第43話 京都
静岡県内を横断し、浜名湖でガソリンを満たしたフェラーリは、高い速度を維持しながら愛知県に入った。
豊田、名古屋、岡崎、周囲の風景が狭苦しくゴチャゴチャしていて、インターやジャンクションも多いため錯覚しがちだが、高速道路を使った横断距離は静岡とさほど変わらぬ愛知を走り抜ける。
高速を走る車の大半をトラックが占める中京の工業地帯を抜け、高速道路の名が東名から名神に変わると、通行無料の高規格国道、名阪道路に流れる車が多いためか、高速を走る車の数は少し減ってきた。最近では高速道路ではなく国道を走ることを指示する運送会社も多いらしい。
舞は浜名湖でずっと我慢していたトイレを済ませ、晴れ晴れとした気分でフェラーリでの高速走行を楽しんでいた。
周囲の車が絶えずこっちに向かって走ってくるような速度で、しばしば体が左右に振り回される狂気じみたドライヴィングも、フェラーリの中に居ると現実感が薄れてくるような気がする。
道路がクリアになった直線走行のタイミングで飲み物を手に取り、口に運ぶことにも慣れてきた。浜名湖サービスエリアで買ったドクターペッパーの味が、都下で飲んでいるものと少し違うことに気付く余裕さえ生まれてくる。
隣でフェラーリを操縦している仁樹も、舞が買った甘いカフェオレを時々飲んでいる。
食後にブラックコーヒーかエスプレッソ、日本茶なら濃い粉茶を飲むことの多い仁樹へのイヤがらせ気分で買ったカフェオレを、彼が気に入っている様子に舞は少し安心する。もしかして、舞の意識の中に仁樹のガレージで見たカフェオレの缶の記憶が残っていたのかもしれない。
舞は少し顔を赤らめて首を振った。それじゃ仁樹を甲斐甲斐しくお世話する物分りのいい女みたいだ。多分そんなんじゃない。もし、もしも仁樹と、今より深い関係になったとしても、一方的に尽くす女にはなりたくない、それよりも、仁樹に色々してもらいたい。
舞のちょっと甘い妄想に邪魔をするように、フェラーリは愛知の隣県、岐阜をあっという間に通り抜け、滋賀県に入った名神高速の地名表示が目に飛び込んできた。
京都、の文字を見た舞はドクターペッパーを一口飲む。さっき仁樹のことを考える前に飲んだ時より、少し苦いような、酸っぱいような味がした。
フェラーリは滋賀と京都の県境を越える。舞はダイバーズウォッチを見たが、新横浜を出て三時間経つか経たないか。インターを降りたフェラーリは京都市内に入った。
平日お昼前の京都市内は、それほど混雑していなかったが、東京都内の基準に比べても信号が多く、ついさっきまでジェットヘリ並みの速度で走っていたフェラーリは這うように進んでいた。
仁樹は繰り返される発進と停止に苛立ちや焦りを感じている様子は無かったが、地形が平坦で道が碁盤の目のようになった京都市街でよく見かける自転車メッセンジャーが、フェラーリの横を掠めるように走り抜けている様を見ていた。
舞は自転車メッセンジャーがあの背に斜め掛けする特徴的なメッセンジャーバッグで、フェラーリのボディを傷つけないか心配しているのかと思ったが、仁樹はフェラーリとメッセンジャーが接する真横のドアより、走るメッセンジャーの自転車を目で追っていた。
相変わらず無表情な彼の視線をどう解釈すればいいのかと舞は考えたが、彼が興味をそそられているということに気付いた。
最初は舞が何を言っても表情も口調も変わらない仁樹を、彼女は感情の欠損した人間か、あるいは機械か何かだと思っていたが、一緒に暮らし、狭いフェラーリの中で時間を共有するうちに、彼の感情がほんの少し見えてきた。表情や目つきは変わらないけど、感情を表すものはそれだけじゃない。
舞の頭にクラスの同級生のことが思い浮かんだ。よく笑いよく泣き、よく怒るけど、そんな感情の芯ともいえる自らの基準が見えない人たち。
人の基準なんて一生かけて見つけ、作り上げるもの、高校生のうちに見つけられるものではないし、もし見つけたとしてもそれはニセモノ。
きっとまだ感情の中核が無い彼らのほうが人としては正しく健全なんだろう、でも、今日ずっと仁樹と一緒に居た舞には、毎日見ている人生を生きているのか死んでいるのかわからない人たちが哀れに見えた。
舞は窓の外を見た。こんなことを考えさせられるのは、さっきから遠くに見えているあの目障りな物が原因なんだろうと思った。
白く不恰好な建物。京都駅の近隣に建ち、景観条例で高さの規制された建物の中で際立って目立つ京都のランドマーク。
京都タワーが舞に向かって近づいていた。
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