ゴスロリショップのアンティーク人形
ひでシス
アンティークショップの備品
私は疲れていた。
連日の長時間労働。朝8時に起きて、24時まで働いて、そして終電で帰る。といっても家に帰られるのは週3, 4回程度で、朝までコースで30時まで仕事をして、明るくなってからタクシーで家へ帰って2時間後に出社というサイクルも毎週のように組み込まれていた。明らかに処理できない量の仕事が降ってきている。同僚たちも同じぐらい働いている。IT業がこんなに大変だとは思わなかった。入社4ヶ月目にしてもう辞めたいのだけども、さすがに新入社員が突然辞めたら次の就職先は見つからないだろう。3年はガマンしないといけないのだと自分に言い聞かせている。
まだ学生を続けている友人に久しぶりに会ったところ、「まるで棺桶の中の死体みたいやな。葬式で『ホンマに死んでしまったんか~~(泣)』って棺桶を開けたら今のキミの顔が静かに眠ってて、『あっ やっぱり死んでたわ』ってなる感じ。」と言われてしまった。確かに、トイレで居眠りしに行った時に鏡で見る私の顔には生気がない。
さすがに誰かが労基局にチクッたのか、この前労基局の人たちの立ち入りがあった。「はい! 机の上のものに手を触れないで!」と仕事中に突然指示が入り、調査が行われたのだ。結局、平日の忙しさは変わらないのだけども、(手当なし)休日出勤の土曜日はお昼に帰れるようになった。
*
土曜日は昼間に帰れるようになったことで、私は少しづつ街に出るようになった。土曜日は、寝不足の頭で会社から出て、お洒落なカフェでランチを摂って、それから洋服屋さんの並ぶ街中を歩く。日曜日は朝から晩までぶっ倒れているのでなかなか着飾る時間はないのだけども、こうやってウィンドウショッピングをするだけでもだいぶ心が回復するというものだ。
最近気になっているのが角のゴスロリ屋である。黒くてシックなスカートとフワフワのフリルの対照が眼に眩しい。毎週店の前に立ち止まっては、ショーウィンドウの中トルソーが着た可愛らしい服をボーッと見ていた。
*
「お客さま、大丈夫ですか?」
ハッ!と私は我に返った。どうも、服に見とれてる間に睡眠不足がたたって立ったまま寝ていたらしい。不審者だと思って店員さんが話しかけてきたのだ。
「すいません、ちょっと寝不足で……」などと答えると、「それにしては生気がありませんけど大丈夫ですか?」と心配をされる。「もしよかったら、店内で休んで行かれませんか。美味しいお紅茶が入ったんです。」とのこと。悪いので断ってその場を去ろうとするが、フラフラとよろけてしまった。そこを店員さんにグッと支えてもらう。どうしようもないので、私は店員さんの好意に甘えて店内のテーブルへ招かれたのだった。
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紅茶が美味しい。いつもカフェのランチで飲む紅茶に比べたら安モン臭くて香りも薄いのだけど、こうやって落ち着けるスペースで人と一緒に紅茶を飲むだなんて久しぶりだったからだ。
お茶と少しのお菓子をいただきながら、私は日々のつらみについて自然と語ってしまった。店員さんが聞き上手だったのだ。長時間労働、取れない疲れ、ぶっ倒れたままの日曜日……。店員さんはただウンウンと話を聞いてくれた。話をする度にアドバイスをしてきた元カレとは大きな違いだ。私が一通り話をし終わると、やっと店員さんが口を開く。
「週末に、私たちのお店でアンティークドールのバイトをしてみませんか?」
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ええっ こんなに働き詰めなのに、まだ仕事を勧められるのか、と混乱していたら、どうも違うらしい。「全身に筋肉弛緩剤を打って、眠ってるか起きているかの意識の境目をフラフラしながら店頭ディスプレイ用のアンティークドールとして、服を着てショーウィンドウで座っていてもらうだけ」らしい。全身の緊張がほぐれて、日曜日に朝から晩までベッドで眠るよりも疲れが取れるのだという。それに、あの可愛らしい服を着るのも無料だということだ。ディスプレイなので、毎週違ったものを着れるらしい。
