第3話 凛の過去 (2)

 彩坂凜はボーッとしていた脳を活性化させるように頭を思いっきり振った。一度思いっきり空気を吸い、肺から一気に吐き出す。同じ剣道部員である二人が凜の顔を心配そうにのぞいていた。


「凛? 大丈夫? 顔が真っ青だけど」

「どっか上の空って感じだったよ」

 しばらく言葉の意味を整理して答えを導き出す。

「ああ……、ああ! 大丈夫だ。心配かけてすまない」


 しっかりと声が出ることを確認した後、現状を思い返す。ついさっきまで部活をやっていて、今終わったところ。で、この場所、更衣室で帰宅のために制服に着替えようとしている時だった。

「凛、でもすっごい汗、掻いているよ。ついさっき拭いたばっかりなのに」

 それを聞いて首筋に当てた。確かに汗が大量に吹き出ている。まるでずっと緊迫した状態が続いていたかのような汗。


「ほら、背中向けて。拭いてあげるから」

「おい、いいから! 自分で拭けるぞ!」

 そう言った物の友人はガシッと凜の体を取るとくるっと回転させられた。そのまま、なすがままに背中をタオルで拭かれ始める。でもちょっとこういうのもいいかなと思い、自分のタオルですっと首筋を拭きはじめた。


 そしたらふと右肩の感触に手が止まった。タオルを落とし、左手で右肩をさする。そこには獣に噛まれたような跡。完治しているが跡はまがまがしく残ってしまっている。

「凛? もしかして傷、痛むの?」

「え? いや、まさか。この傷はとっくの昔に完治している。今更痛むことはない……肉体的には」

「……? どういう事?」

「いや……、気にするな! 後は自分で拭くからいいぞ」

 凜は戸惑いを隠すように笑顔を振りまくと肩と背中に残っている傷を隠すように友人から離れた。


 凛の右肩の他に背中にも傷を残している。背中には獣にひっかかれたような傷。そしてどちらも……、魔物によって受けた傷。親と死別した日……、忘れられない日。傷は完治しようとも心、心にまで届いたその傷は今でも精神を蝕んでいる。

 あの時の自分の弱さに来る日も来る日も泣き叫んだ。弱い自分が嫌だった。弱い自分に泣いた。弱い自分から逃げ出したいと思った。

 凜が剣道をやり始めたのは弱い自分と言うコンプレックスを打破するためだ。弱い自分から抜け出そうと今まで必死に色々な武道に挑戦した。空手はやったし、合気道はやったし、柔道はやった。そして、特に極めることが出来た剣道により本格的に取り組んだ。


 それを思い返すように自分のロッカーを見た。そこに飾られているのは彩坂凜と名前が刻まれた賞状。優勝という称号を得た。

 様々な大会で優勝した。全国でもトップレベルまで上り詰めた。

 凜は……、あたしは確かに強くなれた! 弱い自分じゃなくなった――

 ――そんな事はなかった。凜の心に眠る傷は今でも弱さを実感させて来る。幼かった頃の弱さは未だ凜の中に健在している。あの時の弱い自分が嫌だ。それをいまだにコンプレックスとして引きずっている自分が嫌で仕方がなかった。


