ss-07 ヤオ・チャン  

 ここまでのトゥバは、ヤオ・チャンとの対立だけは避けてきたところがある。

 単純に強い、それもある。いま一つは、守りが硬いのである。かの者らにかかずらわば長期戦は避けようがなく、その合間に周辺のガオシェ、ムロン、ダン、ユウェン、そしてロランに食い潰されかねぬ。なので、周辺を地ならしして挑む必要があった。

崔宏さいこう。ヤオに掛けられる期間、いかほどと見る?」

「長くて一年かと」

 ただし、ある程度支配領域が限定されている者らと違い、ロランには我らすら測りきれぬ広大なる領地がある。即ち、易易と我らに余力を読みきらせてはくれぬ。過日の討伐より立て直し、再度脅威として迫りくるまでの期間には、嫌でも最悪、を織り込まねばならぬ。

「短いな。なるほど、毒に頼らざるを得んか」

「毒は、ヤオの周辺にも撒いておる。ただし、それが効くか否かは、次の戦次第となろう」

「――どこを攻める?」

盛楽せいらくのほど近く、ヤオが出城を構える、柴壁さいへき。この一城での勝ち方如何で、動きが変わってこよう」

 主も、それ以上を問われることはない。

 我には、結果のみが求められる。その手立てに、主は敢えて踏み込まれようとはされぬ。

 結果さえ出せば、我にはこの凶暴なる牙をしんのもとに迫らせることが許される。出し果せねば、この素っ首が、飛ぶ。

 薄氷を踏むがごとき道程どうてい、なればこそ、全力を尽くすに足る道程である。


 ヤオ・チャン。

 淝水ひすいの折、主はヤオ・チャン軍のいち遊軍として動かれた。

 自らの率いる軍が烏合うごうの衆であると見て取ったヤオ・チャンは、敢えて兵力を分散、晋軍を散らせ、主の率いる突騎にて一挙に孫無終そんむしゅうの本陣を食い破る手立てを取った。戦いはほぼヤオ・チャンの見立て通りに進んだと言える――劉裕りゅうゆう、ただ一騎に防がれさえせねば。

 怒り心頭のヤオ・チャンは、功も挙げずに戻られた主を大いに面罵してきたものである。手にした鞭も、本来であれば主に向け打ち付けたかったところではあったのだろう。激昂の態を示しながらも、その一線を破らずにいたのには、主の武を見抜きはしておった故なのであろうか。

 淝水の敗北が決まると、ヤオ・チャンは各軍に散った子飼いらを手早くまとめ、苻堅ふけんが都を構えた長安ちょうあんの、その西にある天水てんすいに拠点を構えた。その上で自らは敢えて苻堅のもとに戻り、臣下としての振舞いを継続した。

 いちど主のもとへ、ヤオ・チャンより文が届いたことがある。

 曰く、いまの苻堅は狂人である。このまま放っておけば、関中を大いなる戦乱のもとに陥れよう。かの者を止め、誰かが残された者を統べねばなるまい。そのためにも、トゥバ将軍のお力をお借りしたく思う。

 この申し出は、無視しきれぬものであった。トゥバとしても、盛楽にて覇を唱えるには、あまりに多くの敵に囲まれていた。ここでヤオよりの侵略の恐れが大きく減じるのであれば、こちらの兵力も分散させずに済む。いずれは敵同士になるとしても、今は手を取り合うほうが良い。故に主は、旧怨きゅうおんを飲み込み、ヤオと手を携えることとした。

 その後ヤオ・チャンは、狂った苻堅に殺されかけた。故に速やかに天水に脱出、苻堅よりは追っ手も差向けられたそうでもあるのだが、撃退。

 また、その苻堅も、別口の元配下に攻め立てられ、逃走。向かった地がヤオ・チャンの勢力圏、五将山であったため、苻堅は囚われの身となった。

 ヤオ・チャンと苻堅との間には、いかなるやり取りがあったのであろうか。分かるのは苻堅が死に、ヤオ・チャンがその後継を自称、苻堅の残存勢力を着実に削り切り、苻堅が都としていた長安周辺の覇者となったこと、である。

