備品のトロンボーン

ひでシス

いい音が出る楽器

「ええーーー!!!! あなた、私のトロンボーンになんてことしてくれたの!!!」


「ぅぅ…… …ご、ごめんなさい……。」


机の上には2つに分離したトロンボーンが置かれている。一見、うまくはめ込めば元に戻りそうに見える金管楽器は、完全に壊れてしまっていた。もうコンクールまで時間もないというのに。


怒りを通り越して呆れに入った部長は頭を抱え、一方の私は頭をあげることもできずうつむくしかない。独特のカビの臭いのする狭い音楽室控え室には、うう~という苦悩の声と、ぐすぐすぐすりと鼻をすする悲哀の声だけが流れていた。


 *


「とりあえず、来週のコンクールはあなたにトロンボーンになってもらって乗り切る」


「はい。」


「というか、部費で新しいトロンボーンが買えるようになるまで、あなたをトロンボーンとして使うから。OK?」


「……わかりました。」


「ちなみに、今のペースだと新しいの買うのに何ヶ月ぐらいかかりそう? あなた、会計だからよく知ってるでしょう」


「えっと……次の新入生の入部費で足りるようになると思います」


「あと3ヶ月ってとこか…… それじゃあ、頑張ってね」


そう言って、部長は私に下剤と白い錠剤を渡した。


奏者ではなく会計その他庶務担当だった私は、身体を金属化して壊してしまったトロンボーンの代わりとして使われることになった。このクスリは美術部に伝わる伝統的な魔術なんだけど、部長同士で仲が良いらしく借りてきたらしい。


人間は、トポロジー、やわらかい幾何位相学的に言えば、トランペットと一緒だ。口から入っておしりに食べ物が抜けるのは、マウスピースから入ってベルに空気が抜けるのと一緒。トロンボーンを壊した私が代わりの金管楽器になるのは今のところ最良の選択肢のように思えた。


とかく、お腹の中をキレイにしないと、いくらトポロジー的には金管楽器でも楽器としては使えない。他の部員に迷惑をかけないよう、私は下剤を持ってトイレへ急いだ。


 *


いい音が出る楽器になるように、私はハダカにされてヨガみたいな体勢をとって床に転がっている。寒い。


「う~ん。こんな感じかなぁ。もうちょっと脚曲げてみて」


「いてててて。部長、これ以上は無理です。。」


「だってあなたの責任でしょ」


「はい。。。」


ギシシ。体重をかけられて、より身体がコンパクトになる。複雑なポーズをとった私は、システマチックな外見の金管楽器というより、むしろ人間の曲線美を共有するバイオリンとかあのあたりの楽器に似ていた。


「じゃあこれ飲んで」


「はい。」


やっと満足できる格好になったのか、部長はさっきの白い錠剤を私の口に押し込んで、コップを口の端につけてきた。無理な体勢をとっていたせいで、飲むときに水がこぼれてしまう。だけども、なんとか私はクスリを飲み込むことができた。


その後あまり間を置かずに、胃のあたりがずっしりと重い感じになる。焼肉屋で食べ過ぎた翌朝の感じを思い出しているうちに、その気だるさのような重さは、胸のあたりから全身にじわじわと広がってきた。重くて、固くて、動くものじゃない感じ。腕の関節まで金色が侵食したところで、楽器に変な手形がつかないように、体重をかけていた部長は私の身体から手を離した。


「(こんな体勢じゃコップで飲めない!って言ったら、口移しでクスリ飲ませてくれたかな。。。)」


「もうできたかな」


コンコンと部長が身体を叩く。内部はもとより全身まで金色に固まった私は、部の備品の一つになった。


 *


むちゅう。


「(?!)」


部長が私に濃厚なキスをする。突然のことに私はドッキリとする。すると、部長は私の中に一定の強さで息を吹きこんできた。


タータタラッタタター


「(ひああああ!!)」


「うん。ちゃんと音が鳴るみたいね。ちょっとクセがあるけど」


部長は作りたての楽器の出来を早速試す。結構満足している様子だ。


一方の私は、部長にキスをされたという興奮と、彼女が震わせた空気が身体の中を駆け巡って起こした全身の振動で、激しい快感に身を震わせていた。


タータターラッタター


「(……っああああ!!)」


 *


全体の合奏練習で15分一本を通したときなどは、まったく私はずっと快感を感じぱなっしで、そのあと数十分物事の考えが定まらない程度にまでなることは珍しくなかった。しかし、ただの楽器の私の心の声は誰にも伝わらない。唯一、トロンボーン奏者の部長だけが、楽器のコンディションに気を使って私を扱ってくれていた。


