第51話 「決着」

エヴァから許しを得てから、ワシはルゥにどの程度の時間を要するか聞いてみた。


「途切れてしまうと、また始めからだから。私もこの魔法は、最近覚えたてで実戦で使用したことはないの。時間で言えば、四十五秒いや一分ほどあれば……」


ルゥが、遠慮がちに言った。

一分間。

あのデカブツの相手を務める。

これが如何に難儀なものか、ルゥは分かっているようじゃ。

じゃからこそのその顔か。


「分かった。その時間だけ何とかしよう。エヴァ良いな」


ワシは、エヴァに確認するかのように聞いてみた。


「一分ね、分かったわ。この一分で勝負が決まるのね」


エヴァがうなずく。


「ごめんね、出来るだけ、早く終えるようにする」


ルゥが、申し訳なさそうに言った。


「そんな顔をするな、ルゥよ。一分後には、皆が勝利に喜びを分かち合ってるはずじゃ。ワシはそう信じておる」

「私も信じてるわ」


エヴァも、ワシに続いて言葉を紡ぐ。

ルゥの魔法の一撃に全てを託し、ワシとエヴァは、サソリ蜘蛛の正面に立った。

一分間。

何も考えていなければ、あっという間に過ぎ去ってしまう時間じゃが、今のこの瞬間、この時の一分間は、今まで生きてきた中の一分間で一番長く、重い一分間になるやもしれぬ。


「行くぞ、援護を頼むぞ!」


ワシは、エヴァにそう告げ、小刀を片手に巨大なサソリ蜘蛛に向かって、駆け出した。


「!?」


距離を詰める途中、サソリ蜘蛛から洗礼を受ける。

ここに初めて来た時に浴びた粘着性の糸じゃ。

サソリ蜘蛛は、少し仰け反るそうな体勢から、前面に顔を押し出すかのように、口から糸を吐き出した。

ワシは、一度見ていた攻撃だったので、容易にその攻撃を回避する。

軌道さえ見切れば、そんな攻撃は当たらんわ。

しかし、それはワシだけの場合じゃった。

何もこのサソリ蜘蛛の狙うところは、ワシだけではないはず……。

ワシのその疑念が、疑念ではなく、真実になる。

粘着性の糸がルゥに向けられて、発射されたのだ。

ワシはすぐにその放射された糸を、追いかけたが追いつけるはずもない。

狙いは、動かないルゥなのじゃ。


「ルゥ、回避するのじゃ! 詠唱は一時中断してもよい!」


ワシは声高らかに、ルゥに叫ぶが、ルゥは一向に詠唱を止める素振りは見せない。

ワシ達を、信じておるのか。

この距離では、この距離では、ワシは何も出来ん。

エヴァよ、お主ならば。

エヴァに全てを委ねるが如く、ワシは


「エヴァ、お主しかおらん。頼む!」


すぐに、エヴァに叫んでいた。

エヴァを直視しながら、この現状に何も出来ない自分に歯噛みしながら、ワシはエヴァに粘着糸の処理を委ねた。


「任せて!」


ワシに答えるかのように、すでに魔法の詠唱をほぼ終えているようじゃった。

詠唱を終えている?

一体、何を唱えたというのじゃ!?

エヴァは、ルゥに向かって杖を指し示すかのように振る。


「いでよ! 防炎障壁!」


エヴァがそう言うと、ルゥの目の前に炎魔法を、使用したときに出現する紅蓮の魔法陣を召喚した。

そして時を同じにして、メラメラと火の粉を落としながら、煌々とした炎の壁が、ルゥを守るかのように前方部に現れた。

炎の盾か!

