人形になりたかった少女
ひでシス
人形になった私と人間になった人形
私の名前はカオリ。特に何の特徴もない普通の女の子。しいて言えば少しカワイイところが特徴かな。そしてこの人形の名前はメグミ。私はメグミのことが大好きで、いつもどこへでも連れ歩いてるの。
そんな私は今日、ママと喧嘩して家を飛び出てしまっていた。ママはすごく怒っていた。こう私は家の子じゃないんだってさ。月曜日から不運だった。私は着の身着のままにメグミを抱えて家を飛び出していた。今は薄暗くなった路地の中をトボトボと歩いていた。
通学路から外れて道を歩いていると、いつもは見かけない路地を見つけた。こんなところに道から入れる隙間ってあったっけ? というレベルの、横幅は両手を伸ばしてギリギリいっぱいぐらいの路地だ。私は道を延々と歩くのにつかれていたし、フラリと吸い込まれるように路地へ入っていった。
そこはプラスチックのゴミ箱は得体のしれない段ボール箱がそこかしこに置かれているいたって普通の路地だった。私はその路地をどんどん奥へ進んでいく。
路地を突き当たった曲がり角を曲がると、すぐそこの薄暗闇の中に人間が立っているのが視界に飛び込んできた。夕暮れに、こんな路地で、動かずただ人が突っ立っているのは不気味過ぎる。私は思わず「ヒッ」と声を上げてしまった。よく見るとそれは黒いフードを被った老婆だった。
「お嬢ちゃん。」
唐突にその老婆は私に話しかけてきた。
「何か困りごとでもあるのかね」
「別に何も……。」
いいや、私は困っていた。ママにどうやったら許してもらえるのか、考えが思い浮かばずどうしようもなくてメグミを連れてこんな時間に外をフラフラしていたのだ。
老婆は私の返答に何も返さない。夕日が老婆を影にするように差し込んできて老婆の表情が見えず、ますます不気味だった。私は不安になって人形のメグミをギュッと抱きしめた。
腕の中のメグミの感触が私を少し安心させる。そう、人形は何もしなくてもいつでも誰かに愛されている。人形は私みたいにママと人間関係を維持するのに苦悩をする必要はないのだ。できることなら私は人形になりたいと、いつでも思っていた。
「こちらの人形は人間になりたいと言ってるよ」
それまで返答のなかった老婆が唐突に言葉を発した。私の心の中を読むように。
「え?」
「お嬢ちゃんは人形になりたいのかい?」
そう、私は人形になりたかった。いつでも微笑んで、部屋の隅で座っているだけでいい。面倒くさい宿題も、ママのご機嫌取りも、よくわからないクラスメートとの人間的付き合いに頭を悩ませるのももうまっぴらだった。これから家に帰ってママに頭を下げるのはどうしてもしたくなかった。
「うん……。」
私は老婆の返答に頷く。このおばあさんは魔女なのだろうか。老婆はニヤリと笑うと、言葉を続けた。
「ただし。人間を人形にするのは呪いで、金曜日までの間しか解くことができない。人形を人間にするのは祝福で、金曜日までしか効力を持たない。それでもいいのかい。
もしお嬢ちゃんが元に戻りたくなったり、この人形が引き続き人間でありたいと思った時は『人間にとって最も大切なこと』を見付けなさい。答えを見つけられたら呪いを解いて、祝福を完全なものにしてあげよう」
ええ。私は人形になりたいのだし、それでいいのだわ。
フッと私は目を覚ました。辺りはもう真っ暗だ。いつの間にか寝てしまっていたのかしら。気温が低くて少し肌寒い。電灯に群がる羽虫たちがぼんやりと視界に飛び込んできた。だけども、私は身体が痺れたようにまったく動かせなかった。
どうして身体を動かせられないんだろう。と少しまごついていると、後ろの頭の上の方から声がした。
「カオリちゃん。起きたんだね。」
私はメグミと同じような人形になっていた。そしてメグミは、私と同じ年ぐらいの人間になっていた。私はメグミに、私がいつもメグミに対してやっているように抱きかかえられていたのだ。
「(えっ えっ。もしかしてメグミちゃん?)」
「うん、そうだよ。」
