綺麗な花には訳がある

篠宮 ゆたか

第1話


ひとつ、ひとつ、と刻むようにシャッター音が重なっていく。


靴音、機械音、衣擦れの音。


憂いと情熱、色香と儚さ。それら全てを閉じ込めるように逃がさないようにシャッター音が彼女を創り上げていく。


「一旦、休憩入りまーす」


カメラマンのアシスタントさんの声が響き、スタジオに人の気配がよみがえってくる。きっとここに居る全員が、彼女の撮影に息をのんで魅入っていたのだろう。


「休憩」という言葉で魔法が解けたように一瞬でスタジオが賑やかになった。


簡単なメイク直しの道具だけ持ち、私も彼女の元へと急いだ。


「失礼します」


私が声をかけるとうつむきがちに泳いでいた視線が、すっとこちらを向き私を認識する。


一度まぶたを閉じ、ゆっくりと開いていく瞳が私をとらえて静かに微笑んだ。


私は彼女のメイクを確認するめに、念入りに肌の様子をチェックしていく。


「そんなに見られると、勘違いしそうになる」


低音で少しハスキーな声が発した言葉の意味が解らず対応に戸惑っていると、


「冗談、邪魔してごめん」


至近距離で絶世の美女に微笑まれた。


血が通っていないのかと思わせるほど肌の色は白く、綺麗な二重で縁取られた瞳の色は外国の血筋を思わせる。透き通るように綺麗なプラチナブロンドの髪は真っ直ぐ長く肩にさらさらと触れている。


まるで人形のように完璧で綺麗な男性が、女性として、中性的な存在として、写真へと刻み込まれていく。そんな現場で私は、彼を彼女へと変身させる手伝いをしている。


女性としての撮影が終わり、今度は男性よりの中性的なモデルとしての撮影が始まる。彼の衣服が徐々にはだけていき、肩からずり落ち上半身があらわになった。

だけど彼の胸には女性特有のふくらみはなく、代わりにたくましい胸板が現れる。


綺麗すぎる彼がそのままシルクのシャツを脱ぎ捨て、手招きする。

先ほどまで絶世の美女だった人が、髪が長い魅力的な男性へと変貌していく。

それらが全てカメラへと納められている間、やはりこの場にいる全員が息をのんで彼に魅入っていた。



「おつかれさまでしたー」


撮影終了と同時にまたガヤガヤと人の存在が浮かび上がってくる。私はスタジオの真ん中でペコペコと周りのスタッフに頭を下げながらお礼を伝えている今日の主役へと駆け寄っていく。


「お疲れ様です。メイクは落とされますか?」


「あー、いやいいです。このままでありがとう」


自分の役目終了を告げられるのは何回経験しても切ない。ぐっと唇をかみしめて私は彼に深々と頭を下げた。


「今日はありがとうございました」


そのままくるっと180度向きを変え、メイク道具を広げていた一角へと戻っていく。

片付けをささっと終わらせて、忘れ物が無いよう持ち物チェックをして、彼と同じ空間に存在できた今日に終わりを告げる。


「お疲れ様です、お先に失礼します」


スタジオを出る時、私はもう一度深々と頭を下げた。


住む世界が違う人は本当に存在する。仕事として何人ものモデルさんにメイクを施してきたが彼ほど特別な存在は今までに出会ったことがない。本当に人間だろうか?と思ったことも何度もあった。それほどまでに彼の美貌は人間離れしている。


「あの、ちょっと話があるんですけど…時間もらえませんか」


そんな彼に撮影スタジオの廊下で呼び止められたら、この場合どうすればいいのだろう。実は本当に人間じゃなくて天使とか悪魔とかそういう存在で…私何かまずいことしたのかな?どこに行くんだろう、私殺されちゃうのかな?いやいやさすがにそれは無いでしょう。私の理解を超えている状況にどんどん良くない思考へと落ちていく。