ワシはその魔法を見て、エヴァがルゥを守るために、炎の障壁をルゥの前に形成したのをすぐに理解した。

間一髪、防炎障壁が現れたところで、サソリ蜘蛛の粘着糸が防炎障壁にぶつかり、跡形もなく、ぱちぱちという音を立てて、燃えつきて、燃えカスも残らず、消滅した。


「ふぅ、何とかなったわね。あっ、トーブ。こっちは任せて、貴方は攻撃しなさいよ!」


エヴァから、厳しい叱咤を受取り、ワシはすぐに自分の今やれるべきことを実行するために行動する。

さっきのエヴァの言葉が耳から離れない。本当に頼もしいわ。

ワシは内心で嬉しく思い、前方でいるさそり蜘蛛を一瞥した。

もはやお互い仕掛けれる位置じゃ。

ワシは、杖を片手に詠唱を行う。


「土の精霊よ、我に力を与え給え! 万物を支える大地よ、その縛りを無くし、我に加護を受けたまわん。いでよ! 岩地形!」


ワシは、詠唱を終えると、サソリ蜘蛛の周囲の宙に、魔法陣が現れた。そしてその中から平らな岩が無数に出現する。

ふん、魔法にもこういった使い方がある。

何も魔法で攻撃することだけが全てではない。

ワシは、その宙に舞う平らな岩の位置を大体把握した。


「では、参るぞ!」


ワシは、掛け声一閃。

まずはサソリ蜘蛛の懐に入るかのように、飛び込み、小刀を両手で持ち、腹下から上に突き立てるかのように、勢いよく小刀を動かした。


「ぎぃい!」


サソリ蜘蛛も流石に分かっていたのか、ワシの一連の動作に反応し、腹下を庇うかのように、身を潜めるような動きをした。

やはり、腹下か。

ワシの始めからの考えは、どうやら当たっていたようじゃ。

予想が真実という結果に変わる瞬間じゃった。


「ぬぅ!」


初手は、サソリ蜘蛛が反応したこともあったので、腹下から反れて、腹下付近の外骨格に擦れるように、小刀はぶつかった。

キィンという、刃物と硬い外骨格がぶつかるような音がし、火花が一瞬散った。

中々の硬さのようじゃな。

ワシは、そのままの上昇している勢いを消さないように、サソリ蜘蛛の真上にあるまっ平らな岩に着地し、すぐにそのままその岩の平らな部分を足場にして、サソリ蜘蛛の頭上、真上から小刀で襲いかかる。

狙いところの弱点は腹下ではあるが、時間稼ぎとしては、どこを狙っても問題はないくらいじゃ。再び、外骨格と刀身がぶつかり、火花を散らす。

むしろ、たくさんの箇所を多角的に狙ってちょっかいを出し、注意をワシに向けていたほうがいい。

ルゥの詠唱時間を稼ぐ間はのぅ。

ワシはそのままの流れで、サソリ蜘蛛の背中を転がり、今度は背面部に移動する。このサソリ蜘蛛の強靭な尻尾がどのようなものか確認するためじゃ。鋭利な先端はさることながら、その先端付近には、毒でも吹き出すのであろうか、小さな毒袋のようなものがある。

これは、気をつけねばならん。

そしてワシは、また再び岩の足場を利用し、他方に跳び、一刀を浴びせる。

この足場があれば人間相手には、中々難しいが、大きな巨体を持つ相手であれば、場所を選ばず、多角的に戦うことができそうじゃ。

補助魔法の有効な使いみちを実戦で試し、問題なく実戦で使えることが立証できた。

あとは……。

ワシの視線の先にルゥが見える。

心の中で、そろそろ一分が過ぎ去るのではないかと何度もワシは繰り返す。

すると、ルゥの近くにいるエヴァが、大きく手を振った。

準備完了ってところかのぅ。

全く長い長い一分間じゃったわい。

ワシはすぐに、自分で形成した岩地形に退避する。

これからルゥが繰り出す魔法は、そこそこの威力を秘めた魔法に違いないからじゃ。

素人目に見ても、これだけの詠唱時間を用いる魔法はと、期待させるものがある。

ワシは、サソリ蜘蛛の大きな攻撃動作の一つ一つをかいくぐり、エヴァとルゥの近くまで来た。


「……絶対氷殺!」


ルゥが、魔法名を唱え終わる。

前方に杖を、両手で構える。

ルゥの両手がカタカタと震えているのは、武者震いのせいか。

すると、一際大きな青色の魔法陣が、サソリ蜘蛛の身体の真下に出た。

サソリ蜘蛛より、少し小さいがそれでも今まで見てきた魔法陣の中でも、かなり大きい部類じゃ。


「んっ……ふぅうう!」


軽く鼻にかかった声を、出しながらルゥが言うと、

ゴゴゴゴゴッ!

魔法陣の中から音を上げて、何かが飛び出てくる。

これは!?

水か。

けたたましい量の水が、サソリ蜘蛛を覆い尽くすかのように魔法陣の中から飛び出ている。

水圧で奴を押しつぶす魔法か?

ん?