「お客さまは、きれいな白い肌をしてらっしゃいますし、人形としても映えると思うんです。」
と店員さんは言う。肌が白いのはIT業で働くギークだからだ。
どうしようかなと迷っていると、店員さんは奥に入って早速契約書類を出してきた。土曜日の昼から日曜日夕方まで。食事・洗浴・就寝付きで連続30時間勤務。筋肉弛緩剤は土曜日の昼に打ったら日曜日の夕方まではずっと効くようで、その間の食事や洗浴は店員さんが行ってくれるとのことだった。
あんまりにも唐突なので、と断ろうとすると、「では明日、とりあえず半日だけ体験してみませんか」と言う。どうせ明日はまた一日寝ている予定だったし、疲れが取れるのなら少し試してみようかしらと少し思う。悩んでいると、「では明日の14時にいらしてくださいね。20時までの体験バイトです。」と強引に話を進められてしまった。
*
結局来てしまった……。
日曜日は普段は朝飯を食べたらずっと寝ているのだけども、昨日ゴスロリショップの店員さんから言われたことが気になって、結局来てしまった。6時間の体験バイトである。
更衣室で服をゴスロリ服に着替える。あの、店頭でずっと見とれていたフリルの服である。着てみると思っていた以上に自分に合って、姿見で見る自分の姿は生気のない顔も相まって本物の人形のようだった。
更衣室を出ると、ショーウィンドウの中に案内される。店の外から見えるガラスのケースである。今度は別の服を着ているトルソーの横に置かれた、人がひとり入りそうなアンティークトランクの上に腰掛けるように指示される。スッと腰を下ろすと、店員さんは私の脚の角度や上半身の向きと体重を預け方を調整した。
「いいですか。この注射器を首元に打ちます。一目盛りが1時間の筋肉弛緩時間です。今回は6時間なのでこんなけですね。
打たれると体全身に力が入らなくなるので、打たれた後に倒れてしまわないよう、全身の力を抜いて座っていて下さいね。」
注射器には透明の液体が目盛り6まで入っている。店員さんは諸注意を説明し終わると、私の首をグッと傾けて、プシッと首元にその注射器を刺した。
*
注射をされると、首元から全身にゆっくりとジーンとしたシビレが広がっていく。手や足の先にシビレが達すると、今度は冷たさが手や足の先から身体の中心に向かって集まっていく。そうして、私は身体のどこも、指一本さえ動かせなくなっていることに気付いた。
眼球の筋肉もほぐれて、ゆっくりと焦点が合わなくなっていく。ぼんやりとした視界の中で意識がふよふよと漂う。目の先を外の客が集まる方ではなく客の足元に落としてしまったのだが、幾人かお客さんが私を見つけては過ぎていくのが視界の端に捉えられた。私のことは、人間ではなくただのアンティークドールとしてしか見ていないだろう。ガラスケースの中に収められているのだからなおさらだ。いつの間にか私は意識を落として、ゆっくりと眠ってしまった。
*
ザワザワザワ……
突然外の喧騒が耳に強く入ってきた。そして、店内の光が視界を眩しくした。私はフッと首を動かそうとする、と、動いた。筋肉弛緩剤の効力が切れたのだ。
それに気付いた店員さんが駆け寄ってくる。もうそろそろ閉店のようだ。私はその場を動かないようにジェスチャーを受け、そして店員さんは店のシャッターをガラガラと落とした。閉店が住んでから私はガラスケースの中から出された。
「お疲れ様でした。」
更衣室で元の服装に着替えながら、体の様子を確認する。日曜日にベッドで倒れていて起きた時よりも、なるほど頭痛もしないし体全身の疲れもとれているようだった。目も霞んでいない。これは良さそうだ。
*
結局私は毎週のドール契約をしたのだった。
