LiVE

プロローグ 燈

 田舎の山中にそびえる大きな邸宅。それはおとぎ話に出てくる、いわゆる「お城」と言っても過言ではなく、事実、この建物を知る人々はそう認識していた。

 そして、お城といえば、王子様やお姫様がつきものだ。


 このお城にも、ひとりのお姫様がいた。


 彼女は生まれてからずっと、このお城のなかで暮らしていた。 彼女は両親の意向で、幼いころから英才教育を受けていた。

 選りすぐりの家庭教師が付き、勉学はもちろん、礼儀作法を中心に言葉遣いや歩き方、さらには手に取ってよいものとそうでないものとを区別し、世間に関する情報の制限もあった。

 話をしてくれるのは世話役だったが、内容としては最近の事件や国際情勢で、文献を読めばわかるようなことだけだった。テレビが置かれることなどもってのほかで、流行の音楽や有名な俳優もわからない。

 彼女の教育上、それらは全く必要ないと考えられていたのだ。


 ゆえに、彼女は「外の世界」を知らない。

 そこがどんな姿をしていて、どんなことが起こるのか。想像できない未知の領域。

 いつしか彼女は外の世界にあこがれを抱いていた。


 そんな彼女に転機が訪れた。

 いよいよ一月後に彼女の17歳の誕生日が迫ったころ、世話役の一人から、今年の誕生パーティーは都内のホテルで行われると聞いたのだ。

 それまでの彼女の誕生パーティーはすべて城内で開かれていた。別の場所、しかも初めて外に出ていく。長い間待ち望んでいた彼女は期待を胸に躍らせた。

 一体、どんな世界が広がっているのだろう。

 想像を膨らませているうちに、一ヶ月はあっという間に過ぎていった。


 誕生日当日、彼女は車で会場に向かった。彼女は車に乗ることも初めてだった。車内のカーテンはぴしっと閉められており、外の様子はわからない。その上、運転席までもが仕切られていて、誰が運転しているのかさえわからない。

 車内の頼りない照明を浴び、慣れない揺れに耐えきること数時間。

 不意に、ドアが開けられると、もうそこは会場の中だった。たくさんの人が拍手をしながら、彼女の登場を見つめていた。


 あれ、と何だか違和感。


 固まっている訳にもいかず、彼女はおずおずと車から降り、慣れた所作できれいな礼をした。壇上へと上がり、パーティーを開いてくれたことや多くの方々が集まってくれたことへの感謝の言葉を述べた。

 そこからは、有名な芸能人の司会によって、彼女の誕生パーティーが進められた。

 たくさんの人から直接お祝いの言葉をもらったが、彼女は全く嬉しくなかった。


 むしろ、がっかりしていた。


 ここは、彼女が期待していた「外の世界」ではなかった。

 いつもと変わらない、自分の知っている世界に過ぎない。求めていたのは、こんなものではないはずだ。

 期待に裏切られた現実に動揺した思考の中で、不意に一つの思いが頭をよぎった。


 もしかしたら、この先もずっと、このままなのではないか?