ワシは、異変に気がついた。

自分の吐く息が、白く空気中に出ていることに。


「寒い、寒いわ。これもルゥの魔法のせいなの?」


エヴァがルゥに話かけるが、話しかけられたルゥは魔法の制御で、手一杯のようで返答が難しいようじゃ。


「えいっ!」


ルゥの凛とした声が木霊したかというと、その魔法陣から出ていた流水がまたたく間もなく氷結した。

一瞬の出来事であった。

サソリ蜘蛛が、巨大な氷柱の中に時間が止められたかのように、標本のように身動きもせず、閉じ込められている。


「見事じゃ」

「す、凄いわ。凄いわ、ルゥ」


ワシとエヴァが氷柱から、視線をルゥに戻すと、そこには、地面に尻もちを付いているルゥの姿があった。

肩で軽く息をしている。

無理もない。

このような大技を、繰り出したのじゃから。


「大丈夫? 大丈夫なの? ルゥ」


エヴァが、駆け寄り、ルゥの横についた。


「私は大丈夫。それよりも二人こそ大丈夫? 大分お待たせしてしまってごめんね」


ルゥが力なく謝った。


「何を言う。あっという間のすぐの一分じゃったぞ。これだけの技を繰り出したのじゃ。

のぅ、エヴァよ」


ワシは、エヴァに賛同を求める。


「うん、そうよ。あっという間だったわ。それに私とトーブが守るんだから間違いはないわよ」


エヴァが、満面の笑みで答える。

自分を持ち上げるのも忘れずに。


「うん、そうだね。私はこの世界で一番信頼出来る二人に守られてたんだもんね。大丈夫に決まってるね」


ルゥは、ワシ達に微笑み返した。


「少し休もう。もう、もうここにはワシ達を脅かすものはいないのじゃから」


ワシは、キラキラと輝く氷柱に閉じ込められたサソリ蜘蛛を一瞥しながらつぶやく。


「うん、そうしよう。ルゥに私の魔力を少し分けてあげるね」


エヴァはそう言うと、どこから取り出したのか、布を地べたに敷き、ルゥの頭の下に置いた。

そして、ルゥの顎下をくいっと上に上げるように固定して、ルゥの唇に、自分の唇を優しく重ねるように押し当てている。

魔力の受け渡しか。

ワシは、以前見たことがあるのを思い出した。

今と同じような状況下で魔力を受け渡し、困難を一緒に乗り越えた友を。

あのときは、この口移しがきっかけでこの魔道士の男女は見事に結ばれた。

懐かしい話じゃ。


「どう? 少しは楽になった?」


魔力の受け渡しが、終わったようじゃ。

エヴァが、ルゥに聞いている。


「うん、ありがとう。エヴァちゃんのおかげで、さっきまであった疲労感と倦怠感が大分無くなった気がする」


ルゥが、さっきとは異なり、少し口調に元気が戻っている。


「それならよかった。役に立ててよかったわ」


エヴァは返答し、ルゥの横に座った。


「うーむ、悪い知らせじゃ。この先もどうやら行き止まりのようじゃ」


ワシは、二人に内緒でこの先を見てきたが、どうも地上へと進む道はなかった。


「えー……ふぅ。まぁ、いっか。ちょうど休めたしね。さっきのが、ここの地下迷宮の主って感じがしたんだけどなぁ」


ため息混じりに、エヴァが言った。

確かに、ワシも少しはそう思った。

あやつを倒せば、もしやと期待していたのじゃが。

まぁ、主を倒すという行為が、地上に出れるという答えには、繋がる理由もないしのぅ。

ワシは、地べたに座っているルゥを見た。

先程の戦闘直後に比べて、顔色がいい。

エヴァの魔力の口移しが、うまくいった結果のようじゃな。


「大分、回復した。ありがとう、エヴァちゃん。その、魔力をくれて……」


恥ずかしそうに、若干頬を赤くしながら、ルゥは言った。

さっきの口移しの行為がどうやら恥ずかしかったようじゃ。


「もう、何照れてるのよ、ルゥ。私達は女同士よ。それに魔力の受け渡しは口移しが一番早く効果が出るって聞いたことがあるしね」


そう言い、エヴァはニコリと笑みを作る。


「うん、ありがとう。本当に助かった」


ルゥが、ほっこりとした笑顔で応える。


「ふっ、礼をいうのはこっちじゃぞ、ルゥ。お主のあの魔法がなければ、ワシ達は今こうして、ここで笑っていられたか分からんからな」