黒のダウンジャケットにプラチナブロンドの髪がサラサラと流れて綺麗だと思った。


そのまま少し前を歩く彼の背中を私は、じっと見つめた。


「どこか、入りましょうか…寒いですよね」


彼はキョロキョロと辺りを見渡しながら入れそうなお店を探している。


「あっ、お構いなく。あの…仕事の件ですか?」


メイクの仕事は実力主義のためモデルさんに出来を気に入ってもらえなかったら、それまで。ということはよくある話。彼との仕事も今日までか、と少し気分が下降した。


「えっと…そうじゃなくて」


人通りが多い歩道では二人並んで歩けず、私はメイク道具が入った大きな鞄を肩にかけ彼の斜め後ろを歩いていく。

彼の声はどんどん小さくなって、何と言ったのかもう聞き取れなかった。



「ねぇ彼女、時間あったら遊びに行かない?」


「あー…日本語解る?」


唐突に彼が立ち止まったかと思ったら、二人組の男性に行き先を阻まれていた。

撮影メイクそのままの彼は誰が見ても女性にしか見えない。それもかなり美人の女性だ。男性なのに、ただ歩いているだけで同性にナンパされるなんて複雑だろうな。


「あの、困ります」


私は彼の斜め後ろから前へと出て彼をかばうようにナンパ男たちに拒絶の言葉を告げる。


「これから行くところがあるので」


「あれ、もう一人居たの」


私の声は途中で遮られ、


「君じゃないし」


笑いを含んだ声が心に刺さった。


絶世の美女と比較されたら私なんて虫以下かもしれないけど、この男共ぜったい許さない。


「今の言葉、取り消せよ」


私の隣に立つ美女から予想も出来ない低い声が発せられた。


「お前ら何様のつもり?」


私の気持ちを代弁するかのように怒りを含んだ言葉が鋭い眼光と共にナンパ男たちを追いつめていく。


「え、男??」

「マジか」


ずるずると後ずさるナンパ男たちの様子に私の横に立つ彼へと視線を向けるとケンカでも始めそうな形相だった。


「ちょっと、もういいですから。行きますよ」


私は彼の手を取り行く先を変え、そのまま裏路地の方へと進んでいく。


少し足早に大通りから離れるように、身を隠すように。


「何考えてるんですか!」


タクシー乗り場へとたどり着いた途端、私は彼を怒鳴っていた。


「貴方はモデルなんですよ、これからスターになっていく人なんです」


私の勢いに押されて後ろへとじりじりと下がる彼の背中に、タクシー乗り場の屋根を支える支柱がドンとあたった。


「業界人なら、ちゃんと立場をわきまえて下さい」


もめ事を自分から起こそうとするなんて自覚が無さすぎる!私の怒りに彼がしゅんっと肩を落とした。


「こういう外見だから?」


「え、」


彼の視線はうつむきがちにゆらゆらと泳ぎ、彼を見つめる私とは視線が交わらない。


「必要なのは僕の外見だけ、そこに僕の意思は必要ない?」


「あの…」


綺麗すぎる彼は、人として当たり前に許されている事すべてを諦めてきたのだろうか?


今の言葉はどういう意味?


それはただのメイクである私が踏み込んでいい領域?



「だから、好きな女の子ひとり守れないの?」


「は、はい?」


今なんて言いました?


「話って言うのは告白。貴女が好きですって伝えようと思ってた」


彼の言葉が理解できず、何も言えないまま彼をきょとんと見つめてしまう。


「えっと、何か言って?」


私の反応に困ったのか彼が苦笑いで私と視線を合わせてくれた。


白い肌が薄く色づいている。少し瞳がうるんで、見つめ続けるとすっと視線をそらされる。


「あの、そんなに見つめられると」


んーと唸り声を発したかと思ったら彼が「ごめん」とだけ言い、私をぎゅっと抱きしめた。


「わぁっ!?」


さすがにびっくりして声を上げてしまう。

混乱しすぎていて状況が理解できない。ただ彼は私を抱きしめる腕をゆるめる気はないみたいだ。


「なんで、…私なんですか?」


「さっきみたいに、立場関係なく僕を怒ってくれるから…かな?」


メイクがモデルを怒るなんて、常識的に考えてありえない。


「怒鳴って、すみませんでした」


「なんで謝るの?嬉しかったのに。だから僕も本音が言えた」


ぎゅっ、と私を抱きしめる腕にまた少し力が入った。


「本当は女性の格好もメイクもしたくない、けどあの場所でしか貴女に会えない」


すっと彼の腕の力が抜けていくのが解る。


「好きな子に綺麗にしてもらえるから、僕はあの場に立っていられる」


抱きしめられていた腕がほどけ、私と彼との間に少しだけ距離が作られた。


「仕事以外でも、僕の隣にいてもらえませんか」


私は今日初めて彼が心の通った人間に見えた。






【終】

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