5 驚くべき世界
車は新緑がまぶしい道を快適に飛ばしていた。住宅街とは思えない速度が出ていたが安全に不安を覚えるような場面は一切なかった。車窓から見る限り人々はみな満ち足りた生活をしていることがうかがわれた。
「そのチップ、ほかにはどんなことができるんですか」
「そうだな、例えばこの自動車。自動車に乗りたいって考えれば目の前に自動車が来てくれるし行き先を口に出して言う必要もない。料金の精算もすべて自動でやってくれるから、こちらは頭の中で料金を確認して承認するだけ」
「すげえ」
「自動車を降りた後も、たとえそこがそれまで一度も来たことがないような場所であっても視界の中に目的地へのナビが表示されるから迷子になる心配もない」
「えっ、視界の中にって。レイラさんメガネとかしてないし。もしかしてコンタクトなんですか」
「そうじゃない。人がものを見るというのは結局脳で見ているって聞いたことないかな」
「あっそうか。脳をコントロールして目に映った風景にナビの情報を合成するのか」
「理解が早くてよろしい。その通りだ」
「でも俺にはそんなチップ埋め込まれていないし」
急に哲也は不安を感じた。
「大丈夫だ。ちょっと年齢は過ぎてはいるが、そのうちテツヤ君にもチップが埋め込まれることになっている」
「本当ですか」
「本当だ。ただ何もせずいきなりチップを埋め込まれると脳がその負荷に耐えられなくなる恐れがある。なのでまずはそのための訓練を受けてもらう。チップの埋め込みはその先だ。二週間ぐらい先といったところかな」
「でもその二週間のあいだ、チップがないといろいろ不便なんじゃ」
「それも大丈夫だ。チップのない子供たちだって買い物とかするんだぞ。それにたった二週間だ。それくらいならチップがなくてもちゃんと生活していける。でもテツヤ君はそういったことを気にしなくてもいい」
「どうしてですか」
「わかってないようだな。なんのためにここに私がいるのかな」
「あっそうか」
レイラのちょぴりとがめるような調子に思わず苦笑する哲也。
車はにぎやかな通りで停まった。このあたりのメインストリートらしく道の両側には様々な店が並んでいる。ふたりは車を降りたが、哲也には料金の精算が行われたようには見えない。ただ彼の耳にレイラのつぶやく「承認」が聞こえただけ。
「さ、ここからは歩きだ。もちろんもっと近くまで行くことは可能なのだが、テツヤ君にはこのあたりの地理を覚えてもらう必要があるからな。もしかしたらひとりで出歩くこともないとは言えまい」
レイラは哲也のほうを振り返った。哲也のほうはというと、レイラの言葉が耳に入らないかのようにキョロキョロとあたりを見回している。心ここにあらずといった感じで口などは半開きだ。
「テツヤ君!」
「あっ、すみませんレイラさん」
「それじゃ挙動不審じゃないか。それで何をそんなにボケッと見ていたのかな」
「い、いや、それは」
「ふふん、わかったぞ。あたりを行く女の子を見ていた。そうだろう」
「ち、違いますってば」
「顔が真っ赤になってるな。正直に白状したまえ」
「すみません。なんかみんな可愛かったり綺麗だったりする人が多いなって思ったので」
「舞い上がっているところをすまないが、あれはみんな整形だ」
「えっ、マジ」
「まあ、整形といってもメスや注射で形を作ったりするわけじゃなく、遺伝子操作なんだがな」
「遺伝子操作」
「立ち話はまわりに迷惑だな。歩きながら話すとしよう」
と言うとレイラはひとりスタスタと歩き出した。哲也はその後ろ姿にしばらく見とれていたが、気がつくとあわててその後を追った。
「さっきの話ですけど」
レイラに追いつくやいなや哲也は言った。
「ああ、整形の話だったな。この時代で進んでいる技術とは工業だけじゃない。医学にも関係しているが生命科学の進歩も相当なものなんだ」
「そのひとつが遺伝子操作なわけですか」
「そう。目指す機能が発現するように操作した遺伝子を目的の箇所に植えつける。メスや注射なんかを使うよりもずっと安全で確実。施術跡だってそのうち消えてしまうレベル。しかも価格も安くなっていて、誰でも気軽に施術を受けられるんだ」
「そんなに気軽に整形手術が受けられるんだったら、元の顔がわからないぐらいに整形して、誰が誰だかわからなくなったりして」
「大丈夫だ。目の前にいるのが誰かはチップがちゃんと教えてくれる」
「あっ、そうか」
哲也はクスッと笑った。しかし次の瞬間、急にまじめな顔になると言った。
「もしかしてレイラさんも整形してる……、なわけないですよね」
「さあ、どうだろうかな。テツヤ君はどう思う」
「ど、どうって言われても。ただ俺にはレイラさんはそんなふうには見えないな」
哲也は改めてまじまじとレイラの顔を見つめた。白い頬の描く曲線が綺麗だった。風がさっと彼女の金髪を揺らした。
「ば、バカもん。そんなにジロジロ見つめるな」
レイラの白い頬がわずかに赤らんだように見えた。それまでずっとクールだった彼女の目線が一瞬柔らかくなったように見えたのは事実か幻か哲也にはわからなかった。
「ほら、ぐずぐずしてないで行くぞ。目的地のマンションはこの先だ」
レイラが哲也の腕をつかんで引っ張った。そのすらりとした後ろ姿に、つかまれた腕の感触に、哲也はこれから始まるこの世界での生活への期待を膨らませていた。
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