後輩君の下剋上

篠宮 ゆたか

第1話


「壁ドンってそんなにトキめくかな~?」


休憩室に置いてある雑誌をパラパラと流し読みながら、

特集されている壁ドンについて向かい合わせに座る後輩の塚本へと話しかけると、


「さーぁ、どうなんすかね?」


聞いてるのか、聞いてないのかよく解らない返事が返ってきた。

私はバサッと勢いよく雑誌を閉じ、そのままマガジンラックへと戻した。


「よし、じゃあそろそろ行こうか」


壁に掛けてある大きな時計で時間を確認し、いまだソファに座ったままの塚本に立って、立ってとジェスチャーで急かしていく。


「はいっ」


ようやく立ち上がった私の後輩君はう゛ーんと体を伸ばしバキバキと首を鳴らしていく。


「ちょっと大丈夫?ゲームばかりしてるからそんなに肩が凝るんだよ」


休憩時間も終りこれから家電売り場へと接客に出る仲間の疲れきった様子に頭が痛くなった。


「このぐらい、いつものことなんで、大丈夫っす」


にっこりと営業スマイルの練習のように私に笑顔を向ける塚本の手をとり、


「ちょっとそこに座りなさい」


命令口調で有無を言わさず小さな丸椅子に座らせる。


「あのー…」


不安げに私の動きを目で追う塚本に「いいからじっとしてる!」と怒り彼の背後に回り込む。両手をそっと彼の肩に置き、すーっと息を深く吸い込んで、ぐっと親指に力を入れた。


「いっ、イタイ!先輩痛い!!」


塚本の叫びを無視し、鉄板みたいに硬い彼の肩を指圧していく。

肩甲骨の形に添うように指圧する位置をずらしながら、

全然ときほぐれない彼の大きい肩をにらみながら。


「もう、もういいですからっ」


私の手をつかむと自分の肩から外し、さっと丸椅子から立ち上がった。


「これ以上は先輩が疲れちゃいますよ、それに肩こり楽になりましたから」


ウソばっかり。素人の数分の指圧で良くなるレベルではない事は、塚本の肩に触れた私が一番解る。


「整体とかマッサージとか、ちゃんと行くんだよ?」


「はいっ大丈夫です」


「ちゃんと解ってる?接客業は体が資本なんだから」


「解ってますって、ほらほら休憩時間ホントに終わっちゃう」


へらへらと笑いながら私のお小言を遮り塚本は逃げるように休憩室を出て行った。


はーー、と大きく息を吐き私も塚本の後を追い、休憩室を後にした。



目で追うのは後輩君。

180cmある身長を威圧的にならないよう少しだけ前かがみ気味に、

肩も丸めてお客様の話を聞いている。


ゲームやスマホのせいじゃない。彼のひどい肩こりは人を気遣いすぎている証拠だ。


私は知らないふりを貫くために彼から視線を外して、


「いらっしゃいませ、何かお探しですか?」


電子レンジを凝視しているカップルに声をかけた。



「そういうことじゃないんだよ」


少しきつい響きを含んだ声が家電売り場から聞こえる。


「もういいから。他をあたる」


足早に声の方へと向かうと、少し年配の男性のお客様と塚本がもめているようだった。


「申し訳ございませんお客様、何か不手際がございましたでしょうか?」


謝罪のために頭を下げている塚本をかばうように、すっ、と二人の間へと割り込んでいく。私の登場に驚いた塚本の様子を横目に確認しながら、後ろへ下がれと腰の後ろで手を振り合図を送る。