 でもいつかはこの傷も消えてくれるはず、凜はその意志の元、シラトラを……、

「……、二人とも……。なんであたしをじっと見ているのだ?」

「え? ああ~、いや~」

「まぁ、その~」

 二人、分が悪そうに見つめ合っている。その後、二人は凜の肩にポンと手を置いた。

「まあ、小さくても気を落とすのはダメよ」

「そうそう、まだまだ成長の余地はあるんだから」

 ……、そう言えば胸を支えているあれの感触がない気がする。……、で、思い切って足元を見ると全てが分かった。


「貴様らー!? なぜ、人のブラを勝手に取った――!?」

「いや、だって凜が急に離れるんだもの。その弾みで取れちゃっただけよ!」

「ていうか、取れても気づかないって相当よね……。ブラをつけてもその恩恵がほとんど受けていないって事かしら?」

「シッ! それ遠まわしにつける意味ないって言っていない!? それはまずいよ!」


 …………、取りあえず竹刀を手に取った。

「取りあえず二人ともそこに立とうか。直接肌に叩きこんでやろう。それとも君らが竹刀を持つ時間くらいくれてやろうか? 受けて立つぞ?」

「そ、そ、それよりもまず、ふ、服を着ましょう!」

「え、え、ええ、そうね。そ、それが一番!」

「問答無用ッ!!」



「凜ったら、あの後部長に怒られたじゃない!」

「更衣室の中、半裸で試合を始めたのは君らが初めてだー! ってね」

「う、うるさいぞ。元々はお前らがいけないのだからな!」

 ビシッと指を指して行ってみるがどうも自分の頬は異様なまでに熱い。これだけは本当に自分でもコントロールできない。でも、いつもと変わらない日常であるのもまた変わりがなかった。


 毎日、皆と一緒に部活をして汗をかく。皆と一緒に笑って過ごす。そして一緒に下校する。本当にいつもと変わらない、そして変えてはいけない日常。……、と言うよりはいつまでもこの世界が存在する限り保ち続けてほしい日常。

「ほーら、凛。なに難しい顔しているのよ。笑って笑って。はい、ニコーーー」

「こ、こら! ほっぺを引っ張るな!」

「あっはっは、凜ったら可愛い~」

「もう~、うるさぁい!」

 こうやって笑いながら日常が続いていくのだ。


 でも……、やっぱりただ単に過ごすだけで日常が続くと言う訳では無かった。そう……、何も変わらない日常は未だ……、取り戻してはいない。

 ウゥ~~ウゥ~~ウゥ~~!!

 未だ慣れないこの不吉なサイレンが耳に鳴り響き始める。あの日も突如流れたあのうるさい音。


「うっそ!? この近くに魔物!?」

「じゃあ、学校のシェルターが一番近いよね? 急ごう!」

 友人二人はすぐにシェルターに向かう話をし始める。

『魔物が出現しました。出現場所は舞咲高等学校。直ちに近くのシェルターに避難を開始してください』

「え? ここ!?」

「なおさら、早く逃げなきゃ!!」


 凜も二人に倣って学校のシェルターに向かって走り出した。多分、学校に残っている部活メンバーは皆、ここに集まるだろう。学校の地下に設置されたシェルターに向かっていく学校の生徒がどんどん多くなってきた。先生たちが誘導して、スムーズに事が進んでいる。

 でも、凜はやっぱりここで同じように避難するわけにはいかなかった。凜の手には魔物に対抗できる力がある。だからこそ、友人には悪いがこっそり流れに逆らってまずは学校の外に向かい始めた。


 この高校内に出現したって言われても詳しくは何処か分からない。もしかしたら、生徒の一部が逃げ遅れているかもしれない……、あの時の自分たち家族のように。でも、そんな事はなかった。予想以上に早く凜の前に魔物は姿を現した。


 校舎一階の廊下に群れるように出現していた巨大なゴリラみたいな魔物。凜自身魔物に対しては特に詳しく知らないが、黄色の毛並みに両肩に炎を纏う二足歩行するゴリラ、多分、猿型、発火性、モルトギーとか言ったはずだ。

 分厚い筋肉を施し一・五メートル超えるその図体は凜にとってとてつもなく大きく見える。でも、凜は一歩も怯む気はない。その意志の元、周りに魔物以外人がい

ない事を確認するとリストバンドに手を触れた。


『サモン・デバイス』

 その音声と共に目の前に転送される小型スマホみたいなデバイス。『プリーズ・セットゥ・ア・デバイス』の指示の下、デバイスをリストバントにセット。

『アーマーシステム・スタンバイ』

 モルトギーがこちらに気が付いたようだ。五体いるモルトギーが一斉に凜に獣的殺意を向けてくる。

『システム・オールグリーン』

 凜はまた、あの日の自分が脳内によぎった。魔物を目の前にしてなすすべなく親を殺されてしまった愚かな自分、弱い自分。そんな自分と決別するためにもここで魔物を倒す。

 デバイスのタッチパネルを操作。さあ、戦闘開始。

『プットオン・スタート』

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