いろはの神と迷い人

狐付き

一章 迷い込んだ世界で巫女に出会う

第1話 山霧の道にて

(面倒臭い)


 天原青海まがはらおうみは、頭の中で愚痴る。

 今日は学校の野外活動という名の強制登山だ。何をさせたいのか、いまいちわからない。

 青海も普段なら絶対に登山なんて行わない。面倒だからだ。

 では何故ここにいるかといえば、学校行事だからということになるのだが、本当に面倒であれば仮病なりなんなりで理由をつけ、サボればいい。

 そうしない最たる理由は、面倒であっても自らの益になることはやるという性格だからだ。


 それで、ここにいる益とはなんぞやという話になる。

 学校というのは集団生活であり、和がある。それを乱すとロクなことにならない。

 我儘な奴、自分勝手、色々なレッテルを貼られ孤立する。

 それだけなら不利益になったりしないが、そこから派生するいじめなどは面倒に拍車をかける。

 つまり、不利益を被らないために馴染んでいるふりをする必要があるのだ。


 それでも浮く奴は浮く。青海もそんな感じの少年であった。


「ねえ、本当に道合ってるの?」

「多分合っているはずだよ。もう少しで川が見えてくるはずだから」


 青海の前方を歩いている男女が話している。

 1クラス30人、6人組の5班で登山。大体は仲の良いグループで組んでいる。

 そして青海は呼ばれざる7人目の班員。班の連中とは馬が合わない。


 こうなったのも、そもそも入っていた班は青海以外の仲が良いグループであることに起因する。

 そう、班の連中が全員ボイコットしたのだ。つまり、1人取り残された青海はどこかに割り込ませる必要があった。


 元々いるはずだった班の連中は、いわゆるオタクな集団。青海はそういった知識に秀でていたわけではないが、多少の知識くらいならあった。だから今ほど居心地が悪い場所ではなかったはずだったのだが……。


「ねっ、樺來かばらい君。お水飲まない?」

「ありがとう。だけど今飲んだら後で無くなっちゃうかもしれないよ。大切に飲もうね」


 両側から少女に話しかけられている樺來修志かばらいしゅうしはクラスメイトで、過度のイケメンだ。

 成績優秀、スポーツ万能、性格もよく教師受けまでいい。大抵の男子生徒は彼に羨望か嫉妬を向ける。

 そして青海は大抵ではない少年だった。


 (面倒なのにあいつもよくやるよ。大変だな)


 青海から見た樺來は、簡潔に言うならば『変な奴』だ。

 自ら進んで面倒なことを行い、みんなを率先する。今も女子の荷物を持ってやったりしている。

 そんなことをしなくてもモテるだろうし、教師からの評価もカンストしているはずだ。


「ったく、あいつも物好きだよな」

「えー。かっくいーじゃん」

「あ? お前もあーいうファンキーなのがいいんか?」

「あーいうのも悪くないっつー話じゃん」


 樺來グループと別の男女。クラスではあまり素行がよろしくないため、青海とは違う方向に浮いている2人組だ。


 男子のほうは踏田十二雄ふみたとにお。自分が面白ければ何をしてもいいと思っているような男で、学校中で嫌う者が多い。

 彼の隣にいる女子は押田美和おしだみわ。踏田よりマシ程度の、同じような性格をしている。

 2人も本来であればこんなイベントに参加しない。今日ここにいるのは出席日数がよろしくなく、このままでは留年か退学になるからだ。普通の授業に出るよりは面白いだろうと、渋々参加しているだけに過ぎない。


 樺來と踏田のグループ、更にもう一人の女子。どの人物とも青海は話が合わない。そのため彼は黙々と歩くしかない。


「えっ、何? 煙!?」


 樺來の横にいる女子が叫ぶ。それは山の斜面を下るように現れた白いゆらぎのことであった。


「ああ、これは霧だね。気を付けないと踏み外したり見失ったりするから慎重に進もう」


 正しくルートを辿っていれば、あと1時間くらいで目的地に着く。今更引き返すくらいならば進んだほうが楽と判断する。


「天原君、踏田くんたちもはぐれないよう詰めたほうがいいよ」


 この霧ではぐれて一人になってしまうのも面倒だと、天原は距離を詰める。


「てめー指図してんじゃねーよ。おめーがこっち来りゃいいだろ」


 そう言って踏田はわざと歩みを遅める。


「嫌がる相手に強要するのも悪いよね。じゃあ気を付けて」


 樺來はそれだけ言って霧の中へ消えた。踏田は舌打ちし、樺來の後を追う。


 (これは酷いな。面倒どころじゃないぞ)


 青海は心底嫌そうな顔をした。普段はポーカーフェイスを気取っているが、1人のときは案外顔に出る。

 今そうしているのは、この過密濃霧の中、誰かに見られるわけではないからだ。


「止まって!」


 樺來が叫ぶ。青海もそれで足を止めるが、今自分たちが置かれている状況がとても異様であると止まってから気付いた。

 霧が濃すぎるのだ。下を見ても自分の下半身すら見えないほどである。今まで前が見えず、息切れしているかのような強い呼吸音を頼りに歩いていただけだったため、耳に集中し周りが見えていなかったようだ。


