女性の絞殺死体が発見された。
職場の上司が、無断欠勤を続ける彼女の様子を確認したいと、賃貸マンションの管理人に頼んで部屋の鍵を開けてもらったところ、うつ伏せに倒れている彼女を発見したのだ。
ベランダに出る窓のサッシは、鍵の周辺ガラスが丁寧に円形状に切り取られ、犯人はそこから部屋の中に侵入したとみられる。
被害者は、風呂上がりの裸体に白いバスローブだけを引っ掛け、夜風を入れようとサッシに近づいたところ、待ち伏せしていた犯人と鉢合わせ。慌てて逃げようとしが、犯人に後ろから襲われた模様だ。
早速、警視庁内に捜査本部が設置された。死亡推定時刻は午後10時から12時までの間と判断された。
被害者宅は、5階建てマンション3階の角部屋。屋上から侵入するにしても、5階と4階の住人に気付かれずに3階まで降りる必要があり、難しそうであった。
つまり、外部から侵入するのは容易なことではない。鑑識はベランダや屋上のフェンスを虱潰しに調べたが、忍者道具の鉤縄を引っ掛けたような形跡も無かった。
捜査本部は侵入経路の解明を指示し、被害者に対して怨恨を抱く者、近在の変質者の方向から捜査することを決めると、捜査官達を散会させた。
並行して地道な捜査活動も展開した。
まずは、現場周辺の監視カメラの映像をチェックした。但し、住宅街のど真ん中なので設置台数も少ないし、その映像も帰宅を急ぐ住民達が映っているだけで、不審な点は見当たらなかった。
電柱の陰で待ち伏せしているような人物も数人いたが、全て身元が判明し、事件との関連は無いと確認された。
また、捜査官達は半径500m圏内の周辺を徹底的に聞き込み調査した。但し、東京という大都市にありがちな事であるが、住民達は隣近所の住人に大した関心を抱いていない。しかも、就寝前の時間帯である。めぼしい目撃情報は集まらなかった。
替わりに、住民達が捜査官に訴えたのは、折角なので警察に談判しておきたいという話が多かった。
不審車両が路上駐車していたとかの情報も有ったが、監視カメラの映像では運転者が降車することなく再発車しており、事件との関連は無さそうであった。
多々有る住民情報の中で、老刑事のカンに引っ掛かった情報が1つ有る。
ドローンが時々飛んでいる、と。犯行現場を下調べするのにドローンは最適だ。
警視庁に戻ってドローンの登録記録を確認したが、周辺住民の登録は無かった。老刑事はドローンの目撃情報に絞って再び聞き込みを行った。
すると、燈台元暗し。被害者宅の隣に建つ木造2階建ての庭にドローンが着陸するのを見た事があるとの証言を得た。
老刑事は第一課長に頼み込み、被害者宅のベランダから木造家屋の屋根に向けて、動体監視カメラを設置した。そして、事件発生から1カ月以上も過ぎた頃、ドローンが飛んだのである。
その1カ月余り、捜査本部に進展は無かった。だから、第一課長は、ドローンの無許可操縦の現行犯という別件逮捕に踏み切った。糸口は1つでも多いに越したことはない。
容疑者の取り調べは、科学捜査研究所で行われた。研究所内にバーチャルカプセルが設置されているからである。
バーチャルカプセルとは、カプセルの中に入った容疑者の頭皮に無数の電極を貼り付け、その記憶内容をバーチャル空間に投影することで第三者が検証できるようにした装置である。
今でも、逮捕状の請求に際しては、公判を維持できるだけの証拠を揃える必要が有る。
バーチャルカプセルが実用化された現代においては、物的証拠に加え、容疑者の犯罪記憶を採取することが望ましい事とされた。今や自白の重要性は殆ど無かった。自白を強制されたか否かで紛糾するよりも、本人の記憶を確認する方が手っ取り早く、確実である。
今回も、バーチャルカプセルにより、容疑者の犯行手口が明らかになった。
容疑者は、自宅の敷地内からマンションの壁に長い梯子を立て掛け、その壁面に透明な直径30㎝大の円形粘着シールを貼り付けていた。日用雑貨の吸盤フックの密着性を高めるために下地に貼り付ける透明シールを軍事用途に改良した代物である。
ロッククライミングの要領で、軍事用吸盤を装着した腕と膝が交互に届く距離に粘着シールを追加で貼り付けて、壁面を這い登るのだ。テロ対策部隊が使用する壁面侵入キッドを、容疑者はネット通販を通じて米国から輸入していたのだ。
改めてマンションの壁面を検証したところ、飛び石状に貼り付けられた粘着シールが確認された。その粘着シールの列は、地面からの視認では見過ごしてしまう高さから始まっていた。
この事実を突き付けたところ、容疑者はうなだれて、それが事実だと認めた。
数か月をかけ、夜陰に乗じて、少しずつマンションの壁面に粘着シールを貼り付けていったと自供したのだ。但し、容疑者が認めたのは家宅侵入罪だけである。
容疑者は、自分が侵入した時には既に被害者が殺害されていた。自分は怖くなって、サッシの窓ガラスに穴を開けただけで逃げ帰ったのだ、と言い張った。
捜査官達は、そんな馬鹿な、と憤った。バーチャルカプセルで再生された容疑者の記憶には、被害者を殺害する映像が映っていたのだから。
その点を追及すると、容疑者は「それは犯罪体験ゲームの記憶だ」と反論した。 ゲームの内容だとすると、「容疑者の顔や犯行現場の部屋が再現されているのはおかしい」と捜査官達は迫った。
