第8話 ~アニー物語~人工知能の衰え
22世紀。地球は連邦政府の下に統一され、その社会、政治・経済の運営を大きく人工知能に依存していた。
全世界で稼働する何億体というアンドロイドを1つ1つのデータサーバー兼人工知能ユニットとし、そのアンドロイド達を有機的に連結するためにシステムネットが張り巡らされていた。
人類は、システムネットに、考え得る限り、あらゆる記録をアーカイブとして保存した。そして、記憶という低級な知的作業から自らを解放したのだ。
勿論、人類は記憶という大脳機能を失ったのではなく、甘酸っぱい、或いは、ほろ苦い個人の過去を記憶し続けている。ただ、社会活動への参加を目的とした記憶学習の責め苦からは解放されたという事だ。
今や人類は、科学的発明や芸術的創作という、よりハイレベルな知的作業に集中するようになったのだ。
中世末期のヨーロッパでは、教会支配による文化的暗黒時代からの解放を目指す第1次ルネッサンが始まったが、21世紀後半から22世紀にかけて、地球規模の第2次ルネッサンスが巻き起こったと言える。
そんな時代の市民の日常生活において、おや? と思う現象が起き始めていた。
このアンドロイドは、アメリカに本拠地を置く製造会社が全ての知的所有権を保有し、その会社からの技術供与により全世界で製造されている。その製造会社の名前はアニー社。だから、その会社が製造するアンドロイドは、アニーという愛称で呼ばれていた。
キッチンで調理した料理の品々を、アンドロイドのアニーがダイニング・テーブルに運んできた。
ダイニング・テーブルには、30歳を過ぎたばかりの主婦と2人の小さな子供が座り、料理が運ばれるのを待っている。
料理は主婦の仕事ではなくなっていた。主婦の仕事は、アニーに希望メニューを告げ、子供達に食事マナーを躾けることである。
スープ皿にスプーンを浸け、一口それを飲んだ主婦は眉間にシワを寄せた。
「アニー? 今日のスープの味付け、少し濃いんじゃなくて?
前回までは、お母さんの味付けをそっくり再現できていたんだけど。何かトラブルが発生したの?」
「いいえ。調理過程で異常事態は発生しませんでした。
調味料の分量、加熱温度、加熱時間、全て前回の実績データを再現しました」
「そうなの? 私の体調がおかしくて、味覚が変になっちゃったのかしら」
「奥様をサーモグラフィーで観察する限り、体調に著しい変化は感知できません。
ですが、用心のため、医療センターでの受診をお薦めします。医療センターでの受診を予約致しましょうか?」
「いいえ、その必要は無いわ。面倒臭いから。
もし、自分でも変だなと自覚できたら、その時にお願いするわ」
同じ頃、東京都心では、ハイパーループ・ステーションからタクシーに乗り込んだ中年男性が、運転席に座ったアニーに目的地を指示した。
「小川町の演劇場まで行ってくれ」
「かしこまりました。お客様の安全のため、シートベルトをお締めください」
そう言うと、アニーはタクシーを静かに発車させた。
中年男性は、車窓を流れる街の風景をぼんやりと見遣る。ところが、いつもとは違うルートをアニーが運転していることに気付いた。
「おい。いつもとは違うルートを走っているようだが、今日は何か交通事故でも起きたのかい?」
「いいえ。目的地までのルート上に交通事故は発生しておりません。河合様」
「えっ! 俺の名前は石川だが?」
「バックミラーに映るお客様を顔認証した結果、埼玉県にお住まいの河合実様だと認識しております。
現在、埼玉県比企郡小川町に所在する演劇設備も備えたレクリエーションセンターに向かっております」
「いいや、俺は茨城県在住の石川彰浩で、千代田区小川町の神田演劇場に行ってもらいたいんだ。
行き先を修正してくれ」
「失礼しました。行き先を変更致します」
そう言うと、アニーはタクシーを東に転進させた。
石川は、自分の顔を手で撫で回した。
顔認証システムで認識されないほど、最近、俺は太ったのだろうか? 自宅のアニーは俺に体調変化を告げなかったが・・・・・・。
更に、東京から遥か離れた日本の地方では、或る製品の製造工場の操業報告会で、工場幹部たちが操業実績を確認していた。
「約3カ月前から急に、この工程の歩留が落ちていますね。一時的な現象かと思いましたが、3カ月も続くとなれば、何か原因が有るのでしょう」
「でも、不思議なことに、その直前の工程の歩留は改善していますね。何か因果関係があるのでしょうか?」
操業報告会の出席者たちは腕組みをして考え込んだ。その内の1人が自信なげに意見を述べた。
「歩留が改善した工程の検査実績を確認してみませんか? 何か兆候が出ているかもしれません」
一堂は、その提案を採用し、検査工程に配置されたアニーを会議に呼んだ。
招集されたアニーが現場から事務所に移動するのに10分ほど要する。その前に予備アンドロイドを検査工程に向かわせなければならない。
「待っていたぞ、34号。34号の配置された検査工程の結果を、過去4カ月分、報告してくれないか」
アニーは、自分の指先をプロジェクターに触れさせると、検査実績をスクリーンに映し出した。
「34号。何故、この工程の実績データが3カ月前を境に無くなっているのかね?」
「その理由は、検査してないからです」
一堂が黙り込む。さっぱり事態が飲み込めない。
「何故、検査していないんだ?」
「その理由は、作業マニュアルに記載されてないからです」
「では、何故、4カ月前は検査をしていたんだ?」
「原因不明です」
会議室内は騒然となった。
作業マニュアルが改変された原因は不明だが、歩留変化の原因は明らかだ。対処療法として、作業マニュアルに検査を再掲するようアニーに指示した。
こういう現象が全世界で散見されるようになり、地球連邦政府内でも臨時の局長会議が招集された。
連邦大統領の他、アメリカ局、ヨーロッパ局、アジア局、アフリカ局の4局長がメンバーだ。この臨時会議に電子工学の最高権威が参考人として呼ばれた。
「それで、博士。現在、世界中で何が起こっているのですか?」
「一言で言うと、我々人類と同じように、システムネットが痴呆症を起こしています」
「人工知能もアルツハイマー症に罹るのですか?」
電子工学の最高権威は沈痛な表情で頷いた。
「然様。セキュリティー対策もあって、システムネットに組み込まれたアンドロイド達は、お互いが保存した記録を定期的に保存し直しています。
この複写過程でバグが発生するようです。これは想定外でした。
単純複写に失敗など起きるはずがないと思い込んでいましたが、所詮は確率の問題。
殆どゼロに近いとはいえ、ゼロではなかったという事です。こういうバグが100年もの長きに渡り、システムネット内に蓄積されていったのでしょう」
「それで、解決策は有るのですか?」
「残念ながら、直ぐには解決策を思いつきません。少し、お時間をください」
連邦政府は、科学者達が抜本策を講じるまでの間、システムネットを疑って暮らすよう、世界中の市民に通達を出した。
市民は約100年ぶりに記憶学習や確認作業という低級な知的活動を強いられるようになった。
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