滲み椿

神崎 瞳子



「よくできました。

椿ちゃんはほんとに絵がうまいね。」


そう言われると私は照れた。

褒められるのが

嬉しくて

嬉しくて

仕方なくて

私はあの人の為なら

いくらでも頑張れた。


◇◇◇


私は女学院に通いつつ

近所の画家の時着 篤人先生に

絵を習いに行っている。


そして、

先生に想いを寄せている。


そろそろ私は女学院を卒業する。

なので結婚を考えなければ

いけない年頃なのだがー。


私と先生は歳が離れていて

どうも可能性は少ない。


それならば、

もういっそ

結婚せずに

私も先生みたいに絵を描いて

生活したいと思っていた。



それなのに。



◇◇◇


運命は私には

ちっとも優しくなかった。


ある日

先生が家にいらっしゃった。

隣には、

綺麗な女性が立っていて、

私はとても信じられなかった。

信じたくなかった。


後に聞くと

その女性は

先生と同じ程の年齢の

有名なお家のご令嬢だそうだ。

その女性のご両親が

先生を気に入ったそうで

ご縁があったそうだ。


私は切り替えて

生きようと思った。

先生に教えて貰った絵で。


◇◇◇


梅色の卒業の季節ー。


私は女学院を卒業した。

両親に将来の事を伝えられないまま、

先生の思いを引きずったまま。


先生とその女性、撫子さんは

皮肉なほどお似合いで

結婚の際

見蕩れてしまう程だった。


そして、撫子さんは

とても私に優しかった。


それが何故か

とても悔しくて仕方が無かった。

私には勝ち目がないと

思い知らされたのだ。



◇◇◇



私には幼馴染みが居る。

江西 上櫓という。



そして私は夢を叶えるための

第一歩を踏み出す前に

彼との結婚が決められてしまった。

両親によって。


上櫓はとても優しいが、

そういった好意はまったく

彼に対して抱いていなかった。

しかしこれが逃れられるものだとは

思ってはいなかったし、

逃れようとも思わなかった。

彼の家はとても大きくて裕福だ。

私は家の為になれる。

そうすれば結婚した後

絵を描くことを許されるだろうと

思ったからだ。




私は『柏原 椿』から

『江西 椿』になった。




◇◇◇


上櫓の家には

真っ白な椿が植えられていた。


私は椿の花が大好きだ。


勿論、自分の名前が椿だから

という事もあるが、

先生が好きな花だったからだ。

先生の家にも椿が植えてあり

よく椿の絵を

描いていらしているのを

見た事があった。



私は結婚してから

日常が360°変わった。

裕福になり、

毎日豪奢な柄の着物を着て

家で過ごすー。


そして先生。あの人の事を考えながら

彼の帰りを待つ。


上櫓は私が先生を

心の底から愛している事を

知っているかのように

私を絵から遠ざける事はしなかった。

沢山の必要な画材は買ってくれ、

描いた絵を褒めてくれた。


恋のせいで何かが欠落していた

私の日々は

彼の気持ちで満たされていった。

私はだんだん相手として

惹かれていった。

先生との現実から逃避するように。


いつか彼が言った


「どんな形でもいいから

君が僕を好きになれるように

努力するよ」


そんな言葉がずっとずっと

耳の内で響いていた。


◇◇◇


世界中で戦いが始まった。

唐突に。


私や先生のような絵を描くことを

生きている間で

一番大切にしている人々は

迫害され

私は絵を描けなくなってしまった。


そして

父が戦いに呼ばれてしまった。


私は彼と久しぶりに実家へ帰った。


先生は父と親交が深かったので

先生もいらしていた。

勿論、撫子さんと。


私は先生と

会っていない時間が長過ぎて

よそよそしい態度になってしまった。


そして一度も話せないまま

父が旅立つ朝が来た。


父を総出で送り出した後

先生と少しだけ

他愛もない世間話をした。


これがまさか先生との

最後のちゃんとした会話と

