8 謎の少女
「訓練はどうだった。きつくなかったかな」
レイラは普段と変わらない調子で哲也に尋ねた。哲也はドキドキ感をレイラに悟られまいと必死で平静を装った。
「うん、今日はほとんどが説明と検査だったから。訓練も少しはあったけど、俺、閉所恐怖症じゃないし」
「そうか。それは良かった」
「しかしびっくりしたのは検査のほうだったよ。この時代は血液を調べるのに血を抜く必要がないんだね」
「そうだ。専用のパッチを皮膚にしばらく貼るだけ。検査に必要な量はわずかだからそれで必要な量の血液は採れる。テツヤ君の時代は違ったのかな」
「全然。鋭い針のついた注射器で血管を刺されて血を抜かれるんだ」
「信じられない。まだそんな原始的な方法が使われていただなんて」
「俺のことじゃないけど『原始的』なんて言われるとなんだか傷つくな」
「すまない。そんなつもりじゃなかったんだが」
「わかってますよ」
そのうち車はショッピングセンターの入り口前で停まった。
「夕食の買い物をしてくる。テツヤ君はそのあたりで適当に時間をつぶしているといい。でもあまり離れたところには行かないように。そんなに時間はかからないはずだ」
「車の中で待ってるってわけにはいかないんですか」
「それはダメだ。この車は我々だけのものではないからこの後次の依頼者のところへ行ってしまう。ここから帰るときにはまた別の車を呼ぶことになるんだ」
それだけ言うとレイラはショッピングセンターの中へと消えていった。
哲也はレイラの後ろ姿が見えなくなるまで目で追い続けた。彼女がショッピングセンター内に姿を消すと彼は入り口から少し離れた場所に移動した。そこからならショッピングセンターの建物の様子がよくわかる。
ショッピングセンターは入り口のある壁面すべてがディスプレイになっていた。3Dの映像が見えた。きらびやかな動画が今日の目玉商品を宣伝している。壁面に人が近づくとそこだけはその人だけに向けたお買い得商品の宣伝に変わる。
建物以外ではショッピングカートが自走して人の後ろを自動でついていっているのが面白い。まるで飼い主の後を追いかける犬のようだ。哲也は思わず顔をほころばせていた。
中の様子は哲也のいる場所からは入り口付近の一部しか見えない。野菜のようなものが並んでいるのが見える。緑や赤といった色彩にあふれている。車中でレイラが語ったところによると、それらの多くは自動化された野菜工場で育てられたものだという。しかし遠目に見ている彼には露地物と違いがあるかどうかはわからない。
ふと哲也は背後に人の気配を感じた。
「そのまま動かないで」
思わず振り返ろうとした哲也を若い女性の声が制した。彼は振り返るのをやめた。昨日彼に「逃げて」と呼びかけたのと同じ声だった。
「君はいったい誰」
「そんなことは後。このまま私と逃げて」
「なぜ俺が君と逃げなきゃいけないんだ」
「このままじゃ、やがてあなたもやつらの人形にされるからよ」
「やつらって誰のことだ」
「もちろん政府の連中よ」
その言葉は哲也に返事をすることを一瞬ためらわせた。密着する背中、その背中から女性の体温が伝わってくる。
「……『政府の連中』って。とすると君は反政府組織か何かの一味なのか」
「『一味』って言いかたは訂正して。何か私たちが悪いことを企んでいる集団みたいじゃない。私たちは犯罪者集団なんかじゃない」
「どこが違うんだ。だってまわりを見る限りみんな幸せそうに暮らしているじゃないか。それを支えている政府を君たちは倒そうとしているんだろ」
「もしかしてあなた、もうチップを埋め込まれてしまったんじゃないでしょうね」
「いや。今日から埋め込みのための訓練を始めたばかりだ。埋め込みは二週間後くらい」
「そう、安心した」
背中からも“ホッとした”という感情が伝わってくる。
しかし哲也は別のことが気になった。彼女が唐突に言った「もうチップを埋め込まれてしまったんじゃ」の言葉。明らかにチップに対する否定的なその言葉。
「もしかして君はチップが良くない存在だって言うんじゃないだろうな」
「そうよ。あのチップこそが政府が民衆を操る『かなめ』なんだから」
「まさか、信じられない。俺はこっちの時代に来てからまだ間がないけど、チップの便利さには何度も驚かされているのに」
「それはあくまでうわべだけ。政府がチップを使う真の目的は……」
彼女は急に口をつぐんだ。背中から彼女の緊張が伝わってくる。
「どうした」
「しっ、喋らないで。どうやらあの女が戻ってくるみたい」
「『あの女』って、レイラさんのことか。もしかして聞かれるとまずいのか」
「喋らないで!」
声は大きくはない。しかし頑とした意思を示すその言葉の調子と、緊張に固くなっている背中の感触とから哲也はそれに従った。
「時間がない、今日のところはあきらめる。でも覚えておいて。あの女に気を許しちゃだめ」
そして背後の気配はスッと消えた。
呆気にとられた彼が気づいて後ろを振り返った時には、そこにはもう誰の姿もなかった。哲也は呆然としながら再びショッピングセンターの入り口のほうに目をやった。そこは品物をたくさん積んだカートを従えたレイラが、相変わらずの冷静そうな表情とともにこちらに向かって出てくるところだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます