GARAGE~フェラーリに恋した男と三姉妹~
トネ コーケン
第1話 三姉妹
東京都下某市。
市街地から少し外れた、川沿いの緑豊かな敷地に一軒の家が建っていた。
三階建ての家はお屋敷と言うには小ぶりだが、地味な外見ながら吟味された建材が使われ、そこかしこの造形への金のかかり具合は建売とは別物の注文住宅。
一階のほぼワンフロアを占めるシャッター式のガレージは車四台は入れそうな大きさで、シャッターもコンクリートの壁材も手抜きひとつ見当たらない。
築八年の家は新築住宅に特有の建材の揮発臭が抜け、車でいえば慣らし運転が終わった頃。
家の中を三人の少女が忙しく歩き回ってた。
「さて、これであらかた運び終わったところね」
「つ~か~れ~た~、やっぱ引越し屋さんに頼んだほうがよかったよ~」
「何言ってんの、春休みで鈍った体をダイエットするから、全部自分達で運ぼうって言ったのあんたじゃないの」
高校の名前が入った紺色のジャージ姿で引越し作業をする、背が高く髪の長い少女は、合板じゃない本物の栗無垢材が張られたフローリングの床に寝転がるコットンの半袖シャツにショートパンツの、ふんわりしたポニーテールの少女をつま先でつついた。
少し遅れて力仕事には少々不向きな生成りのエプロンドレス姿にセミロングの少女が、引越し荷物が積まれた居間に入ってくる。
身長は二人の中間程度で顔立ちも中くらいの幼さだが、仕草や立ち振る舞い、喋り方は三人の中で一番女らしい。
「さっそくお引越しのあいさつを…それは明日でいいみたいね」
エプロンドレスの少女がベランダに出て周囲の風景を見渡した。
水源林に近く清冽な流れを湛える川と市民公園に挟まれた緑豊かな一帯。右のお隣さんは数百m離れていて、左隣は無人の河川管理施設。
この家に引っ越してきた三人の娘は、同じ親から生まれた三姉妹。
「テレビ~はやくテレビとパソコンつないで~!ネット見ないと死んじゃう~、お風呂入りたい~」
短パンTシャツの三女、十二歳の安藤まるは床に寝っ転がったまま手足をバタバタさせるが、他の二人は知らんぷり。
どうやら新しい家の、まだ荷解きをするまえの広々とした床の感触を楽しんでるだけらしい。
日当たりよく設備の整ったキッチンに立ったエプロンドレス姿の長女、十八歳の安藤真理は備え付けのレンジやオーブン、食器洗い機を見て回っていた。
設置状態を確認する厳しい目ではなく、部屋一杯のオモチャを触りまくる子供のように楽しげな表情。
「今日の晩ごはんは出前でいいわね。コンロもレンジももう使えるみたいだけど、引越し初日の雰囲気も味わいたいし」
姉や妹の分まで荷物を運び入れる力仕事をしながらも、家の壁やドア、窓枠の建てつけを抜け目なく見ていた紺ジャージの次女、十五歳の安藤舞はキッチンに顔を出し、長女の真理に告げた。
「まずこの家を隅々まで見てみたいわ。引越しまで慌しくてゆっくり見ることも出来なかったから」
舞の言葉を聞いた三女のまるは床から跳ね起きた。小柄なまいに比べると頭二つ分は背の高い舞の腕にすがりつき、そのまま手を引き廊下を走り始める
「探検だ~! 舞姉ぇ早く早く~」
三人の少女が暮らすには充分なほど広く豪奢な東京都下の一軒家に、三姉妹は引っ越してきた。
三人姉妹の安藤真理、舞、まるには親が居なかった。
静岡で個人輸入の会社をやっていた父と、華族の代からの議員令嬢の母の間に生まれた三人姉妹。
大手輸入代理店との提携で、希少な高級自動車や手作りの家具を海外で買い付けていた父の事業はうまくいっていたが、病気がちだった母は三女を産んだ後に急死し、多忙な上に趣味人でもあった父は娘達が学校に行く年齢になると、ほとんど家に帰って来なくなった。
住処にあまり執着の無かった父の考えで、祖父から相続した静岡の実家は娘達が幼い内に売り払われ、三人の娘は父が購入した御殿場市内の高級マンションで、気楽な三人暮らしをしていた。
マンションには父の書斎もあったが、父親は仕事と遊びで出かけたっきりで年に数日も帰ってこない。
