08-03 復仇の志    

 寄奴きどの寝台ン手前で、ちょうさんが土下座してる。ちょっと震えもしてた。ほんのちいとだが、悪ィことしちまったかな、たァ思う。

「り、りりり、りゅうさま、そろそろ教えて下さい、っこ、これ、なんのご冗談なんです?」

 いつものテキパキした様子もなんのその、まるで借りてきた子猫だ。

 先に布団に入りながら、寄奴ァちいと手立てを考える。っが、下手に気回ししたって仕方なさそうだ、とも思う。だから、言ってやる。

「冗談も何も。あんたを後添えに選んだんだ。だから、抱くために呼んだ」

「ヒェッ……!」

 ますます縮こまり上がる張さんだったが、たァ言えそんな弱気すぎる、ってわけでもねェ。一度床に額をごつっ、とぶっけっと、ツラを上げる。

 もうそのツラにゃ、きっちり覚悟が出来上がってた。

「よ、よござんす。劉さまがお決めになって、お選び下すったんです。喜んで仰せに従いましょう」

 おっかなびっくりじゃあったが、少しだけ腰を上げ、布団のそばにまで来る。寄奴ァ布団の端をつまむと、張さんの入れる隙間を作ってやった。

「し、失礼します」

 ここまでくりゃ、もう大したもんだ。飛び込んでくんのに、ためらいもねェ。横になって寄奴と向かい合う。

 はじめて、張さんの面をまじまじと見た。器量良しじゃ、ある。っが、それよりもあけっぴろげさ、きっぷの良さが、よくそのおでこから、まん丸い目から伝わってくる。臧愛親ぞうあいしんァ切れ長でいたから、真逆って言っていい。

 っと、寄奴ァつい苦笑した。

「ど、どうなさったんです?」

「いや、悪ぃな。いきなり他の女のこと考えちまった」

「? あぁ」

 張さんの目が、薄らぐ。

「まあ、奥さんも驚くでしょうとも。あたしに寝取られちまうんですから。まったく、劉さまも悪いおひとです」

 言うなり張さんァ手を伸ばし、寄奴を抱き締めてきた。ふわりと、お日さんの匂いが寄奴を包む。

 長らく、臧愛親と一緒に家の仕事を片してきた張さんだ。そのどっかに臧愛親の匂いも紛れ込んできてる。そんな気が、した。

「って、劉さま?」

「あん?」

「劉さまの、ずいぶん柔らかくていらっしゃるようですけど?」

 張さんの声ァ、ちょっと怒ってるようでもあった。それもそうだ、余計なこた、何にも言わずに呼んだ。

「あぁ、悪いな。今晩ぁ、そっちのために呼んだわけじゃねえんだ。そっちも追い追い、たぁ思うが。今は、聞かせてもらいてえんだ」

 何言われてるのか、しばらく分からずにいたらしい。っが、寄奴のツラをしばらく真正面から眺めた上で、張さんァ、苦笑した。

「信じらんない。今の女に、前の女の話しさせようってんです?」

「そうだな、ひでえ奴だ」

 ひとたび寝床の外に出りゃ、寄奴にゃやらなきゃいけねェことがごまんと待ち受けてる。この寝床、横になってる、このひとときだけが、寄奴にとって、臧愛親の夫のままでいられる。

 張さんも一度話し始めりゃ、つるつると寄奴の知らねェでいた臧愛親のことを語る。そいつを聞き寄奴ァ笑い、ふて腐れ、あるいは、その思いがけねェ愛の深さに、照れ。

 終いにゃ、涙が、こぼれた。

 いちど溢れ出ちまや、そうそう止まりもしねェ。寄奴の言葉も、だんだん途切れ途切れになる。

 そんな寄奴を、張さんァガキでもあやすみてェに抱きしめ、その背中をゆっくり撫でてくれた。


 臧愛親の髪が収められてる霊廟の前で、どんだけ頭を下げてたのか。

 寄奴が床から顔を上げると、それに遅れて、隣で同じようにしてた臧熹ぞうきも顔を起こした。

 寄奴が買い上げた敷地ン中でも、そこァいっとう静かなところだった。もちろん京口けいこうの活気ァ、ちっと表から離れたとこで、そう収まるもんでもねェ。それでも、ここならまだゆっくり寝れるだろう。そう言って、建てさせた。

