第6話 葛餅虫

 単細胞生物の葛餅虫くずもちむしは、東南アジアの奥地で、日本の昆虫学者によって発見された。

 正確には昆虫ではないが、ミドリムシが虫ではないのと同じように、その大きさがウズラの卵ほどもあるので虫と命名された。

 その外観は葛餅そっくりで透明だ。弾力性のある細胞膜が水分を蓄えている。

 生態は詳しく分かっていないが、熱帯雨林の地面の隙間などに転がっている。まさに転がっていると言う表現が適切で、鞭毛べんもうの類は一切なく、動く能力は全く無い。

 自発的な生殖活動は観察されておらず、何かの衝撃で細胞が割れると、細胞膜の裂け目が癒着し、2つに分裂する。そして、水分を改めて蓄積していってウズラ卵の大きさに復元する。

 細胞を乱暴に破裂させると、2つではなく、もっと多くの葛餅虫となって再生する。

 葛餅虫の細胞膜は不思議な構造をしているようで、海水なんかに入れると浸透圧の作用で徐々に小さくなる。塩を掛けても小さくなる。でも、ナメクジのように死に至ることはない。

 また、乾燥にも強い耐力を示す。蒸発によって葛餅虫が小さくなることはなさそうだった。

 厳しい環境に強いからと言っても、生物なのだから寿命はありそうだ。ただ、発見されてからの日が浅く、その寿命を観察するには至っていない。

 一方で、仮に寿命が長かったとしても、生殖活動が他人任せなので、これまで劇的に繁殖することもなく、ひっそりと生きてきたようだった。

 日本の昆虫学者がアメリカの科学雑誌で葛餅虫の存在を発表すると、早速、中東の富裕国が着目した。原産地国の政府に接触を試み、その活用策を打診した。

 葛餅虫を砂漠の緑化に活用するのだ。

 東南アジアで水分を蓄積した葛餅虫を中東の砂漠に埋める。植物が根を延ばし、葛餅虫から水分を得ることは可能なようだった。

 砂漠地帯といえども降水量はゼロではない。その僅かな雨水を葛餅虫は再び備蓄するだろう。つまり、砂漠の保水能力を高める機能を葛餅虫に期待したのだ。

 最初、中東の富裕国は、ウズラ卵の大きさになった葛餅虫をそのまま、緑化予定の砂漠までコンテナ輸送しようと試みた。

 でも、葛餅虫が破水する確率が高いのが難点であった。

 別に破水しても葛餅虫は死ななかったが、搬送先の中東が乾燥地帯なので、ウズラ卵の大きさに回復することもない。中東の富裕国としては、何のために輸入したのかわからない。

 輸送の実現には、葛餅虫を衝撃から守る緩衝材が必要だった。

 だから、東南アジアでは、掘り便タイプの浄化槽から回収した糞尿をドラム缶に詰め、その中に乾燥した葛餅虫を放り込んだ状態で輸出するようになった。

 手っ取り早いからである。下水処理の解決策にもなる。

 実は、この方法は受入側の中東でも利便性があった。葛餅虫は糞尿から水分だけを取り出してウズラ卵の状態になる。

 水分を吸い取られた、つまり半ば乾燥した糞尿は良い肥料となった。寄生虫の類は、運搬船が赤道付近を航行する間に、糞尿が乾燥する影響もあり、駆除された。

 こうやって、中東の富裕国では、徐々に砂漠の緑化が進み始めたのだ。

 この動きを天空から好ましく思って見ていた人物がいた。人物ではなく、神物というべきか。オリュンポス寝殿で奥方のヘラと一緒に寝そべっていた大神ゼウスである。

 自らが作り出した人間であったが、地球環境に遠慮しない人間達に対して、ゼウスは苦々しい感情を抱いていた。

 これまでは、アマゾンなどの熱帯雨林を乱開発すれば、未知の病原菌が人間達を襲うワナを仕掛けていた。

 ところが、人間達は、最初こそ混乱するものの、直ぐに対応策を講じてしまう。人間に知恵を与えるべきではなかったと地団駄を踏んでも、後の祭りであった。

 だが、今回は違った。人間達に彼らの利に叶うと信じ込ませた上で、彼ら自身の努力によって地球環境を回復させるのだ。

 ヘラの膝枕に頭を載せたゼウスは雲間から地球上の砂漠の一画を見ながら、桃をかじるヘラに向かって得意げに言った。

「どうだい、ヘラ。今度と言う今度は、私の知恵の勝利だな」

 ヘラは、ゼウスの金色の巻き毛に指を通しながら、良かったわね、と愛想を言った。ヘラとしては、浮気に知恵を使うのでなければ、ゼウスが何を考えようが気にしなかった。

 中東の富裕国では、まず市街地の周りを緑化することでオアシスを形成した。乾燥に強い植物、例えばオリーブなんかを植林した。

 徐々に緑化面積が広がると、富裕国にも欲が出てくる。オリーブやナツメの植林だけに満足できず、麦や蕎麦の栽培もやってみたくなる。食糧自給率を少しでも上げたいと思うのは当然だ。

 ところが、中東の富裕国には農業経験が無かった。なにせ砂漠の国だったのだから。

 そこで、富裕国は農業のコンサルタントを雇うことにした。

 ただ、欧米諸国の会社は敬遠された。OPEC設立まで欧米の石油メジャーに良いようにされた苦い経験がトラウマになっていたからだ。

 だから、契約料の安かった中国企業を農業コンサルタントとして採用した。

 採用された中国企業は、中東の緑化地帯でも、中国本土と同じ手法を展開した。

 具体的には、化学肥料を散布し、収穫量を急増させようとしたのである。中国企業は、穀物の売上高の一部を歩合制で受け取る条件で、最初の契約料を安く抑えていたのだ。

 ところが、化学肥料は土壌の塩分濃度を上げた。この結果、葛餅虫は細胞内に水分を蓄えることが出来なくなり、土壌に浸み出した水分は熱波に蒸発していった。砂漠に逆戻りし始めたのである。

 この変化を天空で見ていたゼウスは、両手で顔を覆うと嘆息した。

「何と言うことだ! 奴らの欲望は節度というものを知らない。

 求め過ぎては全てを失ってしまうという事が分からないのか・・・・・・」

 神からの恵み物を無駄にしおって! とゼウスが怒った瞬間だけは、場違いな雷雨が砂漠を襲ったが、その雨も即座に蒸発した。信仰を非科学的な行為と退ける中国共産主義の前では、ゼウスの嘆息や怒りも、無意味だった。

 ゼウスは深呼吸して気持を落ちつけると、慈悲深さを取り戻した。

「まあ、良い。さすがに奴らも同じ過ちは犯さないだろう。

 東南アジアの葛餅虫は健在だ。まだまだ手付かずの砂漠も広がっている。

 もう一度、奴らが遣り直すのを見守るとしよう」

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