メグミの顔の造形や服は、人形の時の顔立ちや衣装とそっくりだ。まるで人形をそのまま人間にしたかのような……。ああ、実際にそうなのだろう。一方で私は、元の人間であった時とそっくりの顔形をした人形になっているらしかった。そんな、老婆の言った通りになるだなんて。やっぱりあの人は魔女か何かだったんだ! 私はほとんどありえないことが自分の身に起こったことについてただビックリしていた。
それにメグミちゃんが人間の女の子になっちゃうだなんて。私はメグミの顔をまじまじと見た。すると悲しそうな声でメグミは独り言のように囁いた。
「カオリちゃん、ほんとうに人形になっちゃったんだね……。」
メグミは誰の子でもない。だから人間の女の子であろうとも帰る家はないのだ。居るべき場所、帰るべき場所を持たなかった私たちは行く当てもなく、いつも遊んでいる公園へ来ていた。
人形になった私は、美味しいご飯も食べられないしママに抱きしめてももらえないことに気付いた。メグミには人形を抱くように抱きしめてもらっているが。
人間になったメグミは、ご飯は食べられないし寒いことに苦慮していた。お腹が空いて空腹の音が鳴っているのが胸に抱きしめられた私に直に伝わってくる。私はママがいつも私のためにご飯を作ってくれていたことを思い出した。
私たちはどうしようもなく、公園のドーム状になった遊具の中に入り込んで一夜を過ごすことになった。
翌日。昨日のことが夢であればいいと思っていたのに、それは夢ではなかった。現実は現実として続いていく。
メグミは空腹に耐え切れずに、私を抱えたまま近くに捨てられたゴミ袋の中身を漁っていた。スカベンジャーだ。私はご飯を食べなくてもいいからどうでもいいのだけども、なんだかゴミで汚れそうだし止めて欲しかった。「(汚いからゴミ漁りなんて止めてよ)」と抗議すると、「お腹が空いて死にそうなんだから仕方ないでしょ! カオリは人形だから食べ物がなくても困らないんだろうけど……」と反論される。う~ん、まぁ、たしかにそうだけども……。
朝食を済ませて機嫌の良くなったメグミは、ニッコリと微笑んで私に喋りかけてくる。
「ねぇ。今日は何して遊ぶ? 私、人間になったらやってみたかったことたくさんあるんだ」
夕飯に関しては私の発案で、近くのショッピングモールに行って済ませることにした。ただもちろんお金はない。盗むのはイケナイ犯罪だ。だから余り物を食べる。フードコートの残り物をちょうだいするのだ。フードコートで人がご飯を食べた後、食べ物を残している人が結構いる。そしてフードコードは入り放題だ。人の食べ残しを係員が撤去しに来る前までに、何食わぬ顔で席に座ってサッと食べるのだ。スカベンジャーより衛生的で美味しいものが食べられる。
フードコートでメグミが夕食を済ませた後、私たちは公園の寝床に帰って眠った。
次の日、私が寝床で目を覚ますとメグミはドーム状の遊具の外で警官の服を着たお兄さんと話をしていた。押し問答をしているように聞こえるものの、私は人形なので身体を動かすことができずに何を話しているのか確認することができない。ただ、様子を聞いているとどうも警官はメグミを補導しに来たようだ。公園で寝泊まりしている少女がいると誰かが通報したのだろう。
そう考えていると、突然ドームに入ってきたメグミに私は腕を引っ張りあげられた。そしてそのままメグミは警察をかわして公園の外へ向かって走りだす。補導されるとややこしいから逃げ出すことにしたのだろう。
警官は驚いて私たちを追っかけてくる。ただ小さくてすばしっこいメグミの方に利があった。住宅街の道だけではなく路地や繁華街を有効に使ってメグミは少しずつ警官を離していく。
路地から再び繁華街に出てメグミと私は後ろを振り返った。なんと警官はまだ追いかけてきていた。メグミは息を整えてから再び走りだす。すると、あっ。走りだした瞬間にメグミは道につまずいて転けてしまった。そして手から離された私はゴロゴロと道路を転がっていく。道路に敷き詰められたタイルと晴天の青空が私の視界をグルグルと入れ替わる。
「(いった~~~い。……、ちょっと、メグミ大丈夫?)」
道に投げ出された私がメグミを見ていると、すぐそこまで警官が迫ってきていた。メグミは私を一瞥すると少し目を細め、それから警官に捕まらないように再び駈け出した。えっ。私のことを置いて行っちゃうの!?