「義兄上、そろそろ刻限です」

「ああ」

 ひところにゃお目に掛かんのもありえねェ、そんくれェに整った仕立ての衣。どうにもごわごわして居心地悪ィことこの上ねェが、畏れ多くも陛下からのお呼び出しを食らっちまったんだ、ボロで参内するわけにも行くめェ。

 廟の外に出りゃ配下の臧熹だが、ここじゃただの義兄弟だ。寄奴が廟の入口に向かや、その隣に並んでくる。

「姉貴に、何を伝えた?」

「仇を取ってみせる、と」

 へえ、寄奴ァ笑う。

「仇? もう、みんな殺したじゃねえか。この上で、何しようってんだ」

「姉の如き苦痛を味わう者が居なくなる。それが求むところ。ならば、広陵こうりょうの惨状を再現させぬこと、域内の民庶が食いあぶれぬこと、を志します。あのような者らが居なくなる。それが、何よりの仇討ちとなりましょう」

 まっすぐに前を見て、言い切る。

 見誤っちまってた。

 臧愛親が、その身を賭けてでも、お家の行く末を託すような奴。そいつが臧熹だ。あんだけ自他どっちにも厳しい臧愛親が、ただ「弟だから」ってだけで目に掛けるわきゃなかった。そんだけの才を、もともと見出してたんだろう。

 じわりと、目の奥が緩んだ。

 いちど、空を仰ぐ。

「義兄上?」

「や、何でもねえ」

 言葉通り、何でもねェ振りができたんか、どうか。

 や、この際そいつァどうでもいい。臧熹の思いが、寄奴とほぼほぼ重なってる。なら考えなきゃいけねェんなァ、そいつをどんだけ活かせるか、だ。

 がば、と臧熹の肩を抱える。

「熹。なら、言ってみろ。お前のやりてえことに、何が必要だ?」

「肩書、です」

「だな」

 に、と寄奴ァ笑った。

「そしたら、お前にゃやってもらいてえことがある。割ときちいが、こなせりゃ、一気に動きやすくなるだろう。どうする?」

 寄奴がそう言うと、臧熹ァわずかに目を泳がせ、ためらったが、改めて寄奴を見返すときにゃ、もう堂々としたもんだった。

「それを、私に言いますか? 誰の弟とお思いなのです?」


 京口から建康けんこうへ、四頭立ての馬が引く車で向かう。

 そん中で寄奴ァ、臧熹にやってもらいてェことを伝えてった。戦場じゃねェぶん、寄奴の考えてることを伝えんのにしっかりと時間が取れる。そいつを聞いて臧熹ァ驚き、おののきもしたが、しまいにゃやや引きつりながらも、「やってみせますとも」って言い切ってみせた。

「よし、頼んだぜ」

 寄奴が臧熹の肩を叩くと、やつァ早くもやらかした、みてェな顔つきになってる。そいつに対しちゃ、見ねェふりをしてやった。

 建康につくと、さっそく宮城からの使いが車に近づいてきた。ひとしきり歓待の言葉を貰ったあと、そのまま使いの先導で宮城に向かう。

 城門をひとつ、もうひとつと潜りゃ、だんだんと建物ァご立派になってくる。そりゃもう広陵で崔宏さいこうに連れ込まれた宿だとか、王珣おうしゅんの屋敷だとか言ったもんとすら比べもんになんねェ。こん中に入るんなァ、淝水ひすいのあと、桓玄かんげん倒してから、に続いて三度目だが、こっから先ゃ嫌でも慣れてかねェといけねェんだろうな、って思う。

 寄奴が引き連れられるんなァ、謁見の間そばにある、やっぱり広間だ。つってもそこにゃ、別に宴会の支度だ何だがされてるわけでもねェ。部屋のど真ん中に地図が広げられ、その周りに厳しい面の男どもが並ぶ。

「来たか、劉裕りゅうゆう殿」

 寄奴にそう呼びかけてきたんなァ、上座に掛けてた司馬休之しばきゅうしどの。

 その目が示されたんなァ、司馬休之どのの、隣の座だった。

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