なるとは思ってもいなかった。


◇◇◇


ある日ー。

私は撫子さんに呼ばれて

お屋敷に行った。


撫子さんは

困惑している様子で

私を虚ろな瞳で見つめていた。

話を聞いてみると、

とうとう先生も

戦いに呼ばれてしまった

ということだった。


本当のような

嘘のような

嘘であって欲しいような

私も同じように

困惑してしまった。


しかもー。

撫子さんのお腹の中には

先生との子供が居る

という話も聞いた。


いずれかはそうなると

分かっていても

少し嬉しい気持ちと

切なさを感じた。


そっと一人泣きながら

家に帰ったー。


◇◇◇


晴天の日に

先生は旅立っていった。


ただ、ただ


「行ってらっしゃい、先生」


という言葉しか伝えられなかった。




その数ヶ月後かに

二人の子供は産まれた。

『葵』と名付けられた。


しかし、撫子さんは

元々身体が弱く

出産で衰弱してしまい

病気になってしまった。


私はどうしても


先生が愛していた

綺麗な人を


私を受け入れてくれた

優しい人を


お座なりにはできないと思い

撫子さんの召使いと共に

看病をした。


しかしー。

亡くなってしまった。


その日皮肉にも

私の妊娠がわかった。


◇◇◇


二人の子供の『葵』は

撫子さんの意思により

私と上櫓で

育てていくことになった。

彼はとても心配し

快く受け入れてくれた。


その後、

私と上櫓の子供が産まれた。

『篤彦』と名付けた。


先生の名前『篤人』の『篤』を

入れた。

どうか先生のような穏やかな人に

なって欲しいという思いを込めて。


◇◇◇


緩やかで何処か心寂しい日々は

流れるように過ぎていった。


そして

いつの間にか

父も先生も帰らないまま

戦いは終わりを告げた。


私は思い立って

絵を描くことを再開した。


葵はもう学生になっていた。

そして、私の絵を見て

「なんだか懐かしい」

と言った。


私はとても嬉しくなって

次の日から葵に絵を教え始めた。


先生の血を引いてる事もあってか

すぐに才能が現れた。




悲しみはどんどんすり減って

幸せで満たされていくけれども

穴はぽっかり空いたままだった。

それを塞ぐように

毎日、毎日、絵を描いた。

少しずつ私の絵は

評価されるようになった。



◇◇◇


また数年か経ったー。


葵は大人になった。


篤彦は学生になった。


母は亡くなった。



篤彦は絵には興味が無いようだ。

けれど、勉学に励んでいて、

いつも彼が喜んで褒めている。

私も素敵な息子を持てて

とても嬉しくなった。



◇◇◇


突然


彼が亡くなった。


涙が溢れて止まらなかった。


立ち直れなかった。


幼かった頃から今まで

彼にお世話になってばかり居て

結局、お返しなんて

何も出来なかった。

とても後悔して泣いた。



この日から毎日

何も出来なかったことを

償うようにして

いきることにした。


◇◇◇


葵と篤彦が結婚することになった。


二人はとても幸せそうで

私も幸せになった。

彼に伝えたかったと

三人で何回も何回も話した。


絵の売上金で

二人のささやかな

結婚式をした。


この幸せが天にいる

先生と撫子さんと彼に届きますように

と祈った。


◇◇◇


毎日眠い日々が続いた。

私はもう

絵を描けなくなってしまった。


二人の子供が

もうすぐ産まれるらしい。


「名前は何にするのかねぇ」

そう聞こうとすると

また寝てしまった。


◇◇◇


篤彦先生とは


結ばれなかった人生だったけれど


私は好きなことを沢山出来て


沢山人に愛された人生だった。


最期には遠回りして


先生と結ばれるという夢も


叶いそうだった。


私はとても幸せでした。


愛を込めて


江西 椿

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