ワシは、氷柱に閉じ込められたサソリ蜘蛛を眺めながら言った。


「そうね、凄い魔法を相変わらず使うわ。最近、少しは追いついたかなぁって私なりに思ってたんだけど、それは私の気のせいだったみたいね」


エヴァもワシの言葉に耳を傾け、うんうんとうなずきながら言った。


「そんなことないよ。私だって二人の魔法についてはびっくりしている。エヴァちゃんは、きちんと詠唱をするようになったから、魔法の安定感と威力がかなり増してるし、トーブ君に至っては別人よ、急に魔法使うから」


ワシを、くりくりとした瞳で見つめながらルゥは言った。

無理もない。

ルゥの前で魔法を使用するのは、今回が初めてじゃからな。

建国祭で気を失い、魔法が代わりにはなるか分からないが、練習し始めた。

今までの精神統一の時間が、魔法に変わっただけのことじゃ。


「そうそう、私も最近驚いてるのよ。トーブが、魔法を使い始めたことに。最近急にだからね。一体何があったのかしら」


ワシを目を細めて、じろりとエヴァが見てくる。


「まぁ、ワシも近接格闘術だけに頼るきらいがあったから、それを封じられたら、何も出来なくなる。それじゃとあまりよろしくはないため、魔法も練習し始めたのじゃ。エヴァとルゥという優秀な先輩達もおることじゃからのぅ」


ワシは、それとなく当たり障りのない返答を返す。


「本当にそう……?」


じっーと、ワシの心を見透かすようなエヴァの視線に背中に冷たい汗を掻きながら、ワシはうなずく。


「そう、それならいいんだけど。でもトーブが、他人を褒める時や持ち上げる時って怪しいのよね」


最後にエヴァが言った言葉に、心中穏やかではないワシ。


「まぁまぁ、いいじゃないエヴァちゃん。トーブ君も、他のことに興味を持ったということだから」


ルゥが、ワシ達に気遣いの言葉をかける。

魔力の回復中じゃというのに、いらん気遣いをさせてしまったわ。


「ルゥがそう言うなら。まぁいいけど」


エヴァもルゥの気遣いに気が付き、渋々納得したようじゃ。

昔っから、こういうときのエヴァの勘は鋭い。

名だたる武人にも引けを取らぬ鋭さじゃ。

エヴァに詳しく、気のことについては話してはおらぬが、いずれ話さねばならないときがくるじゃろうな。

ルゥから、もう大丈夫という言葉が出たので、ワシ達はここまで来た道を戻り、分かれ道の最後に残った右の道を進んだ。

この先に地上へと続く道が、あることを信じて。

皆が、終始無言じゃった。

話すのが、億劫になったわけではない。

無駄な体力を消費するのが、嫌なだけじゃ。

相変わらず、地下洞窟内は湿り気を帯びて、少々肌寒い。

この微妙な肌寒さが、ワシ達の体力を徐々に奪っていくのじゃ。


「っつ、少し寒いわね」


エヴァが、開口一番真っ先に言った言葉じゃ。


「うむ、このままじゃと徐々に体力が奪われていくのぅ」


ワシは、自分自身を抱くかのように寒さに震えているエヴァに言った。

出かける時にそもそもこうなることを予測していなかったため、この寒さに対応が出来ない。

無理もないが。


「魔法で、こう一面が暖かくなるみたいな魔法はないのかしらね?」


誰に聞くわけでもなく、エヴァがぼやいた。

そんな都合のいい魔法は果たしてあるのじゃろうか。


「一面を炎の海や吹雪にする呪文は聞いたことがあるけど、そんな便利な魔法はあまり聞いたことが無いなぁ。それとも魔力の調整次第で可能なのかな」


ルゥが、首をかしげながら真剣に考える。


「そんなに真剣に考えるものではないわい、ルゥ。服を着ればいいだけの話じゃ」


エヴァのくだらない質問に、真面目に答えを返そうとするルゥを見て、ワシは言った。


「それじゃ、浪漫がないわよ。誰だって服を着れば暖かくなることは知ってるし」


エヴァが、茶々をいれるかのように言ってくる。


「浪漫より、まずはここを脱出じゃ」


やれやれ。

ワシは、軽くため息をついた。

まぁ、無駄口を叩く体力が残っていることは安心したが。

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