「(えええ。そんな! 私を置いて行かないでよ!!)」
抗議しようにも身体が動かないのでどうすることもできない。私はメグミと警官が追いかけっこして遠ざかっていくのをただただ眺めることしかできなかった。
「(どうしよう……)」
私はどうすることもできずにただ道端に転がっている。どうしよう……。道を行く人が見たら、ただ人形が道に転がっているようにしか見えないだろう。いや実際そうなんだけど。
メグミは警官から逃げ切ったら私を拾いに来てくれるだろうけど……、でもどうしよう。拾いに来るまでに何かがあったら。例えば車が来て轢かれてしまったら……? 私はバキバキに割れて、タイヤのゴム跡と道のホコリで真っ黒に汚れて、道に落ちたただのゴミになってしまう。清掃の時に金属のハサミで拾われて、そのままゴミ袋に落ち葉やビニール袋などと一緒に突っ込まれ、そしてゴミとしてゴミ収集車に回収されてしまうんだ。道にまとめて置かれたゴミ袋の中に、よもや元人間だった人形が入っているだなんて誰も思い付かないだろう。ゴミ収集車の圧力扉で生ごみや他のゴミとグチャグチャにされながら圧縮されて回収されて、クリーンセンターに100kgいくらの値段で持ち込まれてしまう。そしてその後は大きなゴミポストに投げ込まれて、UFOキャッチャーの化物みたいなクレーンに掴まれて焼却炉の中に投げ込まれるのを待つばかり。誰も私が人間だなんて気付いてくれない。ゆくゆくは焼却炉に投げ込まれて、苦しみながらとんでもなく熱い炎で身体を焼かれて、灰になっちゃうんだ……。
良くない妄想が頭の中をグルグルと回って、私はブルブルと震えていた。誰か! 私を助けて!! 私は捨てられた人形じゃない、人間の女の子なのよ! 恐怖のあまり私は絶叫しようとする。でも動けないし声も出ない。なぜなら私は人形だから。
私が道に投げ出されたまま動けずに居ると、上から声がかかった。ただしそれはメグミの声ではない。
「あれ。こんなところに人形が。」
大きな手が私のことを掴むと、グッと地面から持ち上げる。ひっくり返されて私の目に飛び込んできたのは、知らないお姉さんの顔だった。
「う~ん。いくらリサイクルショップだからって、こうやっていらないものを店の前に放置するのは止めて欲しいのよね」
お姉さんはブツブツと言いながら私を抱えて道に面した店の中に入っていく。私が落とされたのはリサイクルショップの前だったのだわ! 初めて私はそのことに気付いた。
「(そんな! ちょっと待って。私をどうするつもりなの!?)」
リサイクルショップの店内には、電化製品から雑貨、そして子供用の玩具まで多種多様な中古品が所狭しと並べれられている。ズンズンと奥へ進んでいく店員の腕に抱えられながらわたしは店内を横目で見回した。リサイクルショップは、薄暗くて、ホコリが多くて苦手だ。
裏のブースに私を連れ入った店員は、机の上に私のことを置いて壁にかけられた雑巾を持ってくる。「(いやっ! 汚い!!)」という拒否の声も届かずに、私は真っ黒な雑巾でサッと全身を拭かれてしまった。
「う~~ん。たしかこのくらいの人形用の箱があったわね。たしかこっちに……」
お姉さんは独り言を言いながらブースの裏へ入っていった。一方の私は知らない人間に知らないところへ連れてこられてパニックだ。しかも悪いことに、私はリサイクルショップの前に捨てられた人形だと思われているらしい。このままだと値札を貼られて売られてしまう……!