楽器が変わったというのに、部長の努力もあって私たち吹奏楽部はみごと地区予選4位になった。去年よりも順位が上がった形だ。こんな重い私を無事会場まで運べるのかなと思ったけど、部長は自分の楽器を愛おしく丁寧に梱包してくれたおかげで、滞り無く私は会場まで搬入されることができた。


それから、もう少ししか残っていないけど春休み。練習会もないというのに、部長は時々部室を訪れては、私を演奏してくれた。広い部室の中で自由に2人で音を奏でた時間は、夢のようだった。


春休みも終わりかけの3月26日。部長は「さようなら」とだけ私につぶやいて、学校を卒業していった。


 *


4月。新学期である。多くの若々しい新入生が学校へ入学してくる。新入部員の獲得にどの部も必死だ。


「えっと、あの、得意なのはパーカスです。」


「www パーカスは帰って、どうぞ(迫真)」


「(ちょっと! 煽り耐性のない新入生を煽っちゃダメだってば!!)」


演奏の上手い部員たちも、初対面の人を新歓するのだけは苦手だったようだ。人格者だった部長も抜けてしまって、部の統制は取れなくなっていた。


音楽室に渦巻くカオスの中で、そういえば私は新歓で中心的な役割を果たしていたんだと、このままじゃ新歓が失敗してしまうと、気付くのにそう長い時間はかからなかった。


 *


「ええと、この部屋にある楽器全てです。」


「わたりましたー。見積もりは後で連絡します。とりあえず、運び出しちゃいますね。」


4年前の新歓は見事失敗し、新入生の獲得競争に敗れた我が部は新しいトロンボーンを購入する力もなく、私はついに元へ戻されなかった。それどころか、年々部員の数は減っていき、一時期は栄光を極めた吹奏楽部も消滅の道を辿ってしまった。


代替わりの中で変わった形のトロンボーンは部員を固めたものだということも忘れられ、ただの一楽器として、部の備品のうちに数え上げられていた。廃部になった部は、もう必要の無くなった備品を売りに出すことにしたようだ。


「(ねぇ! 気付いて! 私、人間よ! 人間の形をしてるでしょ!)」


「このトロンボーン、変わった形ッスね。」


「無駄口を叩いてらずに手を動かしてくれ」


「はいッス。」


「(やだやだぁ! 私を準備室から出さないで…!!)」


人間の形をした大きな金管楽器は、チューバやトランペットとともに、校舎の横に付けられたトラックの中に運び入れられた。


 *


中古楽器屋に売り渡された私は古ぼけた楽器屋の隅でホコリをかぶっていた。


私の元々の性格のように、私の吹き方には少しクセがあるらしく、大きくて邪魔で扱いにくい楽器は長い間売れ残ってしまっていた。


だが、店の中で静かに佇みつつ部の時代を思い出す日々もそろそろ終わりのようだった。先週、スクラップ業者来て、私の体重を量っていった。店の楽器を一掃して新しくするらしく、私は廃金属としてスクラップ業者に引き渡されることになったようだ。


部長はまだトロンボーンを吹き続けているのかしら、もし吹き続けていてこの楽器屋に寄ってくれれば、私のことを思い出してくれるかしら。いや、こんな変わった形のトロンボーン、思い出すも何も一目見たらわかるはずだ。ああ、部長! 私を救い出しに来て…!


私はまだ値札を首から下げられて楽器屋の隅に鎮座している。いつあのスクラップ業者がまた来るのか、毎日怯えながら固まっている。

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備品のトロンボーン ひでシス @hidesys

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