土曜日の昼に会社が終わると、ゴスロリショップに直行する。着くとまずは裸になり、弛緩剤を打たれる。店員さんに今日の服に着替えさせてもらい、ショーウィンドウの中に運び込まれる。表情は、ある時はニコヤカになるように、ある時はゴスロリらしく無表情になるように、店員さんの手で口元や眉が調整された。普段はトランクケースの上に腰掛けている姿が多かったが、時たま蓋を開けたトランクの中に胎児のように丸くなってつめ込まれたり、ベッドの上に横へ寝かせられて周りに花を添えられるなど凝ったディスプレイもやってくれた。
土曜日が終わると、食事と洗浴である。食事は特殊なゼリー飲料を口から胃へチューブを使って注ぎ込まれる。洗浴は、また裸にされてから真っ白なお湯の張られたバスタブに沈められて、全身をスポンジでこすられた。美肌効果のある入浴剤なのだという。確かに週を追うごとに、連日の出勤でくすんだ肌も、白い透き通りが見られるような感じになってきた。
その後は日曜日の開店の時間まで店内で安置される。最初の1, 2週間は店舗奥の更衣室脇のベッドで寝かせられたのだけど、めんどくさくなったのか日曜日の次の服装を着せられてからショーウィンドウの中に設置されて帰られるようになってしまった。夜中にシャッターの降りたガラスケースの中に閉じ込められているさまは、まさに自分がただのゴスロリショップの備品になってしまったことを意識させた。まぁ、日曜日が終われば動けるようになるのだけど。盗難の危険が恐くて店舗奥のベッドに戻してもらうように頼んだことがあるが、セキュリティは万全だし、万が一盗まれてもどうせ一日たったら動けるようになるのだし盗まれても逃げ出せると言われてしまった。
そうして日曜日は一日中ディスプレイの一部としてガラスケースの中で過ごし、閉店時刻ぐらいにいつも目が覚めて動けるようになるのだった。
*
人形バイトをしている内に、身体に起こった変化がある。
ひとつは、先程述べたように肌が白く透き通るようになってきたということ。弾力も出てきた。水を粒にして弾く様は、まるで本物のドールの肌のようだ。これもそれも入浴剤の効果だという。水を弾くのは肌が引き締まってきた印だという。
ふたつには、睡眠時間が長くなった。これはちょっと困っていて、一度平日に1時間半しか寝ちゃいけない日なんかに9時間寝てしまって大変なことになってしまったことがある。う~んと言った感じ。困ったな。
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ある週、休日が重なって週末が4日間に伸びた。今まで溜めてきた有給をこれに足すと、後の週末とくっつけて10日間休みになる。こんなことをしたら会社から怒られそうだけど、一ヶ月以上前から申請をして、かつ、労基局のことを示唆したら申請が通ってしまった。10日間の連休が取れたのである。
早速ゴスロリショップに連絡をすると、10日間連続で人形をさせてもらうことができるようになった。労働厨大歓喜である。
その日、いつもとは違った色の青い注射器を見せられた。また、今回10日間連続で人形をするのも、労基法違反だから別で契約をしてもらうことになるという。私は特に契約書に目を通さずに署名をしてしまった。早くいつもの人形の状態になりたかったのだ。店員さんはいつものように私の首筋に注射器を押し当てると、いつもとは違った色の青い注射をしたのだった。
*
楽しかった10日間の人形生活が終わった。さすが、10日間も連続でドールとして扱われると、人間としての動き方を忘れそうである。しかし、私は店の閉店時間が過ぎても自分の力で動くことができなくなっていた。店員さんは私には気を止めることもなく、そのまま店仕舞いをして電気を消して帰ってしまった。
(えっ どういうこと……。もう明日から私は会社に行かなきゃいけないのに…!)
次の日。店員さんはいつもと同じように開店準備をする。私も別の衣装を着せられる。顔の筋肉も動かないし声も出せない中で、私は店員さんに不平を伝えるよう念じた。念が伝わったのかどうかは知らないが、店員さんはひとりごとのように口を開いた。
「あの契約書をよくお読みになりましたか? あれは、あなたを完全に人形にして、店の備品にしてしまうという内容でした。」
(ええっ! なんですって!!)