「なんだ、いるじゃないか、君を探していたんだよ」


怒りを納め私へと微笑みをくれたお客様は、クレーマーとして私たちの間で恐れられている有名人。塚本には荷が重すぎる。


「今日は、こういう感じの物を探していてね」


会話を長引かせたいのか、本当に探している言葉が出てこないのか

ジェスチャーで欲しい物の説明をしていく。


私は鉄壁の作り笑顔を顔に貼りつけたまま営業終了間際までこのお客様の相手をすることになった。



「おつかれー」


お先に失礼します、と通用口へと向かう同僚たちへ声をかけながら、

人の流れに逆らうように私はソファとロッカーが置かれた休憩室へと向っていた。


クレーマーのお客様は悪い人ではない。今日も炭酸水を作るマシンをご購入頂いた、のだけど…スキンシップが多いというか…とにかく疲れた。…早く帰りたい。


はー、と本日何度目かのため息をつき休憩室の扉をあけた。


「あれ、塚本まだ残ってたの?」


休憩室のソファに神妙な面持ちで座っている。どこかの有名な石像のように。


「先輩を待っていました」


いつもよりも落ち着いた静かな声が、心なしか怒りを含んでいるように聞こえた。


「今日は大変だったねー」


「大変だったのは、…先輩じゃないですか」


気にするな、と軽い調子で話しかけても一刀両断で取り付く島もない。


「あの人は難しい人だから、場数こなさないと対応は無理だよ。だから困ったら先輩を頼りな、上の者を呼んできますとか言ってさ」


自分のロッカーを開け、帰り支度をしながら手のかかる後輩君へとフォローの言葉を重ねていく。


「君よりは年も勤続年数も多い私が、なんとかしてあげるから」


バタン、とロッカーを閉めると


「うわっびっくりした」


すぐ近くに塚本が立っていた。


「だったら、どうすれば先輩を守れるんですか」



じっと塚本を見上げると眉間にしわを寄せて今にも泣きだしそうだ。


「配送の子に聞いたよ、私からあのお客様を遠ざけようと、してくれてたんだってね」


あのクレーマーの人は始めから私を呼んでいたらしい。私の何が気に入ったのか解らないが家電売り場へ姿を現したときには必ず私をご所望する。ただ手を握ってきたり腰に手を回したりと、とにかくスキンシップが多い人で私も正直困っているが、


「あの人、悪い人じゃないよ。今日も家電買ってくれたし」


「先輩は警戒心が無さすぎるんですよ」


「でもお客様怒らせたり、ケンカしたりするわけにはいかないでしょ」


「だからって、」


ぐっと唇を噛みしめ視線をそらす塚本は手のかかる後輩というより弟だ、と私の中の認識を改める。彼の頭へと手を伸ばし、いい子いい子とふんわり柔らかい髪を撫でていく。


「もう帰ろう」と言葉にする前に塚本の頭を撫でていた手が

ぱしっ、とつかまれた。


「先輩、俺のことなめてるでしょ」


つかまれた手首はそのままで、ぐいっと距離がつめられる。

同じだけ距離を開けようと後ろへ下がるとガシャンと鳴るロッカーの金属音に阻まれた。


「何言ってんの、塚本も私のこと女として見てないんだから一緒でしょ」


「俺、ちゃんと先輩のこと女性として見てますよ、だからあのクレーマーの人が許せないし、今日だって先輩の腰に手を回してるの見て殴りかかりそうだった」


しつけの出来てない犬のような事をさらっと言う後輩に「ちょっと落ち着いて」と、つかまれていない方の手で彼の胸板を押し返す。


「どうしたら俺のこと、ちゃんと男として意識してくれますか」


つかまれていなかった手もやんわりと彼の手の中へと納まっていく。


私よりもごつごつしていて大きい手が、塚本の言葉と重なり合って、彼は男だと私に強烈に刻み込まれていく。



「先輩のことが好きなんです。どうしたら俺のこと、好きになってもらえますか」



何か言葉を、声をかけなくてはと、さまよっていた視線を塚本へと向けると彼がぐっ、と息を飲んだのが解った。


「今日だって、先輩には何でもない事かもしれないですけど、いきなり肩に触るとか何考えてるんですか」


いきなり説教に切り替わった後輩の言葉に、ポカンとしてしまう。


「あの雑誌だって俺、熟読したのに…壁ドン否定するようなこと言うし」


熟読したのかよ!


「なんで先輩より、俺の方がドキドキしてるんですか…うぅぅ、先輩が近い」


「は、恥しいこと言うなー!」


思わず反論すると、私より20cm以上背が高い後輩で弟みたいで私のことがすごく好きらしい塚本が、ぼと、と私の肩口へと顔をうずめた。


「先輩が好きなんです」


声はくぐもって首筋に息遣いがあたりくすぐったい。きっと塚本の告白も壁ドンも嫌ではないから。


「わかった、わかった。私も善処するから」


「本当ですか?」


すっ、と塚本が顔を上げて私の瞳を覗き込む。


「いきなり付き合うとかは無理だけど、ちゃんと塚本が男だって意識したから。私にもっとかっこいいところ見せて」


「は、はいっ頑張ります!」


ぱあぁ、と明るくなった表情に大型犬のイメージが重なった。ほら、あの…そう“ゴールデン・レトリバー”みたい。







【終】

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