エルカ姫の魔界征服計画
ゆまた
第1話 初めての魔界
────退屈こそが、彼女にとって最大の敵だった。
その日の空は、雲一つ無い満天の星空だった。その星空の下にそびえ立つ、フロッグ国の王城。王城内の食堂では、四人の王族が長テーブルの上に盛られた豪勢な料理に、思い思いに手を伸ばしていた。フロッグ国の王ノット。王妃アルマ。その娘エルカ。そして隣国であり同盟国である、トードー国の王子ガーマ。エルカは来月に十八歳の誕生日を迎えることになっている。その誕生祭と同時に、ガーマとの結婚式を執り行うことになっているのだ。
「ガーマ王子、遠慮なさらずに、どうぞ召し上がって下さいね。遠い所からわざわざいらしたんですから」
アルマがおしとやかな口調で、遠慮がちに料理を口に運ぶガーマに声をかけた。
「お気遣いありがとうございます、王妃様。でも、隣の国ですからそれほどの距離ではありませんよ」
ガーマは爽やかな笑顔を返す。王子の肩書きに恥じない、眉目秀麗、頭脳明晰。それに対するエルカも、フロッグ国史上最も美しい姫と言われている。正に誰もが納得する、美男美女カップルというわけだ。
「ガーマ君、来週は我々の方から、そちらの国へ挨拶に伺うよ。トードーの王とも久しく会っていないからね」
「承知しました、王様。父上に、お持て成しの準備をしておくように伝えておきます」
ガーマが気品良くノットに頭を下げる。
「はっはっは。君なら安心して娘を任せられる。エルカも結婚式の日を楽しみにしているよ。なあ、エルカ?」
「ええ、お父様。もう待ち遠しくて、仕方がありませんわ」
問いかけるノットに、エルカがニコリと微笑み返す。それを見たガーマが、無意識に頬を赤らめてこう思う。いつ見ても美しい。特に笑った顔は最高だ。腰まで長く真っ直ぐ伸びた、黄緑色の髪も美しい。
ガーマが初めてエルカに出逢ったのは、両国が同盟を結んだ7年前のことだ。一目で恋に落ちたガーマは、エルカに猛アタックを仕掛けた。両国の王や王妃にとっても、同盟国として上手くやっていきたい気持ちもあり、二人の仲を応援する理由はあっても、反対する理由などはなかった。そしてエルカは、もうすぐ結婚を許される年齢になる。その時をガーマは何年も前から待ちわびていたのだ。しかし、ガーマは知らない。ノットもアルマも、トードー国の王と王妃ももちろん知らない。エルカの本当の心境などは……。
「でも王様、一つだけ心配事があるのです」
「魔王ベルーゼの事かね?」
「はい。こうしている間にも、世界中の人々がベルーゼに脅かされているのです。そんな時に結婚式など、不謹慎だと思う人も中にはいるかもしれません」
それを聞いたノットは、ワインを一口喉を通し、一呼吸おいてから口を開いた。
「しかし私は、こんな時だからこそと思うのだよ。最近は暗いニュースばかりだからね。君達の結婚は、人々に希望を与えてくれるはずだ」
アルマもニコリと笑い、ノットに続く。
「そうですよガーマ王子。我が国の民達も、皆来月の結婚式を心待ちにしているんですのよ」
「それは光栄なことです。王様、王妃様、改めて誓いを立てます。必ずや、エルカ姫を幸せにすることを」
「うむ、頼んだよ。さあ、堅苦しい話はやめて、どんどん飲んでくれたまえ」
その後も三人の間で談笑が続く。一方エルカはというと、時々振られる話に微笑みながら相槌を打つだけだった。誰よりも先に食事を終えたエルカは、ナイフとフォークを綺麗に揃えて、静かに立ち上がった。
「あら、エルカどうしたの?」
「ごめんなさいお母様、私何だか今日は疲れてしまって。先に休ませていただきますわ」
「そうか。まあ、ガーマ君は今夜はここに泊まっていくことだし、明日ゆっくりと二人で話すといい」