ブース裏から返ってきた店員は、ちょうど私が入りそうな大きさの人形用のプラスチック・紙でできたケースを片手に携えていた。箱から人形を固定する用のプラスチック・モールドを出すと、私をモールドの中に押し込める。
「(やだぁ! 私は売り物の人形じゃない!)」
店員はプラスチック・モールドの穴から針金を通して、私の身体を結わえ付けて固定した。これでどんなけ振っても人形は箱のなかでズレてしまわない寸法だ。その後対になったモールドを私の上にかぶせ、そのまま箱のなかにモールドごと私のことを収める。針金で身体を固定されて、プラスチック・モールドで全身をピタリと貼り付けにされ、私は動けないだけでなくより一層の窮屈感を感じた。プラスチックを通して見える外は、微妙にボヤケて見える。
店員は「よし!」と言うと、値札シールを箱の上部に貼って、私を店内に持って行った。
「(あ…、あああ……)」
そのまま私はさっき通った玩具コーナーに並べられる。これで陳列完了というわけだ。誰も私が元人間であることになんか気付いてくれない。リサイクルショップの玩具コーナーに箱に入って並べられた人形が、どうして元人間であることなどがありえるのだろうか。
「(やめてぇ! 私は人間よ! 売らないで……買わないでぇ……!)」
棚の中からそう必死に訴えかけるものの、もちろん誰も返事をしてくれない。私の声は誰にも聞こえないのだ。
店頭に並べられ始めてから無限の時間が過ぎたように思えた。学校が終わったのか、親子連れなどの客が店内に入ってきておもちゃコーナーを物色している。そのうちの一組が私の入った箱を持ち上げた。
「あら。この人形かわいいわね。1500円だって。これなら買ってあげるよ」
「(いや! 止めて! 買わないで!!)」
このまま知らない親子に買われて、人形として一生を過ごすことになったらどうしよう。誰もわたしが元人間であることなんて知らなくて、他のおもちゃと同様に遊ばれてはおもちゃ箱の中に収納される毎日。そういった未来を考えると私は恐怖のあまり息が詰まった。
「う~~ん。それなら私、こっちの方がいい!」
女の子は棚の隣からおままごとセットを取り出してお母さんにねだった。そうすると私は棚の元の位置に戻され、代わりにおままごとセットがカゴに入れられた。さっきまで横にあったおままごとセットは売られてしまってもう無い。虚ろになったその場所が、私の行く末を暗示しているように思えた。
どうしてメグミは私のことを探しに来てくれないんだろう。もう人形になっちゃった私のことなんかどうでもいいと思ってるのかな。メグミは一人だけ人間になってこれから生きていくことにしたのかな……。寂しく棚の中で身体を動かせないままメグミのことを考えていると、私はサメザメと涙を流したくなった。
翌日。お昼ぐらいになってやっとメグミがリサイクルショップの店内に現れた。メグミも警察官に追いかけられたり寝る場所に困ったりして苦労しているのだろう。服もぼろぼろに薄汚れ、膝には転けた時にできた傷の血の固まった跡が付いていた。メグミは注意深くリサイクルショップの中を見ていく。
そしてついに私の目の前までメグミがやってきた。ただメグミは箱に詰められずに裸で売られている私のことを想像していたようだ。私の居る箱に入った玩具のコーナーにはほとんど視線を寄越さずに、もっと安い玩具のコーナーに注意を払っていた。そしてスッとそのまま離れて行きかける。
「(メグミ! 私はココよ!!)」
メグミはえっ?!と驚いたような顔をして再びこちらへ戻ってきた。キョロキョロと辺りを見渡して、そしてついに箱に詰められた私を発見する。売り物の人形のように、化粧箱に綺麗に詰められた私のことを。
「うわ~。どうしたのこんな箱に入っちゃって? 人形になることにしたの?」
元人形のメグミは人形になった私に軽口を叩く。昨日から私のことを探し回っていたのだろう。険しい表情だったメグミは私のことを発見すると、一瞬でニコッと明るい表情になった。
「(そうじゃないわよ! リサイクルショップの前に落とされたものだから、捨てられた人形と勘違いされちゃって、売り物にされちゃったの……)」
「う~ん。そっかぁ。で、そのまま誰かの家に迎え入れられる方がいい? 私みたいに可愛がってもらえるよ。」
そう。私がメグミにしていたように。私は人形として誰かの無条件の愛を受けることが出来るかもしれない。でもそれは嫌だった。考えが変わったのだ。私は人間として生きていたかった。
「(いや、私は人間として生きるわ。私を早くここから救い出して。)」
