これから愛犬の闘病をされる方へ
それは限られた時間を刻むこと
ネット上に散らばる色々な方々の体験談を読むと、愛犬の命を賭けた闘病は、突然やってくることが多いようです。筆者の場合もそうでした。
最近、どうも体調が悪そうだな。
いつもなら元気一杯でじゃれついてくる愛犬の、ちょっとした変調。
いつものように、2~3日様子を見たらきっと良くなるだろう。
――あれ、今回はどうも違うようだな。
何となく嫌な予感がして、動物病院に連れて行く。そんなときに、突然に獣医師から、予期せぬ病名を告げられるのです。
重病。
回復は望めない。
余命は……
その言葉を聞いたとき、飼い主たたちはきっと深い絶望の底に落ちるでしょう。
そして、その絶望の中身は1つだけではありません。
この子がいない生活など考えられない。医療費は一体いくらかかるの? 投薬の時間は守れるのか? 自分に点滴の針をさせるの? ……
さまざまな思いが、一気に飼い主の心中に去来します。
その中でも、飼い主が最も恐れを抱くのは、”時間”に対する恐怖です。
はじめのうちは、「あとどれくらいこの子と一緒にいられるのだろう」という恐れです。
やがて看病が始まり、それが日常のものになってくると、恐れの内容が変わってきます。
「この看病はいつまでつづくのだろうか?」と……
無限に思われるその時間の重さに、飼い主の心は不安にさいなまれるのです。
しかし、良く考えてみてください。本作でも一般的な犬の闘病期間について触れていますが、その期間は慢性疾患の場合で1年。長くて2年。重篤な疾患、急性疾患は数か月です。
別れの時は確実にやってきます。恐らくそれは、とてもあっけない形で訪れることでしょう。
筆者の愛犬ピーチーの場合は、後足の化膿の治療で、たまたま訪れた主治医の病院で肺ガンの恐れが指摘されました。天国に旅立ったのは、それからわずか1か月後です。(この詳細は別の章で触れることにします)
ドッグイヤーと言われるように、犬は歳を重ねるのが早く、高齢になってその速度が落ちてたとしても、人間に換算して1年で5歳も年を取ります。
病気の進行もそれと同じくドッグイヤーで進むのです。
お分かりになるでしょうか? 実はそれは、私たちがの愛犬がもしも重病で、且つ治る見込みがない慢性疾患だと認められた場合に、幸か不幸か私たちは、無限の看病を恐れる必要が無い事を意味しているのです。
「この子とは、あと1年ほどしか一緒にいられないんだ」
もしも無限の闘病を恐れる日が来たときは、そう考え方を変えると良いと思います。
残された時間を慈しむ事で、愛犬との付き合い方は変わってくるでしょう。
筆者がそうであったようにです。
「長い人生の中の、たった1年をこの子のために使おう」
そう考えるのは、無限の先を想うよりもずっとたやすいことではないでしょうか。
そして幸運にも1年を乗り越えられたなら、その時点で過ぎた1年に感謝しながら、もう一度「この子とは、もうあと1年ほどしか一緒にいられないんだ」と、思いを新たにすれば良いのです。
愛犬の闘病は、残された時を刻むことだと思います。
どうかこれからの ”時間” は、見えない何かに恐れるのではなく、まっすぐに愛犬のために費やしてあげてください。
それは愛犬のためにだけにでなく、後に残される飼い主、つまりあなた自身のためにでもあるのです。
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