36 哲也 vs レイラ

「さてと、どう攻める」

 改めて哲也は思案した。


 ミオを救い出すにはあの指揮官の男とレイラを倒さねばならないことは明らかだ。哲也はレイラに首を絞められたときのことを思い出していた。あのときの無駄のない見事な動きを思えば、レイラの実力は相当なものだとわかる。


「あの指揮官もレイラに負けないだけの実力を持っているのだろうか。だとすると“すこし”厄介だな」


 哲也はあえて“すこし”と言った。問題を大きなものとは考えないようにした。不安を呼び覚ましたくなかったからだ。

 腹は決まった。彼はゆっくりと二度深呼吸した。


「一、二、三!」


 小さく数えると通風口の格子を外して食堂へと飛び込む。床に転がると同時に銃を放つ。


 指揮官の男の額に赤い穴が穿うがたれた。


 銃声を聞きつけて食堂入り口外で警備していた兵二体が駆け込んでくる。哲也は反転するとその二体を続けざまに撃ち倒す。


「そこまでだ、テツヤ」

 レイラの声が響いた。床に腹ばいになったまま哲也が声のほうを向く。そこにはミオに銃口を向けたレイラの姿が。


「テツヤ! 逃げて!」

 金切り声で叫ぶミオ。哲也は床に伏せたままで機会をうかがう。


 哲也とレイラの距離は二十メートルほど。ふたりの視線が交わる。しかし両者のあいだにはかつてのような優しげなまなざしはない。互いに相手のかすかな筋肉の動きを探り、相手の呼吸を計り、刺すような時間が流れていく。


 哲也の目がちらっと、彼が入ってきた通風口のほうに目配せした。すかさずレイラの銃口がそちらを向く。しかしそこには誰もいない。


「ちっ!」


 舌打ちとともにレイラの銃口がすばやく哲也を向く。しかしそのときすでに哲也の銃口はレイラに狙いを定めていた。腹ばいから片膝をついた姿勢へと変化し、両手で銃を構え、片目で彼女を狙い、こめかみにはひとすじの汗。


「本当に……」

 感心したような口調でレイラは言った。


「本当に何度私の予想をいい意味で裏切ってくれるのかな、テツヤは。私の『もう会うことはないだろう』を二度までもくつがえしたのはテツヤ、君が初めてだ」

 レイラがあの懐かしい口調そのままで言った。


「ミオを離せ。さもないとレイラ、君を撃つ」

「おや、テツヤに私が撃てるのかな」

「俺は本気だぞ。だから早くミオを離せ」


 哲也の口がキリキリと食いしばられる。銃を握る腕の筋肉がピクピクと動き、汗がもう一筋、その顔を流れる。

 レイラの口元に寂しげな微笑が浮かんだ。


「この子を助けたいんだな、テツヤ。私を倒してまでも」

 唐突に放たれたレイラの言葉に哲也の眉がピクッと動く。しかし彼の決意に揺るぎはない。


「ああ、そうだ」

「ならテツヤがやろうとしていることよりもっといい方法があるんだが」

「なにっ」

「聞きたいかな」


 一瞬、哲也は躊躇した。危険な匂いがした。しかし今はミオを助けたいという思いがそれを上回った。


「ああ」


 ため息とも区別がつかないような調子で哲也は答えた。レイラにそれが聞こえたのか、それとも彼の様子のわずかな変化からそれを読み取ったのか。彼女は静かに言った。


「我々のところへ戻ってくるんだ、テツヤ。それですべては解決する」

「なんだって!」


 思わず哲也は叫んでいた。レイラは続けた。


「テツヤ、君が今我々と敵対する航路にいるのは君がやつらに拉致されたから。テツヤが自分の意思でやつらのもとに走ったわけじゃない。なら話は早い。幸いここには君を止める者は誰もいない。君はやつらのもとを去って我々のところへ戻る。簡単なことじゃないか」


 哲也は思わず歯ぎしりした。危険な匂いの正体はこれだったのか。


「テツヤがこちらに戻ってさえくれれば、チップ埋め込みのあとこの子と一緒に暮らせるように私が取りはからってもいい。私にはそれぐらいのことができる力がある。航路の復讐が心配? それは我々が全力で守ることを約束する。テツヤは何も心配する必要はない。だから、さあ」


 レイラは哲也を招くように手をさしのべた。

 哲也は激しく首を振った。


「違う」

「なんだと」

「違うんだ、レイラ。確かに俺は拉致されて航路に加わった。しかしそれから俺だっていろいろ学んだんだ」

「学んだ? 一体何を学んだって言うんだ」

「真実を、だ」

「真実だと。一体どんな真実なのかな」


 レイラの口調にはかすかにあざけりの色があった。


「そうだ。今の政府がやってきたことの真の、そして負の側面だ。チップが実は思想をコントロールするもので、自分たちに反対する者を容赦なく虐殺してきたという『不都合な真実』だ。俺はそんなやつらを許せない。だから君たちの側へ戻ることはできない」


 哲也は一息のもとでそれを言い切った。彼の中でわずかに残っていたレイラへの想いを断ち切る決別宣言と言ってよかった。

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