04-07 転       

 会稽かいけい周りの掃除が済み、いざ会稽入り、ってな辺りで日が沈んできた。月は西の端っこにちょこんとか細せェ。夜明かりとしちゃ、モノの役にも立ちゃしねェ。

 会稽の近くに陣を張る。五斗米道ごとべいどうの追撃に乗ってかなかった寄奴きどにゃお叱りがあるんじゃねェか、って思ったが、

「まさか、あの屋敷が孔子こうしの邸宅とはな。みすみす貴様に功を譲ったか」

 言うほど口惜しそうな素振りも見せねェで、劉毅りゅうきが言う。

 つってもあいつァあいつで、きっちり五斗米道どもを潰してきたらしかったが。

 劉牢之りゅうろうし将軍の天幕ン中、机の上にゃ会稽の町の地図が置かれ、そいつを劉牢之将軍直属の将たちが見下ろしてる。

「ああ、楽させてもらったぜ」

 内心はともかく、そう返す寄奴。思いがけねェ出会いもあったわけだ、見方によっちゃ寄奴の隊に必要なモンと、そいつを拾う手立ても見いだせた、たァ言えねェでもねェ。

「して、謝琰しゃえん殿。明日の局面を、どう判断なさる?」

 劉毅がこうべを返し、天幕中でもひときわ豪奢な甲冑に身を固めた将軍さまに目をやった。

 その将軍さま、まるで虫けらでも見るみてェな目で応じてくる。

「どうもこうもあるまい。貴様らは大人しく賊徒を殺しておれば良い」

 それ以上は話し掛けんな、とばかりにそっぽを向く。劉毅ァ寄奴を見ると、薄く笑った。

 謝琰将軍。あの謝安しゃあん様のご子息、ってこた謝玄しゃげん大将軍にとっちゃいとこに当たる。要するにしん国ン中でも、相当にお偉い立場のお方だ。にもかかわらず、王恭おうきょう、劉牢之将軍の下につけられてる訳だ。まァ、心穏やかじゃいらんねェだろう、たァ思うがな。

「諸将よ、卿らの奮武にて会稽を救う目処の立ちたること、誠にかたじけなく思う」

 劉牢之将軍が、天幕に集まった奴らに向けて声をお掛けになる。

「妖賊の悪足掻きにより、速やかに会稽を落とすは叶わぬ事となった。ならば、払暁ふつぎょうを待たず攻め掛かり、残余の蕩尽とうじんせるを企図いたす。諸将、如何いかに判ずるや?」

 会稽にゃ、まだまだ名族どもの子弟が多く残る。変に決着を引っ張りゃ、そんだけ名族どもの死体がかさむ。かさを減らしたけりゃ、とにもかくにもぶっちめる。そいつが一等マシな手立てだろう。

 だが、マシに噛みついてくる奴ァ、ごまんといる。

「なるほど、将軍の果断かだんはなはよな」

 謝琰将軍が、声を上げた。

「なれど妖賊、奸智の極み。我らの動きを察するや、質を取りに来るやも知れぬ。蕩尽に先立ち、要所の確保をなすべきと愚考いたす」

 そう言って謝琰将軍が指差して来たんなァ、まさしく名族様のご邸宅ばっかりだった。おーおー、本気かよ。

「叩いとくんなあ、会稽かいけい内史ないしじゃねえですかね」

 寄奴が声を上げると、えっれェ勢いで刺すような目どもが飛んできた。

「控えろ、小僧」

 謝琰将軍からの威嚇じみた声。

「この軍が何で支えられておるか理解しておるのか。会稽に住まう顕族けんぞくの財貨に依っておるのだ。龍骨をゆるがせとして、船体が保ち得ようか?」

 一応、理屈らしい理屈ァぶってくるだけマシ、ってなモンなんだろう。

「船体って話なら、敵の龍骨ぶっこ抜いちまった方が速えと思いますがね」

「話にならん。楼船と筏を同列で語るな」

 謝琰将軍の言葉を受けながら、寄奴ァざっと机を囲む諸将を見渡した。謝琰と同じく寄奴を蔑む目で見てくる奴、劉毅みてェに面白れェ見せモンでも眺めてるような奴、ただおろおろしてるだけの奴。