メグミは店員を連れて来て、私を指し示して文句をいう。ただその店員は昨日私を拾った店員とは別のおばさんだった。メグミ曰く、「私が店の前で落とした人形がここに売られている」「これは私の人形だ。返してくれ」と。元人間の私が元人形のメグミの人形だなんて、まるで人形の人形だ。ちょっとおもしろい。
私はそうやってすぐにメグミの元へ返してもらえるのだと楽観的に思っていたのだが……。どうも雲行きが怪しい。おばさんは「この人形があなたのものだっていう証拠は?」「ていうはあなた、身なりがボロボロだけど。学校はどうしたの?」等と返してくる。そしておもむろに携帯電話を出して何処かへ電話をし出す。その通話先は警察署だった。
メグミは警察に電話されていることに気付くと、脱兎のごとく店内から逃げ出した。店員は「あっ」と言ってメグミを捕まえようとするものの、惜しくも取り逃がしてしまう。たしかに警察の世話になってしまったらメグミも私も同しようもない。だけども……。一目散に店頭の出入り口から逃げていくメグミのことを、私はただ呆然と眺めていた。
そして次の日。また別の親子組がおもちゃコーナーに来て玩具を物色していた。私のことを棚から選びとった少女は満面の笑みで私のことを見つめる。「この人形、なんだか私に語りかけてくるようなきがするわ」等と少女が言う。そしてついに彼女らは私を買い物カゴの中に放り込んでしまった。
「(うぐぅ……ぐすっ 私は人間よ……、やめて買わないで……)」
もうどうにもならない。レジで会計を済まされた私は、、1500円を対価として支払われ、ビニール袋の中に入れられる。そしてフワフワと浮いたような感覚を受けながら、店外へ連れだされた。
私はもう人形なんだ。ただの人形なんだ。私はそう想った。そしてこの少女の人形なんだ。持ち物なんだ。
もしかしたら、メグミのようにこの少女は私のことを可愛がってくれるかもしれない。ならそれでもいいのではないか。そういえば私の元々の願いは人形になることだったのだし。どうしようもなく私は与えられた現実を生きるしか無いのだから。ならどうにかして楽しく過ごすしか無いのではないだろうか。
そうほとんど諦めかけていた時、袋の外から聞き覚えのある声がした。
「す、すいません! ちょっと、その人形見せてもらっていいですかっ!!」
メグミだ。
果たしてメグミは。昨日より一層煤けた姿で私を買ったその親子に話しかけていた。突然現れた身なりの汚い少女に、親子は戸惑っている様子だった。
「その人形、私のものなんです! リサイクルショップの前で落としちゃて、売られちゃって……」
メグミは必死に親子に主張する。驚いた親子は私を袋から出してメグミの前に差し出す。私の目前には、メグミのよく見知った大きな顔が映しだされた。
「あなたの言っているのはこの人形のこと?」
「そうです。この人形です。すいませんが、譲っていただけないでしょうか……。」
メグミはついには土下座までし出した。親子は困った様子で二三言話すと、私をメグミの持たせた。
「そうなので。知らなかったわ。あなたの人形を買ってしまってごめんね。この人形も少し寂しそうな様子をしているし、持ち主のもとに戻してあげようね」
こうしてやっとのことでメグミのもとに戻った私は、メグミに昨日とは別の公園に連れられてきていた。メグミはこうやって公園を毎日点々として暮らしているのだろう。
もうずっとお風呂に入っていないのだろう、メグミは薄汚れていた。人形の私は汗をかかないけど、人間になったメグミは汗をかくし垢も出る。
ええと。私が人間として元に戻る期限はたしか今週金曜日まで……。老婆に人形に変えられたのが月曜日、夕食をフードコートで食べたのが火曜日、警官に追いかけられて私が落とされたのが水曜日、メグミがやっと私をリサイクルショップで発見したのが木曜日。そしてリサイクルショップで買われた私を取り戻したのが今日、金曜日だった。今日金曜日。今日が私が人形から人間に戻って、メグミが人間から人形に戻らずに人間として生き続けていくことを選択できる最終期限だった。『人間にとって最も大切なこと』を見付けられれば、私は元に戻れるしメグミも人形に戻らないことを選択できる。それが条件だった。
私たちはこの5日間のことを反芻していた。『人間にとって最も大切なこと』とはなんだろう。
『ご飯を食べること』かしら。私はそう考えて、「(『人間にとって最も大切なこと』は『ごはんを食べること』!)」と叫んでみた。それでも何も私たちに起こらない。メグミは「そんなわけ無いじゃん」と笑っていた。じゃあ『お金』? 私が私を買い戻す分だけのお金、私の場合は1500円のお金が私の人生にとって最も大切かもしれない。「(『お金』!)」と叫んでみたのだけど、それも違うようだった。