普段から一緒に居られない後ろめたさを埋めるように、たまに帰って来ると思い切り遊んでくれる父親、三姉妹はそんな父が大好きだった。
長女の真理が高校、次女の舞が中学、三女のまるが小学校の最終学年に進学する頃、父は居なくなった。
病に蝕まれていた父は、痩せ衰え病院のベッドに縛りつけられる前に好きな車に乗りまくることを望み、会社を整理して旅に出た。
父は旅行先のイタリアで死んだ。日ごろ自分の望みとして話してたように道の上で人生を終えた。
酒と薬物で酔っ払った男が運転しているトラックが通学中の子供たちの列に突っ込もうとしているところに居合わせた父は、自分の乗っていたフェラーリ・テスタロッサでトラックに体当たりし、自らは潰れたフェラーリの中で即死した。
その後、事故現場となった通学路には父の名前が刻まれた記念碑が建てられ、父が命を救った子供たちの通う小学校では命日に皆で黙祷を捧げたという。
たった一人の親の突然の死にショックを受けた三人姉妹。
父には親や身寄りと呼べる人間が居なかった。父と駆け落ち同然の結婚をした母の親族とも交流は無い。
当時まだ高校生ながら気丈に喪主を務めた長女の真理は、父の死を知り、葬儀の事よりも土地権利書の置き場所を聞いてきた母方親族の助力を断り、父の遺影を前に妹の舞、まるに告げた。
「これから三人で生きていこう」
「三人一緒に、東京の学校に行こう」
真理の「みんなで一緒の学校に行こう」の合言葉で始めた受験勉強。これからの人生を決める大事な時期を悲しみに押し潰されるまいとする真理なりの考えだったのかもしれない。
受験勉強で終わった夏。年を越し、冬の半ば過ぎ頃に真理、舞、まるの三姉妹は揃って都下の中高大一貫校への進学を決めた。
三人は天国の父に感謝し、東京で始まる新しい学園生活への期待に胸を膨らませていた。
都下にある学校へ通うには遠すぎる静岡のマンションを引き払うことを決めた三姉妹。真理は学校の近くに住まいを定めるべく、弁護士と税理士に任せきりだった資産を調べ直した。
不動産や株式、有価証券の大半は相続税で持って行かれたが、姉妹の暮らす御殿場の分譲マンション以外にも不動産資産が遺されていることがわかった。
都下にある一軒家。
未成年ながら父が生前、遺産後見人に指名した旧友の弁護士や、多額の遺産相続についての手続きを始めた途端に湧いてきた親族と対等に渡り合い、大学卒業の折には是非うちの法律事務所に来て欲しいとスカウトされるほどの見識を持つ真理は、その家屋を処分売却することなく手元に残すことを決めた。
建てられて数年経った注文住宅で、まだ誰も入居しないうちから父のものになった家は抵当にも入ってない。
いつか仕事を引退したら娘三人とその婿とでも一緒に暮らしたくて買った、という大層な理由がついてたが、真理は父のことだからどうせ支払いの滞った客から巻き上げたんだろうと思った。
家の場所は四月から三人の娘が通うことになる学園のある市と隣り合った都下某市の北部。
住宅密集地からは外れた山林と自然公園に近い環境。人家はまばらだが道路は整備されていて、警視庁のサイトや公示を見る限り治安はとてもいい。
最寄駅からの距離は少しあるが学園まではバスで一本、自転車で行ける距離にはショッピングセンターもあった。
三人の娘は話し合った結果、満場一致でこの家に住むことにした。
この注文住宅と静岡の分譲マンションを売却すれば、これからの学費や生活費を確保しつつ学校まで徒歩で通える場所にマンションでも新築一戸建てでも買えたが、三人の娘は心のどこかで父の遺した物がすべて消えてしまうのを拒んだ。
死んだ父がこの静謐な家に託した、三人の娘と一緒に暮らしたいという夢。それはほんの少しの本音だという事もわかっていた。
新入学前の春休みを利用した引越しの初日。元よりマンション住まいでそれほど荷物の多くなかった三姉妹は引越しを業者に任せず自分たちでやることにした。
小中学校で陸上部だった舞は体力に自信があったし、真理は高校三年で既に免許を取っていた。