「みんな、僕の声が聞こえる?」


 樺來の声に、3人の女子と青海が返事をする。少し離れたところから舌打ちが聞こえたため、踏田もいることがわかる。


「じゃあこの声が聞こえる位置にゆっくり来て。ぶつかってもいいから」


 20センチ先すら見えないため、一度みんなで固まろうという考えだ。足元すら見えないこの霧の中でそれは正しい選択だった。

 もとより2メートルも離れていなかった青海も、慎重に足を擦らせるように歩き、何かやわらかいものにぶつかることができた。


「っと、悪い」

「いえいえ」


 どうやらぶつかったのは樺來やその取り巻きの女子ではなく、もう一人の女子である長芽美深おさめみみだった。

 見た目は誰もが羨むほどの美少女だが、その飄々とした性格のため、クラスでも浮き気味な少女だ。


 そして青海はおもむろに手を掴まれる。突然のことで驚き、振り払おうとしてしまったが、その女子特有の柔らかな掴み方に気付くと手を止めた。


「樺來くーん、天原くんゲットしたよー」

「ありがとう。それじゃあみんな、手を離さないようにゆっくりとしゃがもう」


 無闇やたらに動かず、こういうときはじっと霧が晴れるのを待つ。慣れた道ですら危険なのだから、知らない場所であればこれ以上の判断はない。


「ねえ」

「うっ」


 青海の横へ、急に美深の顔が寄る。顔が見えるということは、少なくとも20センチよりも近いということになる。

 突然顔を寄せられ、一瞬どきりとするが青海は平静を装う。


「なんだ?」

「こういうのさ、ワクワクしない?」


 青海は瞬時に美深のことを面倒な女だと判断した。こういったタイプは関わると振り回される。そんな気がする。

 だが後々のことを考えると、ここで冷たい態度をするわけにはいかない。気取ってるとか、偉そうみたいな陰口を延々と言われ続けるくらいなら、愛想よくしていたほうがいい。


「あまりしないかな」

「そっかー。この辺りってね、昔は神隠しの山とか言われてたらしいよ。私たち隠されたかも」

「そういうのは大抵、霧の中でも無理して進んで崖から落ちたとかじゃないのかな」


 2人の会話に樺來が割り入る。

 これだけの濃霧であれば、崖から踏み外すことは多そうだ。逆にちゃんと道を歩くほうが難しいくらいである。

 そして転落などの事故は、現代でも行方不明となるケースが多いのだから、大昔では確実に見つからなかっただろう。神隠しの正体の大半はこれだと思われる。


「んー、夢がないなぁ」

「神隠し願望でもあるの?」


 たわいもない会話。その中心が自分から外れたため、青海はじっと黙ることにした。

 面倒であるというのもあるが、会話に気を取られて周囲の警戒を疎かにしたくなかった。

 学校行事で来るような場所だから、熊や猪はいないだろう。だが蛇や蜂などはどこにでもいる。蜂は目で見えない場所へ飛ばないだろうからいいが、問題は蛇だ。青大将くらいなら問題ないが、マムシやヤマカガシだったら危険だ。

 だが足元すらロクに見えないため、警戒しようにも何かできるわけではない。息をひそめじっとしていることしかできない。


 暫くすると、ゆるりと霧が晴れつつあるのに気付く。伸ばした手の先くらいならば見えるくらいには薄くなっていた。


「ああ、ようやく少し見えるようになってきたね」


 見えてくると、樺來の両腕にそれぞれしがみついている女子、そして青海と手を繋いでいる美深の姿を確認できる。


「樺來君、何か聞こえない?」


 取り巻きの少女が何かに気付いたようだ。天原も耳を澄ませると、確かにがしゃがしゃと金属音が近付いてくるのがわかった。


「地元の人かな。とにかく邪魔にならないようにしないとね」


 道を空けようと言いたいのだが、誰も動かない。もとい誰も動けないでいる。まだ霧があるため、動くのは危険だからだ。事情がわかっているから相手も大目に見てくれるだろう。

 そうしている間にも、金属音は近付いてきており、微かにだが明かりのようなものも見える。

 やがて人影らしきものも見えてきたため、樺來は声を出した。


「すみません、霧で見えないので休んでます」


 声を上げることで、ぶつかったり何かしらが起こることを回避する。樺來は面倒なことでも率先してやってくれるため、青海にとってはありがたいといった感じの人物だ。


 金属音はその声に反応したのか、こちらへ近寄ってくる。


『こんにちは。学生さんかな? こんな霧で災難だったね』


 そんな会話がなされるといった考えは、現れた人物を見て崩壊した。

 青海たちの前にいたのは、胸鎧ブレストプレートや、ヘルムを纏った、まるで剣士のような男が数人だった。

 しかも顔立ちからして明らかに日本人ではない。金髪や茶髪、彫の深い白人顔。どう見ても日本の辺鄙な山にいるような姿ではない。


「○○○○○」

「××××」


 男たちが会話しているが、何を言っているのか全く聞き取れない。


「えっと……Can you speak English?」


 樺來が言ってみたものの、やはり男たちが何を言っているのかわからなかった。

 このままでは埒があかない。そんな風に思っていたとき、一人の男が前に出てきた。


「アナターハ、ニホンゴ、デスカー?」


 それを聞いた青海たちは少し拍子抜ける。日本語で話しかけられたからだ。ひょっとしたら山の中でコスプレをしているだけの外国人集団なのかもしれない。


「あっ、はい。そうです」


 樺來が答えると剣士たちは振り返り背を向け、「コッティー、マチ、ツイテコー」といい、先へ歩いて行ってしまう。


「な、何あれ?」

「こっち、町、ついて来いって言ったのかな」

「どうするの? 樺來君」


 皆は樺來に選択を委ねた。樺來は少し迷ったが、決断する。


「とりあえずついていこう。突然こんな霧に包まれたって事情を知れば先生たちも怒らないだろうし」


 教師からの信頼レベルをカンストしている樺來が言うのだから問題はない。青海たちは鎧の男たちの後を追うことにした。

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