容疑者は、ドローンを使って被害者宅を頻繁に覗き見していたのだから、記憶が混濁するのは自然な事だと言い張った。
容疑者の記憶映像に映った被害者の太腿には鮮明にホクロが付いている。これは現実世界の映像だという心証を捜査官達は強く抱いていたが、ホクロだけでは再生時のシステムバグかもしれない。根拠が薄弱だと、公判で弁護人に反論されてしまうだろう。
捜査本部では、家宅侵入罪とのぞきの軽犯罪ではなく、容疑者を殺人罪で送検すべく、その主張の切り崩し策を悩み抜いた。そうやって呼ばれたのが、件の犯罪体験ゲームの作者である。
容疑者の記憶映像を見たゲーム作家は、任せてください、と自信たっぷりに言った。
但し、ゲーム作家は、探偵小説の熱烈な愛好家であり、犯人の前で謎解きをしたがった。
容疑者を収容したバーチャルカプセルに自分をシンクロさせる事。それが、ゲーム作家が警視庁に提示した捜査協力の交換条件であった。
こうして、容疑者は再度バーチャルカプセルに収容され、その記憶映像にはゲーム作家も登場した。
「僕のゲームを愛好してくれて有り難う。
ええっと、名前は教えてもらってないから、ジェイソン君と呼ぶかな?」
容疑者は自分の記憶世界と謂えどもゲーム作家を警戒して何も答えない。
「それでは、ベランダに侵入した時点からのジェイソン君の記憶を再生するよ。
お巡りさん、お願いします」
真っ白な世界に容疑者とゲーム作家の2人だけが並んで立っていたが、ゲーム作家がそう言うと、周囲に被害者のマンションが現れた。
容疑者は、ゲーム作家の隣から消え、スパイダーマンの様に壁からベランダに侵入し始めた。
「ジェイソン君って、結構、身軽なんだね。
僕のゲームを再現できる人間がいるとは驚きだが、この壁から侵入する手法の著作権は僕にあるからね。忘れないでくれよ。」
ゲーム作家は饒舌だった。
以前に採取した記憶データなので、容疑者が動揺したとしても映像は崩れず、再生は続いた。
容疑者は窓ガラスの鍵を外し、サッシをそうっと開けた。カーテンが揺れる。
すると、被害者が小さく、アっと声を出すのが聞こえた。
その声に慌てた容疑者は、カーテンを乱暴に引き開けた。
黒いダイバースーツを着た容疑者が部屋に踏み込んだ。
両目を大きく開け、口を両手で覆った被害者が恐怖に膠着する。
膠着したのも一瞬で、被害者は即座に身を翻すと、玄関の方に逃げだそうとした。
被害者の背中を追う容疑者。
容疑者の右手が被害者の右肩に掛かり、被害者を強く引き倒そうとした。
その時、
「ストップ!」
ゲーム作家が大声で叫んだ。
「お巡りさん。3秒だけ戻してもらえますか?」
映像は逆回転し、容疑者の右手が被害者の右肩に触れる直前まで戻った。
「さあ、ジェイソン君。
このジェイソン君っていう呼び方。「ワトソン君」って言うホームズみたいで、堪らないねえ」
ゲーム作家の解説は脱線気味でもある。
「いやいや、本題に戻らなければ。
さて、ジェイソン君。君の右手の角度を見てくれたまえ」
ゲーム作家は、容疑者に近づき、彼の右腕の横に膝を曲げて屈むと、そこを指差した。記憶映像の中で勝手に動けるのはゲーム作家だけである。
容疑者が脳内で右手の角度を視認したか否かは判断できないが、まあ視認したとしよう。
「君の右手は、僅かだけれど、上がって伸びているよねえ?
この被害者の身長は高いものね。彼女、モデルかな?」
ゲーム作家は、どうだ、参ったか?という顔付きをして、容疑者に振り返った。
「僕のゲームの設定ではね。大男が少女を襲うことになっている。
少女を襲うという状況が、ファンの心をくすぐるんだよ。だって、ゲームというのは現実逃避やら妄想するための道具だからね。
だから、ゲームの中だったら、君の右手は下に伸びているはずなんだよ。だって、被害者女性の身長は、君よりずっと低いはずなんだから。
大人の女性が相手なら、単に襲うより知恵を出して口説くべきなんだよ。
そうすれば、犯罪ゲームじゃなくて、彼女への告白を控えた男性ゲーマー用の練習ソフトとして販売できるからね。
彼らは得てして高い値段でゲームソフトを買ってくれるんだ。財布に余裕があるし、告白が成功した時のリターンが大きいからね。
ジェイソン君は、告白シミュレーションのゲームソフトを買った事は無いかい? 少し高かっただろう?」
また脱線しそうだったので、バーチャルカプセルの外で遣り取りを見守っていた捜査官が、ゲーム作家の音声データを切った。ゲーム作家は口をパクパクさせる。
それに気付いたゲーム作家は、やれやれという表情をすると、両手を軽く挙げて降参のポーズをした。ゲーム作家のセリフに音声が戻る。
「お巡りさんは無粋だから困るね。まあ、仕方ない。でも、これで分かっただろう?
ジェイソン君の記憶映像は、僕のゲームとは異なるんだ。
この他にも、微妙にゲームの設定と違う動作が散見されるけど、1番分かり易い指摘は、これかなあ。
この事を裁判で証言すれば、君の主張は絶対に崩れるよ」
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