第5話 銀色のポルシェ

 ポルシェは独特のバタバタという乾いた低音と共に藤巳のシボレー、赤髪の少女のフェラーリの近くに停まった。

 藤巳はさっきまで赤髪の少女に猫のように掴まえられていた首筋を撫でながら、ポルシェを観察する。

 スポーツカーとしては地味で古臭い外見で、性能も相応のポルシェ。その潜在能力を大幅に向上させるチューンを施し、スーパーカーと言われる他メーカーのトップグレード・スポーツカーを圧する性能が付与されたモデル。

 グロテスクなまでに大型化されたインタークーラー付きリアウイング、ポルシェの大人しいデザインのフェンダーにフォーミュラーカー並みの幅のタイヤを納めるため装着された特大のオーバーフェンダー、フロントバンパーの下に装着された空力特性を向上させるためのスカート。

 ドイツではポルシェがモデルチェンジされるたびレン・シュポルト、英語読みすればレーシングスポーツと呼ばれる競技用グレードのモデルが少数生産されるが、特にこのカレラRSRターボは、日本で数多く玩具化されたため、藤巳もよく知っている車だった。

 色は地味なシルバー。それが逆に迫力を増す。ドイツ製スポーツカーのナショナルカラーであるジャーマンシルバーは、かつて軽量化の塗装を全て剥がしてレースに出場したことからだという。

 少しでも軽く、少しでも速く走るため自らの姿を形作った自動車。藤巳は以前東京の街中で隣に並ばれたことがあったが、本来そこに居てはいけない獣に遭遇したような気分になった。

 藤巳は寄りかかっていたシボレーのフェンダーを擦るように撫でた。

 このシェビーもエンジン性能では負けていない、でも勝てるかどうかはわからない。

 ニトロの装着で一千馬力のパワーを得たシボレー、その底知れぬ力に恐れを成した藤巳、もしも目の前に停まったポルシェのドライバーが、そんな恐怖を感じる段階などとっくに通過し、サーキット走行における特性の一つに過ぎないと感じるような奴だったら。

 ポルシェのドアがガキン、という剛性感のある音と共に開く。唾を飲んで中から出てくる人間を注視していた藤巳は、隣に居る赤髪のフェラーリ乗りの女が。このポルシェをドラゴンと呼び、決着をつけると言っていたことを忘れていた。

 藤巳との出会いのせいでその予定が狂ったことを不満がっていた少女は、ポルシェが向こうから来てくれたというのに、なぜか不機嫌そうな顔をしている。

 ドアが全開に近い位置まで開き、競技用バケットシートから下りてきたのは、銀色の髪をした小柄な女の子だった。


 フェラーリに続きポルシェにまで女が乗っている。藤巳は自分が富裕な令嬢の遊び場に迷い込んだのかと思った。

 ポルシェに乗っていた銀髪の少女は、藤巳と赤髪の女を見ると、歩幅の狭い早歩きといった感じのヘンな歩き方で近づいて来る。藤巳は例えが悪いが昆虫の動きに似ていると思った。

 近くまで来た少女の背はそれほど高くない。百五十cmに欠けるくらい。セミロングの銀髪はヘルメットのように頭にぴったりしている。

 長い赤髪があちこちで跳ねているフェラーリの少女と対照的。服装は赤髪の少女と同じ白い詰襟シャツに白スラックスだが、皺が寄っていて折り目も立ってない。

 首筋には赤髪の少女と同じ赤いスカーフが巻かれているが、それも無造作に巻いて押し込んでいるような感じで、詰襟シャツのボタンが一つ取れかけていた。

 初対面の男子に物怖じせず近づいてきた銀髪の少女は、いきなり右手の人差し指で藤巳の方向を指して言った。

「これは何?」

 人を指で差すのは日米問わず礼を失した仕草。それでも少女はまっすぐ藤巳を指差してくる。

 名を名乗ればいいのか所属を言えばいいのか、少女の一本調子な雰囲気に圧され藤巳が戸惑っていると、銀髪の少女は藤巳が返事に窮すのが理解できないといった感じで首を傾げ、それから更に近づいてくる。