 で、劉牢之将軍は。

「――謝将軍の献策で参る」

 一切の気持ちを顔に出さず、ただそいつだけを言い切られた。


「話では武のみと聞いていたのだがな。むしろ父上が買われていたのは、その胆か」

 天幕を出て持ち場に戻ろうとしたとき、劉毅が寄奴に語りかけてきた。

 すっかり空は暗くなり、そこかしこでたいまつのパチパチ言う音が響いてる。

「どうだろうな。便利な捨て駒、くれえじゃねえの」

「ずいぶんと長持ちする捨て駒だ」

「頑丈だけが取り柄でな」

 ふっ、て劉毅が笑った。

 二人して、歩き出す。

「礼を言う。先ほどは面白きものを見せてもらった。見事であったな、我らが麗しき大晋軍は」

「全くだ。よく将軍もキレずにいられるもんだ」

「謝将軍の仰りようも、誤ってはおらんからな。実際のところ、諸軍資は烏衣巷ういこうより拠出されている。即ち、建康にある王氏、謝氏の拠点だ。会稽の諸氏族を救い出せねば、父上の軍府そのものが解体されかねん」

「そのお陰様でもって、今日で片つけられたもんがズルズル長引いてんのか。大概だな」

「よくも憚らずに言ってくれるものだ」

 責めるふうじゃねェ。飽くまで楽しそうに返してくる。

「だが、確かにこれが父上の現状だ。謝玄将軍の用兵をもっとも学びおきながら、名族らに頭を押さえつけられている。ここを打ち破るためにも、貴様のような強者の力が要る」

 劉毅が鋭く前を見た。

「打ち破る? 何しようってんだ」

「この国の状況は貴様も聞き及んでいるだろう。北ではムロン・チュイとトゥバ・ギとの戦端が遂に開かれたと聞く。勝者がどちらであれ、苻堅ふけん以上の脅威となるは必定。だと言うのに国内には桓玄かんげんを抑え込める者もまるでおらず、あまつさえこのような下らぬ乱に足を引っ張られる始末。西府と北府の均衡は、北への備えに当たり、欠くべからざる要諦だ。ならば、速やかにこの北府も一本化されるべきだ。そのためにも、父上の力を貴族らの掣肘せいちゅうより解き放つ必要がある」

 言葉の裏に、謝琰将軍に向けた苛立ちが感じられた。

 そんだけじゃねェ。あの天幕中にゃ、謝琰将軍みてェな名族どもにたっぷり飼い慣らされた奴ら、抑えこまれて尻尾丸まっちまってる奴らがうさうさいやがった。

 劉牢之将軍ァ、王恭おうきょうに次ぐ北府の重鎮って事になってる。ってこたァその属僚たちなんてな、おおよそ北府軍の色みがそのまま出てきてるようなもんだろう。

 ついでに言や、劉牢之将軍の勢力が伸びんのに大きな仕事が出来りゃ、そんだけ劉毅が軍府を継承するときに振るえる力もデカくなってくる、ってなことにもなりそうだな。

 野心が、露骨すぎる。

 ま、悪いこっちゃねェが。

「いろいろ面倒臭せえんだな、お国の仕事ってよ」

 思わず、寄奴が洩らす。

「面倒と思わば面倒、愉快と思わば愉快。それが世の常であろうよ」

 言うと、劉毅は手を挙げて手前ェの持ち場に戻っていった。

 ひとり、寄奴ァ顎をかく。

「愉快と思わば、ね」

 ふと、敵どもの、手下どもの顔がよぎる。

「まぁ、楽しんだモン勝ちか」


 こうして更けていく、その夜に。

 雷鳴もかくやって言う急報が届く。

「劉牢之将軍、王恭を誅殺」。

 陣内ァ、鍋の底ひっくり返したみてェな大騒ぎに包まれた。

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