初恋未満

篠宮 ゆたか

第1話


女の子は誰だって心のどこかで

ヒロインに憧れている。


漫画の中の誰にでも好かれている可愛い主人公。


小説の中の騎士に一途に愛されるお姫様。


漫画も小説も好き。


読むとドキドキするし

涙ぐむ時だってある。



…でも現実とは違う。



私はヒロインでもお姫様でもない。


こんなこと…


現実に起こるわけがない。




ふぅー、と軽く息を付き私は読みかけの小説を

パタンと閉じた。



床全体に絨毯が敷かれ、いくつもの本棚が並ぶ静かな空間へと歩みを進める。

手にした読みかけの小説は結末を知らないまま図書館の本棚へと返された。


いつからだろう物語の世界へと憧れ、夢を見て、寂しさを実感するようになったのは。


必ず訪れる用意されたハッピーENDと現実の違いに心が重たくなったのは。


だからだろうか、今は最後までページをめくれなくなった。


本を読むのを辞めればいい。


自分と切り離せばいい。


たったそれだけの事なのに、それが出来ない。


毎日のように仕事帰りに図書館へ寄るのは、やっぱりどうしようもなく本が好きだから。


ぎゅっと棚いっぱいに並べられた本の背をひとつ、ひとつ撫でていく。


それぞれ物語の名前として付けられたタイトルを読みながら。


お気に入りの一冊を探すようにゆっくりと左へ、左へと歩いていく。


壁一面に設置された本棚は、部屋の隅に合わせるように直角に曲がり、また横へと延々続いていく。

その角に合わせるように、私も進路を曲げ横の本棚へと移動する。


すぐそばに立つ人の気配に視線を上げると、一段高い脚立に乗った司書のお兄さんと視線が絡んだ。


「あ、すみません」


小さく押し殺した声が私の少し上から聞こえると、司書のお兄さんがこちらへと脚立からトンと降りる。


ひとつ私へと近づいた距離に思わず後ずさると、あたたかい本の感触が背中いっぱいに広がった。


ただ横へと歩き出せばこの空間から解放されるのに、それをしないのは背中に触れる本の感触が思ったより優しかったせいかもしれない。


見上げた先には司書のお兄さん。本の貸し出しの際に少しだけ言葉を交わす人。


黒い縁の眼鏡からのぞく瞳をはっきりと見つめ返したのは今日が初めてかもしれない。



「あの、」



お兄さんの声が静かな空間に染み込んでいく。



「これお読みになりませんか?」



彼から受け取ったのは一冊の本。


“初恋未満”という言葉が表紙を飾っている。

売れない小説家と幼なじみの淡い恋愛ストーリー。


私が途中で読むのを諦めた本だった。


「ぜひ、最後まで読んでみて下さい」


今まで絡み合っていた視線が、すっ、と少しだけそらされ

また一歩距離をつめられた。


背中には数えきれない多くの本。私の腕の中には行き場を無くした一冊の本。


近すぎる距離に、互いの息遣いまで聞こえてしまいそうで

ぐ、と息をのむ。


「返事はいつでも、いいですから」


小さく、私にだけ囁かれた声は、耳元にほんのり温かさを残した。



周りの空気が軽くなったと感じた時、司書のお兄さんは脚立を手に歩き出していた。


空気が流れひんやりとした風が頬をなで自分の体温が上がっていることに気づく。


ドキドキと早い心臓の音に背中を本棚へと預けたまま、私はしばらくそこから動けなかった。



ペラ、


ペラ、


少し前に途中まで読んだ本をもう一度始めから読み始める。


ベッドへと座り、足を布団へと潜り込ませて、枕元の明かりを頼りに一行、一行売れない小説家の気持ちに同調していく。


3章の終に差し掛かった時、目の疲れを覚え時計へと視線を動かすと、日付が変わろうとしていた。



“ぜひ、最後まで読んでみて下さい”



彼の言葉を思い出し、ページをめくるために視線を本へと戻した。



物語はよくある話。互いに好きなのに、言えなくてすれ違って。


私はここで読むのを辞めてしまった。その先へとまだ知らない世界へとページをめくった。




さら、




ページをめくったひょうしに本から何かが滑り落ちる。


ベッドへと落ちた物を拾い上げると二つ折りにされた紙切れだった。


透けて見える何かを確認するために紙を広げる。




あなたが好きです。




短い手書きの一文にドキンと心臓がはねた。



本へと視線を戻すと「言えない、伝えられない言葉を紙切れに書く。それを二つに折り曲げ、心にしまうように本へとはせた。」と書いてあった。


この本の仕掛けだと気付いたのに、心臓はうるさく鳴り続ける。


返事が欲しいとはこのことだろうか、彼は私が好きなのだろうか、


私の物語が今ここから始まるようで、


物語に出てくる幼なじみの女の子のように、私はその日眠れない夜をすごした。



【終】

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