中学一年になったばかりのまるは役立たずと思いきや、空間認識能力と記憶力の高いまるは御殿場のマンションに置いてある家具を見るだけで、数回行っただけの家のどこに置けばいいか、どこを通して搬入すればいいかをメジャーも図面も使わずに決めることが出来た。
真理が引越し荷物から取り出したティーセットでお茶を入れる中、舞は妹のまるを連れ、家の中を探索し始めた。
天窓から午後の陽光が降り注ぐ三階の居間。
真理が四人の食卓には広すぎるほど大きな無垢材のテーブルが据付けてあることに感謝しながら、引っ越し先で使うのを楽しみにして買ったリネンのテーブルクロスを広げていたら、舞とまるが階段を駆け上ってきた。
「真理姉、真理姉、ちょっと来て」
まるに手を引かれ、真理は階段を下りる。
「このドア、鍵が開かないの、一階のガレージに入れないわよ」
居間と食堂、台所と風呂、トイレ、和室の客間がある三階から、洋室が四部屋と和室二部屋、玄関がある二階を通り、一階ガレージの入り口となるドアまで下りていく。
階段を降りきった突き当たり、二畳ほどのスペースには銀色の金属むき出しの窓の無いドアがひとつあり、ドアには鍵がかかっている。
几帳面な真理がひと纏めにしていた家の各所のカギを舞が受け取ったが、差し込んで回してみるまでもなく鍵そのものが合わない。
ドアについていた仰々しいロック機構の中央にあるのは、横長の奇妙な鍵穴。軍艦の弾薬庫みたいにカード型のキーを差し込む構造で、そんな鍵はどこにも無い。
「表に回ってみましょうか?」
真理の提案で三姉妹は階段を登り、二階の玄関から外に出た。
ガレージの脇にある階段から外の道路に下りる。一階部分には四枚のシャッターが閉じられたガレージがあった。
シャッターに顔を近づけたまるが鼻をヒクヒクさせた。
中学一年のまるは三姉妹の中でも五感が鋭く、味覚、嗅覚、聴覚ともに三人の中では最も敏感だった。
今回の進学で新築のマンションや一軒家ではなく築八年の住宅を選んだ理由の一つは、まるが新しい建材の匂いを嫌ったから。
「なにか聞こえる」
家の門前には真理が引っ越し作業のために借りてきたトラックが停まっている。
気難しい外車や仕事用のトラックで運転を覚えた真理は教習の必要などないくらい運転には慣れてて、今回もレンタカーではなく父と付き合いのあった中古車屋から無償で借りた1トン積みのダブルキャブトラックを軽自動車のように運転していた。
まるの言葉を聞き、舞がまず施錠の確認をしようと、四枚あるシャッターのうちのひとつに手をかけようとした。
舞がシャッターに触れる前に、内部からカキン、という音がした。
音と共にシャッターに伝達した振動を感じた舞は体をビクンと震えさせる。
電動シャッターのロックが解除される音だということに気づいたのは真理だけ。
舞は突然の異変に飛び上がり、隣に居た自分より背の低い姉のまりにしがみつく。
温和な真理と正反対に誰に対しても強気な舞だったが、大きな体に似合わず未知のものに対しては三姉妹の中で最も臆病。
三人で刺激の強いドラマやホラー映画を見た晩は決まって、まりは無駄にでかい図体を震わせ、姉のまりか妹のまるのベッドにもぐりこんでいだ。
「や…やだ…何か動いてる!」
怯えた声を出す舞の隣、好奇心の強いまるは臆することなくシャッターの前に屈み、開いていくシャッターの中を覗き込んでいる。
真理も震える舞をなだめながら落ち着いた様子。まるでガレージの中にあるものを既に知っているかのようにも見える。
電動シャッターの開く音に混じって別の音が聞こえる、腹に響くような低く重厚な音。
三姉妹の背くらいまで開いたシャッターの中に、何かが居た。
薄暗いガレージを覗き込もうとする三人の視線は、轟音と共に中から出てきたものに釘付けになった。
赤い車。
開かずのガレージが開き、その中からは一台の車がゆっくりと出てきた。
まるが叫ぶ。
「パパの車だ!」
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