愛犬闘病ブログに見る、闘病の姿は

飼主にとっての闘病の姿は

”愛犬闘病ブログ”の中では、同じ不安、同じ悩みを抱えた飼い主たちが、本心で語り合ってます。

 以下に2つその例をご紹介しましょう。あるブログのコメント欄に投稿された書き込みです。


――ケース1 執筆者:レウス母さん――


 忘れることはありません。

 闘病にくじけて、あの日、息子に愛犬の世話を頼んで逃げたこと。


 現実から逃げたかったんです。

 それに、そんな気分の時に一緒にいても犬にはばれるので、こちらもふーっと息抜きがしたかったてのもあるかな。


 今でも罪悪感があります。

 いつもじっとこっちを見ている子がいるのに、家を空けたことに。

 犬は感じ取るといいますよね。

 でも、あの視線、とっても私には重かったんです。


「いなくてよかったよ。お母さんなら耐えられないと思うよ」

 息子からの言葉、私にはものすごく救いだった。


 でも、なんであの時に姉と買い物(お肉を買いに)出かけたんだろう。

 まだ身体は暖かかった。あと10分早く家に帰れたら良かった。


 可愛かったなー

 最近は良いことばかり、思い出すようにしています。

 そして今でも時々、あの子が寂しそうな目でじっと見ているのを思い出します。

――――――――――――――――――

 出典:http://ameblo.jp/never-been-peachier/entry-12065928660.html

  注:執筆者の許可を得て、趣旨を損なわないよう、若干の訂正が

    加えてあります。

  注:原文は出典リンク先のブログ下部、コメント欄でご覧になれます。



――ケース2 執筆者:ラフmom――


 愛犬が思いもよらず病気になって、悩み苦しみながら闘病生活を送っていくって、まさにを流すって表現なんですよね。

 私は主人を闘病の末看取っています。同じように苦悩しながらの闘病生活でした。

 しかし、あの時は透明の涙しか流してはいなかった気がするんです。


 それはどちらが大変だったとか辛かったって事ではなく。辛く悲しいのはどちらも同じなのだけれど。ラフ(投稿者の愛犬の名)の闘病に関しては、常に血の涙を流しながら考えて決断して、毎日が過ぎていってるように感じます。

うまく言えませんが……

――――――――――――――――――

 出典:http://ameblo.jp/never-been-peachier/entry-12066762657.html

  注:執筆者の許可を得て、趣旨を損なわないよう、若干の訂正が

    加えてあります。

  注:原文は出典リンク先のブログ下部、コメント欄でご覧になれます。



 如何でしょうか?

 どちらのコメントからも、愛犬の病気に際しての、飼い主たちの心の揺れが良くわかるのではないかと思います。


 特に、は非常に強いメッセージを感じます。

 通常ではあまり使われない表現が、なぜか愛犬の闘病にはしっくりきます。


 愛犬の闘病に関わった経験のある方ならば、似たような経験があるのではないでしょうか。

 

 なぜ、強い表現がしっくりくるのか?

 次項にて、について、今少し考察してみたいと思います。

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