第21話 静寂

 食卓でのまるの姿はいつもと変わりなかった

 二人の姉に比べて小さな体を補うようによく喋りよく笑い、最低限の返答しかしない仁樹に積極的に話しかけている。

 仁樹が真理の作ったエビフライを尻尾まで食べているのを見て驚くまる、舞はくだらない物を見るような目をしながら自分のエビフライのシッポを口に放り込み、音をたてて噛んでいる。

 食後のお茶の時間。まるは真理が淹れたお茶とデザートの大福を早々に食べ終えた。

「じゃーおやすみー!お兄ちゃん」

 普段ならテレビを見ながらリビングに居座ることの多いまるが、真理や舞に夜更かしを注意される前に自分から部屋に戻った。

 真理はその不自然に気付いたが、今のまるが絵を描くことに集中していることは知っているので、特に何も言わない。

 舞は夕食前にまると話した仁樹に何か聞きたそうな顔をしていたが、いつもと変わることなくお茶を啜っている仁樹に聞いて何かの益があるとは思えなかったので、こちらもいつも通り、お喋りか因縁付けかわからないような会話を交わした。

 猫舌の仁樹は真理の淹れたお茶を時間をかけて飲み、いつも通り真理に夕食の礼を言った後リビングを出ようとする。

 ドアに手をかけた仁樹は、一度振り返り舞に言った。

「静かだな」

 今まで仁樹のほうから話しかけたことなんてあっただろうか、そう思った舞は狼狽しながら答える。

「そ、そうね!あんたが居なくなればもっと静かになるんだけどね!」

 舞の挑発的な言葉に、なぜか仁樹は納得したように頷き、リビングを出て階段を下りる。

 少し経って一階のガレージから、フェラーリの特徴的な始動音が聞こえてきた。

 五分ほどの暖気の後、フェラーリがガレージを出てどこかに走り去る音が、防音の行き届いた三階リビングまで届く。

 舞はソファの上で温くなったお茶の湯呑みを両手に持ち、無駄に大きな体を縮めるように膝を抱えながら言った。

「ほんと、静かね」


 それからの数日間も、まるは学校から帰ってきてずっと夕食の時以外は部屋に篭るようになった。

 食事の時間には遅れずやってきて、いつもと変わらぬ食欲と明るさ示すまるに、二人の姉は不必要な干渉をしなかった。

 舞だって中学時代からやっている文章書きに熱中している時は寝食を忘れるほどにのめりこむし、真理は父の死後、ほとんど独力で行った遺産整理と姉妹のこれからの暮らしのための手続きに多くの時間を費やしていた。

 仁樹はいつもと変わらない。真理の作った夕食を済ませた後はフェラーリで走りに行くかガレージで雑誌記事執筆の仕事をしている。

 変わったのは食後の時間。いつもまるのお喋りでリビングを騒がしかったリビングは、随分静かになった。 

 舞はそれを埋めるように、今まで積極的に話すことの無かった仁樹に不必要に絡んだり意味の無い質問をするようになり、仁樹は今まで通り最低限の返答をしている。

 三姉妹が各々の学業に勤しみ、夕食の時間には揃って楽しい時間を過ごし、まるは趣味に打ち込んでいる。

 表面上は充実しているように見える時間には、僅かなひび割れが生じていた。

 まるが絵を描き始めて何日目かの夕食後、それまでまるを見守っていた真理は、仁樹に二杯目のお茶を出しながら言った。

「少し、寂しいですね」


 仁樹が数日前に発した「静かだな」という言葉に対する返答。仁樹は真理の淹れてくれたお茶を手に取り、いつも仁樹に長居して欲しがる真理にしては珍しく、彼好みの温いお茶を一口啜りながら言う。

「フェラーリに乗っていると異音には敏感になります。トラブルの元ですから」

 三姉妹と仁樹の暮らしに生まれた静寂という異音。仁樹は機械を取り扱う者の視点で見ていた。

「正常な時に発するべき音が聞こえないというのもまた異音です。整備が必要なのかもしれません」

 仁樹はそれだけ言うと、残ったお茶を飲んでソファから立ち上がった。

 舞には仁樹の言ったことがさっぱりわからなかった。部屋でずっと絵を描いているまるに、この男が何かするということだろうか。

「あんた少しくらいフェラーリのことががわかったからって、女の気持ちがわかるわけないじゃない」

 仁樹は舞に背を向けた。無視されたかと思い舞は少し苛立ったが、仁樹は手に持ちっぱなしだったお茶の湯呑みを真理に返しただけだった。

 仁樹は舞を振り返って言った。

「そうかもしれない。でも真理さんのために俺に出来ることがあるのなら、俺はやらなくてはいけない」

 舞はふてくされたように顔を逸らす、真理は仁樹に縋るような目を向けていた。

「仁樹さんお願いします。まるは今自分にとって大切なことをしています。でも、きっと誰かの助けが必要です」

 仁樹はソファに放り出してあったブレザージャケットを羽織り、ネクタイを締めなおしながら言う

「わかりました」

 仁樹はそのまま迷いの無い足取りでリビングを出て、階段を下りていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る