45 ミオという名

 ■


 ミオはサブポイント170近くの土手に座っていた。夜明けにはまだ早く、空には無数の星々が瞬いていた。風が季節が秋へと変わりつつあることを告げていた。


 “サブポイント170”、それは航路が各種作戦のためや万が一に備えて確保していた小型のアジトのようなもののひとつだった。今やそこにはエリカ率いる本隊の他に、あの共同作戦のために出撃していた各隊の多くが合流していた。あのときエリカが各隊に本隊の救援をさせなかったことが功を奏し、航路の戦力は大して低下することなくすんでいた。


 ミオはひとりで土手で夜風に吹かれていた。そこは今や彼女のお気に入りの場所になっていた。彼女が記憶を取り戻してから一週間ほど。彼女に後遺症らしきものは何もなかった。それはまさに奇跡といってよかった。


 ふと、ミオは自分の横手に人の気配を感じた。彼女はそちらへ顔を向けた。哲也がそこに立っていた。ミオが問いかけた。


「眠れないの?」

「ああ。いったんは眠ったんだが、夜中に目が覚めてから目が冴えてしまって」


 哲也はミオを見つめると微笑んだ。ミオも微笑みを返した。そこで会話は途切れてしまった。ふたりはまた前を向くと夜空をただ見つめ続けた。ミオは座ったままで、そして哲也は立ったままで。

 しばらくの沈黙の後、哲也が声をかけた。


「横、座ってもいいかな」

「ええ」


 哲也はミオの横に腰を下ろした。ふたりは何も語らなかった。ただふたりで星を見ていた。


「テツヤ、私ずっとテツヤに聞いてみようと思っていたことがあるんだけど」

 突然、ミオが哲也に言った。


「ん、なに」

「テツヤの時代って、人の名前を漢字で書いたのよね」

「そうだよ、今は人の名前はみんなカタカナで書くようになってるみたいだけど」

「テツヤの名前、漢字で書くとどうなるの」


 哲也は微笑んだ。彼はポケットからメモを取り出すとミオの見ている前でそこに「竹本 哲也」と書いてみせた。

 ミオはそれを大事そうに手に取った。そしてそれをしばらく見つめていた。


「テツヤ」

「ん?」

「私の名前、漢字で書くとどうなるのかな」


 ミオの今度の疑問は哲也を戸惑わせた。“ミオの名前の漢字表記”など考えたこともなかった。


「そうだな……。『コデラ』はたぶんこうだと思う」


 哲也はミオからメモを受け取ると、自分の名前の横に「小寺」と書いてみせた。


「『ミオ』はどう書くの」

「うーん、書きかたはいくつかあるんだけど。一番ありそうなのはこれかな」


 哲也は少し考えた末、「小寺」の下に「澪」と書いた。


「『澪』……、なんだか素敵な字ね」

「うん、そうだね」


 ふたりはしばし無言でその文字を見つめていた。


「ねえ、テツヤ」

「なに」

「漢字って文字に意味があるんでしょ。『澪』の意味はなに」

「うーん、はっきりとは覚えてないんだけど。『澪標みおつくし』って言葉があって、それは『船の航路を示す標識』のことなんだ。『標』が『標識』のことだろうから、『澪』は『船の航路』って意味かな」

「『航路』なんだ。私たちの『航路』と一緒ね」

「そうだな。すごい偶然だな」


 ふたりは声をたてて笑った。そのときふたりの後ろから別の声がした。


「偶然なんかじゃない」


 ふたりは不意を突かれて思わず振り返った。エリカとアオイがゆっくりと歩いてきていた。


「エリカ司令、『偶然なんかじゃない』ってどういうことですか」

「私たちの父であるコウタロウが、なぜ自分の創った組織に『航路』と名付けたのか。もちろんその理由のひとつは『人々が進むべき道を示す存在でありたい』という願いからだ。しかし理由はもうひとつある。その理由とはミオ君、君の名が『澪』だからなんだ」


 エリカの言葉の意味するところを哲也とミオはとっさには理解できなかった。


「そんなはずは……。だって航路ができたとき、私まだ生まれてませんもん」

 ミオがすっかり混乱した様子で言った。


「そうだ。しかし父は知っていたんだ。この航路にやがて『澪』という名の少女が現れることを。そしてその少女のそばにいるためにある男が過去の世界から現れることを」


 エリカのその言葉を聞いた哲也は思わず飛び上がった。


「お、俺ですか」

「そうだ、君だ。タケモト・テツヤ君」


 哲也もミオもエリカが何を言おうとしているのかさっぱりわからなかった。一体どういうことなんだ。航路創設者のコウタロウが哲也とミオの出現を予期していただなんて。

 エリカは続けた。


「父は自分の父からそのことを教えられたのだ。そして父の父は、そのまた父から……」

「待ってくださいエリカ司令。コウタロウさんが俺やミオのことを知っていたというだけでも信じられないのに、なんでよりによって過去へ過去へとさかのぼっていくんですか」

「なぜなら元々そのことを知っていた男がはるか過去のある時点にいたからだ。そう、今から二百年前の」

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