「もうどこも、指の先一本、まだたきさえできないでしょう。あの青い薬は普段の筋肉弛緩剤とは違うものです。体の代謝を完全に止めます。」
(それってどういう…。。。)
「毎週入ってもらっていたお風呂も、皮膚をシリコンゴムに置き換える入浴剤が入っていました。だから、もう入浴の必要はないんですよ。」
(肌が水を弾いてたのって……)
店員さんはグッと私の頬を親指で押した。跳ね返すのは柔らかいゴムの感覚である。
「もうあなたはどこからどう見ても普通のアンティークドールです。これからは店の備品として、お客さんに服を見せるのを頑張って下さいね。」
店員さんは私の口角に親指を当てると、キュッと上へ上げる。私は笑顔の表情になった。内心の焦りとは正反対に。
(…ちょっと待って! ああっ)
店員さんは独り言を言いながら私を着替えさせ終わると、店頭のガラスケースに閉じ込めてその場を離れてしまった。私は振り返ることもできずに、ただ人形としてトランクケースの上でじっと座っていることしかできなかった。。。
*
毎日ショップの備品として扱われて、もう5年は経つ。日を数えるのは忘れてしまったけど、5回目の夏だからだ。
私を人形にした店員さんは配置換えで店から抜けてしまった。最後の出勤の日、私の唇にそっとキスをして「あとは頑張って下さいね」と言って去ってしまった。今は、私が人間だと知っている人はもう店の中に残っていない。
私はずっと店舗の中で唯一の等身大ドールだったのだが、最近は新しい子が入荷された。彼女は元人間ではなく真正のドールのようだった。それから少しの期間は、ともに2対のドールとして様々なペア衣装を着たりなどしていたのだが、さすが私は元人間だけあって、重いし、関節も固定できないしで店員から嫌われていたようだ、最近は倉庫で過ごすことが多くなっていた。元々私が飾れていた場所に、新入のドールが我が物顔でディスプレイされているのは腹立たしい。
倉庫に仕舞われるときは、いつも付属のトランクケースに入れられた。グッと身体を折りたたんで、ギュッと箱のなかに詰められて、上から蓋を閉められるとバチンッバチンッと留め具を掛けられる。まさかこのアンティークトランクの中に元人間が収まっているとは思えまい。
*
もう5年の歳月が経った。ゴスロリショップは倒産してしまった。
あるときから私は倉庫にしまわれっぱなしになるようになった。みんな、私の存在を忘れてしまったのだろう。そう思って、長い間、真っ暗な箱のなかで寝たり起きたりを繰り返していたのだけども、ついに箱が開けられる時が来た。ゴスロリショップの倒産である。
廃棄物処理業者が、一緒に倉庫から運びだされた汚れたトルソーなどをゴミ収集車の中に放り込んでいく。バキバキッという音を立ててトルソーは砕けながら収集車の奥へ消えていった。次に、私が倉庫に仕舞われてからもずっと店頭で使われていたドールが収集車の口まで抱きかかえられて運ばれる。グオオオオオン!!と音を立てるそれの中に投げ込まれた彼女は、ベキバキと音を立てながら関節が変な方向に曲りグチャグチャになって、そうして中に飲み込まれていった。いよいと次は私の番である。
「この人形、えらくキレイだなぁ。まるで人間みたいだ。」
(そうよ、私は人間よ! ゴミじゃない!)
「よっこらせ。う~ん。ずっしり来るなぁ」
(失礼な。)
「そのドールも早く片付けてしまおう。」
(…ああっ! 止めて!! 私は廃棄物のドールじゃないの!!! このままドールとしてなんか死にたくない…!!)
ポーイ、とゴミ収集車の口に投げられようとした瞬間、廃棄物業者の監督らしき人が声を上げた。
「ちょっと待ちなさい。それ、売れるんじゃないか?」
「ああ。これッスか。たしかに、長いこと仕舞われてたみたいで汚れもないし……。」
(だから人間なんだってば!)
「よし。アンティークショップへ売ろう」
(あああっ、と、とりあえず助かった…。。。のかな……。)
私は再びトランクケースに入れられると、作業用バンの中に投げ込まれた。
*
今、私はアンティークショップの店頭で、昔のゴスロリショップ時代と同じようにトランクケースに座ってお客さんに衣装を披露している。アンティークショップは無事私を買ってくれたようで、ゴミにされずに済んだ。
昔と違うのは、今や私はゴスロリ服を売ってるのではなくて、私自身が売り物だということだ。トランクケース付きで20万円らしい。あんなにバリバリ働いて稼いでいた私も安くなったものだ。
もう人間に戻ることはできないのかな……もしあの店員さんが私に気付いてくれれば…。でも、シリコンゴムに変わってしまったのじゃ無理か。と毎日同じ思考を繰り返している。そうして、私は誰かに買われる日を待ちながら、アンティークショップのショーウィンドウの中から外の通行人の姿をぼんやりと眺め続けている。
ゴスロリショップのアンティーク人形 ひでシス @hidesys
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