 長安周辺は山々に囲まれた、守りの固き盆地。ヤオ・チャンの性分にも適した地勢であったと言えよう。

 我らに多くの敵があるように、やはりヤオ・チャンの周りにも敵がある。それらを硬軟取り混ぜて取り込み、あるいはかしずかせる手腕は、敵手ながら見事と唸るよりほかなかったものである。

 ヤオ・チャンが育たば、将来のトゥバにとっての災いとなる。分かっていたことではある。なれど、ムロン・チュイとの戦いを控え、どうしてヤオにまで警戒を振り向け切れようか。我はその動きを逐一見逃さぬようにだけし、主の戦いを支え続けた。

 いまやトゥバも、ヤオを向こうに回しても遅れは取らぬだけの力はつけられたであろう。なれど、慢心が許される相手ではない。

 故に、毒を蒔いた。

 周辺の勢力に、ヤオ・チャンへのそこはかとなき不信を植える。ユーク、テュファ、クィフ。ヤオ周りに蟠踞ばんきょする豪族である。ヤオの堅き守りを打ち崩すためには、如何にして周辺の者ものを離反させるか、にかかる。その強ささえ揺らげば、外の三豪族や晋が、内のリウ・ボゥボが、その甲冑を蚕食さんしょくするであろう、そう見据えた上で。


「我らとヤオは、真逆と言ってよい。速さと、固さ。ならば我らが取るべき手立ては、柴壁が固まり切る前に、落とすこと」

「策は?」

「城を固めるには、まず人を入れ、資材を入れ、その後に本軍を入れる必要がある。トゥバは機動力を活かし、先発隊が柴壁城入りし、資材をいざ運び込まんか、というところで、囲む」

「攻城戦か? 無謀にも過ぎるだろう。相手は守りの名手だぞ」

「攻めぬよ。囲み、閉じ込め、干上げるのだ。あとは、待つ。さればヤオ・チャンは、我らに攻めかからざるを得ぬ。友には物資の略奪、ヤオ・チャンの迎撃を願いたい」

 ごきり、主が己が首を鳴らされた。

「なるほど、退屈な仕事は貴様に任せ、おれは暴れればいいわけだな?」

「然り」

 主の獰猛なる笑みを見届け、我は出陣の手立てを取る。

 早くても、遅くても、策は通らぬ。ただし、多少の早まりにせよ遅れにせよ、主の速さならば問題はあるまい。ならば策は、城を囲む我らの調整こそが鍵となる。

 速やかに、かつ確実に包囲を完成させねばならぬ。速き者を要所に充て、その間を順次遅き者で埋めてゆく。

 包囲が成ったところで、我らは北門より城壁沿いを回り、南門側の街道沿いに本陣を構えた。合わせて馬をも繋ぎ、ヤオ・チャンを迎え撃つ主が心置きなく戦えるだけの備えを取る。

 柴壁城は、その西側が大河、汾水ふんすいに面してている。天然の堀、というわけである。我々にとりても、唯一守りの兵を割けぬ箇所。故に柴壁城の北と南、それぞれより浮橋を渡し、対岸には別に陣を敷いた。

 見立て通り、ヤオ・チャンの軍は西岸より物資を送りこもうと試みる。それを許す主ではない。浮橋を渡りて輸送隊を一網打尽とし、資材をすべて本陣へとお持ち帰りになられた。


 包囲開始の、翌日。

 我らが本陣の正面に、ヤオ・チャンの誇る重装騎兵らが居並ぶ。その中より進み出る一騎は、しかし他の重装騎兵らと変わらぬ馬鎧をまとっていた。

 騎兵は柴壁城内まで届かんかという、大音声を轟かせる。

「卑劣かな、トゥバよ! 我らが同朋より、誇りすら奪おうてか!」

 ――きょう族ヤオ部の長、ヤオ・チャンその人であった。

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