「はい。それではガーマ王子、また明日、そちらの国のお話をお聞かせ下さいね」
「ああ、また」
食堂から出て行くエルカを見て、ガーマは再び顔を紅潮させる。歩き方一つとっても、エルカは優雅で可憐だ。正に非の打ち所がない。そんなエルカと来月から夫婦になれるのだと考えると、ガーマは幸福の絶頂を感じずにはいられなかった。
食堂の扉を静かに閉め、エルカは目を閉じる。心がざわつく。血液の巡りが加速する。全身がむず痒くなる。エルカは思い切り息を吸い込んだ。
「………………ふうううぅぅぅ……」
ゆっくりと、大きく息を吐き出す。どうにかして自分を抑えた。先ほどとは打って変わった乱暴な歩調で、足早に自室を目指す。しかし、兵士や召使いが視界に入る度に、まるでスイッチを切り替えるようにその振る舞いを180度変え、「ご機嫌よう」と和やかに声をかける。兵士も召使いも国民も、誰もがこう思っている。エルカ姫様は、目下の者も分け隔て無く気にかけてくれる、素晴らしいお方だと。
自室に着いたエルカは、再び大きなため息をつく。部屋の中央に置かれている丸テーブルの上には、胡桃が山盛りに積まれた皿が置いてある。エルカが目の前の椅子に座り、胡桃を指で摘まみ上げる。
次の瞬間、その胡桃が爆ぜた。いや、エルカの指で押し潰されていた。そのままゴミ箱に捨てると、胡桃をもう一つ摘まみ上げる。また同じように、胡桃を押し潰す。エルカは機械のように、無表情でそれを繰り返し続ける。中身を食べるわけではない。それでもエルカは胡桃を潰し続けた。
胡桃の山が半分ほど無くなったところで、エルカは立ち上がり、バルコニーに出た。そこからは城下町が一望出来る。エルカは町を見下ろすのではなく、空を見上げた。とうに見飽きた星に興味は無い。しかしエルカは毎晩のように、バルコニーに出て空を見る。待っているのだ……ずっと……。しかし今日もそれは来ない。
「……やはり、そう都合良くはいかないわね」
エルカは諦めて部屋に戻ろうとする。その時、何かの気配を感じた。後ろを振り返り、もう一度空を仰いだ。何かがいる。それも大勢。翼をはためかせている何かがいる。鳥ではないことに気付いた次の瞬間、それらは城下町に向かって急降下を始め、光を次々に撃ち込むと、爆音と共に火の手が上がった。静かだった城下町に、悲鳴や絶叫がこだまする。目をこらして確認するまでもない。あれは魔物の軍勢だ。魔王ベルーゼの軍が、フロッグ国を攻めてきたのだ。
「姫様!」
兵士が大慌てで部屋に入ってきた。不自然にゴミ箱に積まれた胡桃の残骸を気にすることなく、こちらに走り寄ってくる。
「大変です! 魔物達が襲撃してきました! そこにいては危険です!」
「……ええ、そのようね」
兵士に連れられ、城の最奥である玉座の間を目指す。城内もパニックになっており、兵士達も戦闘準備を済ませ、町へと繰り出していく。玉座の間には大勢の兵士や召使いの他、ノットとアルマとガーマが待っていた。
「おお、エルカ! 無事で良かった」
「お父様、一体どうなっているの?」
「ベルーゼだ。奴が軍を率いて攻めてきおったのだ!」
ノットが険しい表情を浮かべる。
「べ、ベルーゼが? そんな……」
「大丈夫だ、エルカ。何があっても、必ず僕が君を守るから!」
腰に剣を携えたガーマが、力強くエルカの肩に手を乗せる。爆音や悲鳴、魔物達の雄叫びがどんどん近付いてくる。玉座の間に、かつてない緊張が走る。固く閉じられた扉が呆気なく爆散し、召使い達が悲鳴を上げる。煙の中から、一人の若い男がゆっくりと入ってきた。黒髪で黒いマントを羽織っており、ガーマやエルカと同じぐらいの年齢に見える。一見すると人間に見えるが、その場にいる誰もがすぐに確信した。こいつが、魔王ベルーゼだと。ベルーゼは玉座の間を見渡した後、エルカに目を付けてニヤリと笑った。
