解脱
◆
「旅行に行こう」
咄嗟に口をついて出たのは、そんな言葉だった。
彼女は怪訝そうな顔をしたが、たった今私に決断を迫ろうとしていたことについて忘れさせることはできたようだった。
いや、どうだろう。彼女には忘れる機能があるのか。機械化に興味のない俺にはよくわからなかった。彼女の言う〈電脳〉なるものが、改造した脳髄と集積回路のどちらにあたるのかさえ俺は知らないんだ。
「旅行に行って、それから一緒になろう」
一緒に。恋人から夫婦になろう。おなじ体に──機械になろう。俺がそのとき意図していたのはどちらだったか、今では判然としない。
少なくとも今では、そのどちらでもない。
遠出をするにあたって、俺はちょっとした小型機を購入した。小型ってのは飛行機にしてはってことで、それは全然小型じゃなかった。当たり前だが、がらんどうだったガレージはこいつでいっぱいになった。
車は売った。
怒られた。
それはともかく、俺は入念に準備をした。その途中で浮かび上がってきた衝動があったから、彼女の申し出──パイロットのmodをどこかから落として、安全に飛行する──のは断った。
「生身のうちに経験しておきたいんだ」
嘘ではなかった。
離陸はうまくいった。
古風なエンジンは俺たちを重力から問題なく解き放った。眼下に見える山の峰々が美しい。この小型機はきっと、俺たちを遠くへ連れて行ってくれる。
「綺麗だね」と彼女は言った。俺は自分が何と答えたのかわからなかった。
俺は怖かった。体を機械に置き換えることだけじゃない。機械化すれば、俺は生殖能力を失う。むろん保存された細胞から子供を作成することはできる──でもそれは、なんというか、自然じゃない。子供たちに何かを背負わせるかもしれない。
俺は陳腐な結論を出した。それは間違いかもしれないが、いまさら止められない。
ぼん、と窓のすぐそばで煙が上がる。俺の作った仕掛けはうまく作動したみたいで、エンジンが真っ赤な火を吹いていた。
落下していく。どこだかさっぱりわからない山に、正面から。
手を顔の前で組む。彼女の宗教の祈り。そして唱える。
「ごめん」
さようなら。
◇
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます