第2章 vs超コルディラス
第10話2-1 誘惑
「うわ……やっぱGはでけえよな」
明達が紀久子を探しに、病院へと出発しようとしていた頃。
東宮照晃は、テレビを見ながら唸っていた。G上陸のニュースが流れたのは、東京の自宅アパートに久しぶりに帰ってすぐのことである。
深海ラボ・シートピアの八幡研究室で唯一、無傷で元の生活に戻れた東宮は、明日から新しい職場へ出勤することになっていた。
あの海底ラボ・シートピアでの事件から数日間、生き残った所員はすべて隔離されていた。
大きな怪我もなく、シュライン細胞の感染もなかった東宮でさえ、今日ようやく帰宅を許されたのだ。
「せっかく久しぶりに出勤できそうだったのに、Gが上陸しちまったんじゃ、またしばらく休みだな……」
深海とはいえ目前で見た迫力と、小さなテレビ画面とでは比べるべくもないが、それでもGの巨大さは際立って思えた。
残念そうにため息をつく東宮だが、別に働くことが好きな訳ではない。
生来の寂しがりやのくせに、男友達が極端に少ない彼は、特に同僚の女性と会話するのが好きだった。
そのことで上司にはよく注意されていたが、彼自身は一向に改めるつもりはない。
一見、なよなよした女性っぽさがある。しかも女子同士の会話のようなとりとめのない話が得意であり、同僚からは女子バナ野郎と陰口を叩かれているくらいだ。
そうした部分が、もともとの神経の細やかさと相まって、初対面の印象を良くしていた。そのせいで、学生時代から女友達に囲まれて過ごしていたのだ。
しかし、彼は欲望に忠実な性格でもあったから、比較的無防備な新入所員などをホテルに誘ったのも一度や二度ではない。
「そういや、いずものヤツ、死んじゃったって聞いたな。紀久子は重傷だって話だし……ま、婚約者がいちゃ関係ないか。あの二人美人だからもったいないことしたよな。海底にいるうちに、それぞれ一回くらいお相手して欲しかったけどな」
自分の部屋だから出せる本性である。
TVの前のソファに沈みながら、東宮はどんな女性でも一発で幻滅しそうな独り言を言った。
「ふううん。東宮さんて、そんなこと思ってたんですか?」
突然。
背中から声を掛けられた東宮は、反射的に立ち上がろうとして、そのまま前のめりに倒れた。
無様に尻餅をついたまま、慌てて振り返る。そして、いつの間にかソファの後ろにいたその人影を見上げた。
「き……紀久子?」
腕組みをして立っていたのは、松尾紀久子であった。
紀久子は、大怪我をして入院したはずだ。今こんな所にいるわけがない。しかも、玄関のカギは確かに閉めた。ここはマンションの五階である。いったいどうやって侵入したのか? 疑問は次々と浮かんでくる。だが、東宮はそれらの疑問を口に出せなかった。
そこにいたのが、これまで一度も見たことのない、露出度の高い格好をした紀久子だったからだ。
袖の無いシャツは、肩を見せているだけでなく胸元も大きく広げられ、透けるような白い肌がのぞいている。視線を下に移すと、膝上より股下の方が短いくらいの、水色の超ミニスカート。もともとスレンダーな紀久子の脚の美しさが、白いソックスで更に強調されて、匂い立つような色香を漂わせている。
何より、自分を熱っぽく見つめてくる、潤んだ少し下がり気味の大きな目から、東宮は目が離せなくなっていた。トレードマークの金属縁のメガネをかけていないためか、その視線は何よりも東宮を刺激した。
紀久子の姿に目を奪われたまま、東宮は、ごくりと生唾を飲みこんだ。
「どうしたの? 東宮さん」
小首を傾げた紀久子の表情は、東宮が今まで見たことのない可愛いさである。思わず立ち上がると、更に距離が近くなった。
抱きすくめそうになる衝動を必死でこらえ、東宮は平静を装って言った。
「い……いや、もう怪我はいいのかい?」
「ええ、すっかり。わたしね。東宮さんに少しご協力をお願いしたくて伺ったの」
「きょ……協力?」
「そう。でも協力していただくんだから、報酬を差し上げなくちゃ。何が……いい?」
目を潤ませて東宮を見つめる紀久子の表情は、別人のように艶っぽく変化している。
「そんなの……決まってるだろ」
歩み寄った東宮は、紀久子の手を取ると、半ば強引に引き寄せた。
「そう。報酬はわたしでいいのね?」
大きく開いた胸元にキスの雨を降らせ始めた東宮に、紀久子はうっとりとした調子で言った。
「当たり前だ。これまで何度言い寄っても、指一本触れさせなかったくせに!! こんな誘惑しやがって、もう、どうなっても知らないぞ!!」
昂ぶりを抑えきれない様子で東宮が言う。
「いいわ。どんなことでも……東宮さんの好きにしてちょうだい。でも、その前にちょっと、首を見せて欲しいの」
「く……首?」
「キスするだけよ」
そう言いながら、紀久子のつややかなピンク色の唇が東宮の首筋に達した瞬間、東宮は激痛を感じて仰け反った。
「うわっ!!」
噛みつかれたのだ。出血したかと思うほどの激痛だったが、痛みは一瞬で引き、今まで以上に昂ぶってくるのを東宮は感じた。
「き……きく……紀久子ぉ!!」
「あん!! そんなにあわてなくても大丈夫よ」
東宮は紀久子を思い切り抱き寄せた……つもりだった。
しかし、その腕は空を切り、自分自身を抱きしめた状態で凍り付いた。紀久子はすっと脱け出すと、何事もなかったかのように服装を整え始めている。奇怪な姿勢で立ったまま、一人で白目をむいている東宮。振り返った紀久子の視線は、さっきまでとは打って変わって冷ややかだ。
東宮はひくひくと震えながら、ゆるんだ口元から白い泡を吹き出している。
「こ……こうか? こうするといいんだろ? お前がこんないやらしい女だとはな」
余程いやらしい夢を見ているのだろう。東宮は顔を紅潮させ、卑猥な言葉を吐き、ついには腰まで動かし始めた。
紀久子は汚いモノでも見てしまったかのように、その姿から目を逸らした。
『ほう……うまく感染させたようだね』
「……はい。シュライン様」
微笑む紀久子の目の前に金髪の美少年=シュラインが現れた。
いや、現れたといっても現実の存在ではない。脳に送り込まれた生体電磁波が、紀久子にだけ見せている強力な幻覚なのだ。
『これで、この男の勤務先の研究施設を使うことが出来る。よくやった……と言いたいところだけど何故、僕の言う通りにしなかったんだい?』
「……う……あ……ひいっ!!」
シュライン少年の目が金色に輝き、紀久子は頭を抱えて苦しみ始めた。
『僕はこの男に、お前自身を実際に与えろと言ったはずだよ。その方が確実に感染させられるし、操りやすいからね。完全に骨抜きにして感染させろ、とね』
「申し訳……ありません」
『しかも、稚拙ながら脳内電流を操って催眠幻覚を見せるような能力を、いったい……どうやって身につけたんだい!?』
「わ……分かりません……出来るのが当然だと……」
『ふん。聞き分けが悪くて直接脳に罰を与えすぎたせいで、お前にも生体電磁波を操る力が目覚めたのかも知れないね。まあいいよ。その程度の微弱な力で僕に逆らえはしないしね』
そう言いながらシュラインは紀久子の細く白い顎に手を当てて仰向かせた。幻覚であるはずのシュラインの動きに従わされ、紀久子は顔を上げる。
『お前は僕の貴重な手足であり、道具なんだ。だから今はこれ以上痛めつけはしない。だけど、もしもう一度命令違反を犯したりしたら……切り捨てるからね』
「お……お許しください」
『笑え』
「……はい」
苦痛に歪んでいた紀久子の顔が、まるで母親が子どもに笑いかけるような慈愛に満ちた笑顔に変わる。
頷くシュラインは満足そうだ。
『いいだろう。紀久子、そろそろ保温を再開しろ』
「はい」
いまだ棒立ちの東宮を一顧だにせず、すっと立ち上がった紀久子は、寝室のベランダへ向かった。ガラスが割れてサッシが開いている。東宮の帰宅前、紀久子はそこから侵入したようだ。
男の一人暮らしらしい汚いベランダ。
エアコンの室外機だけでなく、干涸らびた観葉植物の鉢や何が入っているか分からないゴミ袋が置かれている。その片隅に真っ白な卵がひとつ置かれていた。卵、といっても明らかにニワトリの卵ではない。とてつもなく大きいのだ。長楕円形をしたそれは長さで八十センチ、幅は三十センチくらいはあろうか。
現生鳥類中では世界最大と言われるダチョウの卵のサイズをも遙かに越えている。
形はニワトリなど鳥類のそれとは違い、前後左右で対称形である。ヘビやイグアナなどの爬虫類にありがちな細長い卵の形状であった。
その卵に歩み寄った紀久子はぺたりとベランダの床に座り込むと、愛おしげに抱きしめた。自分の体温で温めているのだ。
「うひっ!! 最高だぁ!!」
ソファの横で立ったまま、虚空を見据えて何度も絶頂を迎えている東宮。
そんな東宮には目もくれず、卵を撫でながら聖母の微笑みを浮かべて卵を温め続ける紀久子。
G関係の情報が流され続けているTV画面に行方不明者を伝えるニュースが流れ、そこに紀久子の名前が流れていった。
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