「お前がエルカだな? 噂通りの美しさだな。俺の妃に相応しい」
その言葉を聞いたガーマが、気色ばみながら剣を抜いた。
「な、何!? 貴様、エルカが目的か!」
ガーマと兵士達が、エルカを守るように前に出る。
「雑魚に用はない」
「うっ!? うわあああ!」
ベルーゼが右手を翳すと、ガーマ達は見えない力に吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。そのたった一撃で、ガーマ達は動けなくなった。圧倒的な恐怖が、玉座の間を包み込む。エルカの体は震えていた。しかし、それは決して恐怖から来る物ではない。エルカは、内から溢れ出る気持ちを必死に抑えていた。ベルーゼが、手を差し出しながらエルカに近付いてくる。
「さあて、共に来てもらおうか? エルカ姫よ。大人しくついてくれば、これ以上の手出しはせずに、すぐに軍を引き上げてやる」
「…………わ、分かりました。あなたに従います。だから、これ以上皆を傷つけないで下さい」
「ふふ、約束しよう」
「エ、エルカ! そんな……!」
ノットとアルマが悲痛な叫びを上げる。しかし、誰にもどうしようも出来ない。エルカが拒めば、このままベルーゼによって皆殺しにされるのは間違いない。皆がそれを知っていた。
「さあ、行くぞお前達。もうここには用はない」
ベルーゼが壁に向けて魔法を放つと、爆発の後にぽっかりと穴が空き、そこから夜空が覗き見えた。魔物の群れは下卑た笑い声を上げながら、翼を広げてその場から飛び去っていく。
「エルカ! エルカァァ!」
「お父様……お母様……!」
ベルーゼがエルカを脇に抱え、手下の魔物達に続いて飛んだ。徐々に下に遠ざかっていくフロッグ城。両親が自分を呼ぶ声が次第に聞こえなくなると、エルカも両親を呼ぶのをピタリと止めた。
「…………」
「ふふ、どうした? 急に静かになったな。まあ、そう怖がるな。素直に俺に従っていれば、悪いようにはしないさ」
エルカは何も答えない。初めて見る、城のバルコニーよりも遙かに高い場所からの、下界の景色に目を奪われていたのだ。墨汁で塗り潰したような闇の中で煌びやかに灯る、町の明かりは綺麗だった。魔物達によって放たれた、今も町を包み込もうとしている炎さえも、エルカの目にはとても美しく見えた。
そのまま闇夜の空を飛び続けること約数時間。ベルーゼ達は小さな小島へと降り立とうとしていた。いや、正確にはそこの中心にある、大きな亀裂の中にだ。その亀裂こそが、魔界への入口なのだ。エルカはベルーゼに抱えられたまま、亀裂の中に落ちていく。徐々に空気が重苦しくなり、季節外れの冷たさを感じるようになってくる。
真っ暗闇の中を落ち続けていくと、僅かな光が見えてくる。地に降り立つと、そこにはもう一つの世界が広がっていた。ベルーゼ達魔族が住む魔界である。そして少し離れた所に、ベルーゼの城が見える。
「…………素晴らしい」
「むっ?」
エルカの口から、感嘆の声が漏れる。前に踏み出し、魔界の風景を眺めた。葉一つない灰色の枯れ木、ポコポコと泡立つ緑色の沼、血のように赤く染まった海、そして稲光が激しく走り続ける夜空。先程見た夜景とは、また違った趣がある。エルカは邪悪な笑みを浮かべながら、ベルーゼに言い放った。
「ねえ…………ちょっと私と手合わせしてくれない?」
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