『幸せ日々感じて生きること』かしら? こんなことになったのは、私がママの元を飛び出してきてしまったから……。でも、どうやらそれも違うらしい。『自分で自分の人生を生きること』かしら。人形になったら、自分の意志で自分のしたいことをすることができないもの。でもそうでもないらしい。『人間にとって最も大切なこと』が見つからない。
私たちは二人でウンウンと頭を捻って考えたが、どうしてもわからなかった。『人間にとって最も大切なこと』がわからない。
タイムリミットが迫っている。夕暮れ時にカアカアと鳴いていたカラスも寝床に帰ったのか、公園はシーンと静かで、真っ暗で。電灯だけが辺りを薄暗く照らしていた。
メグミが私に優しく語りかけるように言った。
「もういいんじゃない。私疲れちゃった。」
「(えっ?)」
メグミは諦めたような笑みを浮かべながら、腕の中の私を見つめてくる。
「私だって人形だった時の生活はそれなりに楽しかったよ。カオリちゃんだって人形になりたいってずっと言ってたじゃない。それにもう私、疲れちゃった。人間はしなきゃいけないことがたくさんある。もういいんじゃない?こんなに探したのに見つからないんだもの。『人間にとって最も大切なこと』なんて、私たちには見つけることはできないのだわ。」
消え入りそうなメグミの声は、私に語りかけているというよりもむしろ自分に言い聞かせているようだった。
「(そんなこと言わないでよ……)」
私は心の中を真っ黒な闇が広がっていくのを感じる。この公園のように真っ暗だ。私はもう一生人間に戻れないのだろうか。そんな……。
「(そんなこと言わないでよ、そんなこと言わないでよ! か、考えて。早くしないともうタイムリミットが……。)」
一生人形のままだなんて絶対に嫌だ。私には、人間に戻ってやりたいことがたくさんあった。
「大丈夫よ、カオリちゃん。今度は私が一緒だから。ずっと一緒だから……。」
「(うわああぁぁん。やだぁ! 人形のままなんて嫌だよぅ!)」
メグミは微笑んで、ギュッと私の手を握った。
*
ある男性がアンティークショップに入店してきた。店内には古時計や鉄細工の自転車など様々なものが並んでいる。その中である対になった人形を見つけた。最初は双子の人形なのかと思ったが、顔立ちを見るに実はそうでもないらしい。2体の人形は手をギュッとつなぐように硬く互いを握り締めあっていた。この不思議な魅力を持った人形をじっと眺めていると、店主が奥からやってきた。
「どうです。この人形。なんだか不思議な、惹きつけるような魅了があるでしょう。」
「ええ。なんだか語りかけてくるような……。」
初老の店主はオジサンの客と話を続ける。
「この人形。手が繋がってますよね。でも別に一体成型がされてるわけではないんです。別々の部品なのにピッタリと互いに収まっていて、しかもどうやって組み合わせたのか外すことができない。」
「へぇぇ。変わってますね。」
たしかにその人形が握り締めあった手は別々で作らたようだった。ただ外そうと色々いじってみても決して外れることはない。
メグミと私は拾得物として扱われ、一対の人形として旅することになった。そうして行き着いたのがこのアンティークショップだ。
メグミは人形に戻ってから最初は私の話に受け答えをしていたものの、段々と私に返答しなくなってきた。たしかに話題も限られていたし、そんなに話す必要もなくなってきていた。私たちは少しづつ言葉数が少なくなっていき、今週などまだ一言も話していない。
ああ。そもそも。人形には話す必要などなかったのだ。私たちは人形だからお互いに話す必要はないのだ。
私たちは起きていながらも半分寝ているようであった。こうやって客に触られてももうなにも言葉を発しない。だってこれからもずっと続く長くて退屈な時間を頑張って話だけ続けて暇をつぶそうだなんて馬鹿げているもの。何も考えない。何も感じない。私たちはそれを意識してか無意識にか心がけることにした。こうやって私たちに訪れたまどろみの中ではすべてが無意味になった。
アンティークショップの片隅に対になった人形が二体置かれている。両手は硬く互いを握りしめており外すことはできない。何かを語りかけるような、それともすべてを諦めているような眼差しは客の多くを魅了した。そしていまでも誰かに買われることを待って、商品棚の上で二人佇んでいるのだという。
(おわり)
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