 藤巳はどうやら知り合いらしい赤髪の女に救いを求めるように視線を送ったが、先ほどと変わらぬ敵意の篭った目つきで返されるだけ。

 その知り合いが見ず知らずの男に近づいているのに何の注意もしないということは、それだけの関係なんだろうと思った。

 手を伸ばせば届くほどの距離まで歩み寄って来た銀髪の少女。顔立ちは赤髪の少女よりさらに幼く小学校高学年くらいに見える。容貌は保育園に居たら他の子より可愛いといわれるような顔で、切りすぎなくらい短い前髪のせいで、ただでさえ広めな額が更に大きく見える。手は指を差し出すと握り返してきそうなくらい小さくて丸っこい。

 銀髪の少女は再び腕を前に突き出す。伸ばされた人差し指が藤巳のわき腹を掠めて、背後にあったシボレーのフェンダーに突き刺さる。

 少女はもう一度口を開いた。

「これは何?」

 藤巳はやっと理解した。車の名前か。ポルシェに乗っているからといって他メーカーの車種にまで詳しいとは限らない。

 藤巳だって幼い頃からよく外車販売業をやっている実家に新しい車が入荷するたび、父や母に「これなんて車?」と聞き、そのたび父は丁寧に教えてくれた。

 いつしか車種に関しては父より詳しくなり、これ何?とは聞かなくなった。

 藤巳は答えを待つかのようにシボレーのボディを指し続ける小さな女の子に答えた

「1972年式シボレーC-10トラック、シェビーって呼んでる」

 銀髪の少女は指をひっこめ、藤巳を見上げた。表情に乏しいながら好奇心旺盛であることは見開かれた目でわかる。少女はそれまでシボレーを差していた指で、自分の額を二度つついた。

「シェビードラゴン、理解した」

 またドラゴンという単語。それも含めて、藤巳は誰でもいいから何かを知っていそうな人間に色々と聞きたくなった。

 そういう人が居る場所まで藤巳を連行するといっていた赤髪の娘が焦れたような表情をしている。

 まだ藤巳の目の前で、直立に近い奇妙な格好で立っている銀髪の少女が、一つ思い出したように指を突き出した。

 さっきとは少し違う場所に指が刺さる、藤巳のヘソのあたり。少女は藤巳を見上げて言った。

「あなたは何?」

 さっき何を答えようか迷っていたが、今は言うべき事がわかる。藤巳は目の前の奇妙な少女に興味をそそられていた、性格や人格はどうでもいいが、この物凄いポルシェを操縦する少女の機能や性能について知りたい。

 教えてほしいならばまずは自分から言うこと。藤巳は所属でも身分でも国籍でもなく、自分自身のことを答えた。

「俺は高良藤巳」

 銀髪の少女は首を傾げる。

「タカラ、トーミ、どっちが名前?」

 藤巳が現在働いているアリゾナは職場内では上下関係問わず、社外の人間とも少し親しくなるとファーストネームで呼び合う。それを居心地いいと思っていた藤巳は、現在の自分が最も多く呼ばれてる名を名乗った。

「トミでいい」

 銀髪の少女はまたひとさし指で自分の額を二度叩いて言った。

「トミ、理解した」

 それから少女はまた腕を出す。今度は人差し指ではなく開いた掌。

 ここがどこかはわからないが親愛を伝える挨拶は変わらないようだ、と思った藤巳は、少女の小さな手を握った。

「わたしはレベル」

 それからさっき藤巳が名乗った時の言い方を、そのまま録音再生するように、あるいは子供の真似っこみたいに繰り返した」

「ベルでいい」

 相手の手を強く握るアメリカンスタイルの握手に慣れた藤巳は、ベルという女の子のちょこんと握ってきた手が、小さいながら握力は強く、掌の皮が意外と固いことに気付く。

 ベルの体格だけ見てこんな子がポルシェに乗れるか心配だったけど、どうやらこの不思議な少女は外見では測れぬ何かを持っているらしい。

 藤巳は寄りかかっていたシボレーのフェンダーから体を起こし、存在を忘れかけていた赤髪の女に歩み寄った。

 さっきからずっと不機嫌な顔をしている赤髪の女は、藤巳が手を差し出しても両腕を組んだまま言う。

「ブラーゴよ、気安く呼んだらブっ飛ばすわよ」

 トミとブラーゴとレベル、シボレーとフェラーリとポルシェ、三台の車に乗った三人の男女は、ブラーゴが学院と呼ぶ場所まで行くこととなった。

 

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