 いままで暮らしていたのはお城などではなく牢獄で、両親に縛られて一生を終えていく。

 次第に、彼女は自分の世界が色褪せていくのを感じた。目に映るすべてのものが、無価値に思えた。

 自分自身さえも、この世界の一部で、同じように意味がない。


 そんなの、嫌。


 嫌、嫌、嫌‼


 心の奥底で、彼女は叫んだ。


 だが、主役であるはずの彼女を置き去りにして、パーティーは終幕へと着々と近づいていく。

 彼女の絶望は増すばかりだった。

 このパーティーが終わってしまったら、またあの牢獄に閉じ込められてしまう。


 せめて、一度だけでいいから。

 本当の「外の世界」を見させて欲しいの。


 しかし、彼女の願いは、叶わなかった。

 フィナーレを迎え、退場の準備が整えられた。彼女は世話役に連れられ、来たときと同じ車に乗せられた。エンジンのかかる音がし、車が動き出すのがわかった。


 彼女の目から自然と涙があふれた。声は出さないようにしたが、嗚咽が漏れた。ふだん泣くことのない彼女には、涙の止め方もわからず、泣き続けるほかなかった。

 どうして、どうして。頭の中でぐるぐるとそればっかりを繰り返していた。


「私は何のために生きているの……?」


 思わずこぼれたその言葉に、また胸が締め付けられた。顔を覆う両手からは涙が漏れていく。

 やがて彼女は泣き疲れ、眠りについてしまった。


「お嬢様、まもなく着きますよ」

 見えない運転席から声がして、彼女は目を覚ました。どれくらい眠っていたのかはわからないが、もう家に着いてしまったようだ。ゆったりと車が速度を落とし、やがて止まった。

 ああ、これからまた同じような日々が繰り返されてしまう。

 嘆きつつも、これが自分の運命なのだと諦めかけたそのとき、


「誠に僭越せんえつながら、お嬢様。諦めるのにはまだ早いですよ」


 仕切りの向こうの運転手が口を開いた。はっとして彼女はうつむいていた顔を上げた。

「いまなら、まだ間に合います」

 依然として仕切りはあるままだが、力強い声が届いてくる。

「ど、どういうことでしょうか……?」

 彼女がそう訊くと、簡単ですよ、と。


「ただそこのドアを開けばいいのです。それだけで、お嬢様はどこにだって行けます」


 どこにでも。


「お嬢様はどうなさいますか?」

「私は……」


 私は、どうしたい?


 答えは、出ていたはずだ。


「私は、新しい世界が見たいです。ここじゃない、どこか。そして、私が生きている意味を知りたいです」


 彼女がそう言い切ると、運転手は微かに笑った。

「では、ドアをお開けください。その先に、お嬢様の求めるものがきっとあるはずです」


 本当だろうか? このドア一枚の先に、私の――。


 考えるよりも早く、手が出た。小さな右手をかけ軽く引くと、ガチャッと音がした。

 わずかに開いた隙間から光が差し込んでくる。夜なのに、明るい。

「お嬢様、最後にこれを持って行ってください」

 そう運転手が言うと、一瞬だけ仕切りが開き、鞄が放り込まれた。あわてて受け取ると、それは彼女の愛用している鞄だった。

「手荒になり申し訳ありません。ですが、手ぶらに無一文では困るでしょう。いくつか足りないとは思いますが、どうか持って行ってください」

「あ、ありがとうございます」

 彼女はただ驚くばかりだった。

 一体どこまでこの運転手は用意周到なのだろう。まるで、この時を待っていたかのように……。


 そして運転手は、本当に最後に、と、

「鞄の中に、メモをひとつ入れさせてもらいました。ひとまずはそこへ向かうといいでしょう」


「お嬢様。私は、あなたの味方です。精一杯、がんばってください」


 彼女は言葉にできない感情で胸が一杯になった。きっと、運転手からは見えないだろうが、深いお辞儀をした。

「ありがとうございます……!」


 あとは、このドアを開けるだけ。たったそれだけでいい。

 少し息を吸い込んで、押し開けていく。自分の手で開くドアは重たく感じた。

 だんだんと増していく明るさに目を細めながら、彼女は車から地面へと足を下ろした。


 それは、自らの足で踏みしめた「外の世界」の一歩目。


「わぁ……!」


 車から降り顔を上げると、そこは夜なのに煌めく建物の群れ。

 忙しなく行き交う人々が彼女を物珍しそうに眺めるが、決して足は止めない。ざわざわと、至る所から話し声や笑い声が届いてくる。


 彼女は初めての景色に圧倒されていた。と、同時に、消えかけていた期待がまた湧き起こってきた。


 ここから始まる。

 行くんだ。私の本当に欲しい未来へ。


 私が、私として生きていくために。


 彼女――有栖川凜花ありすがわりんかは、決意を新たに歩き始めた。

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