闇の胎動

 中学生の陰陽師である妙義榛名は、舞烏帽子中学校に根付く闇の根源を調べるため、使役する式神である「禍津」に二年五組の真下の地面を調べるように命じた。榛名が禍津を出したのを同じクラスの厩橋渉が目撃した事を彼女は気づかなかった。渉自身も、自分が見たはずの禍津を幻覚だと考えたので、榛名に尋ねる事はなかった。

「さっきの話の続きなんだけど」

 渉は一緒にトイレに行った吉岡に先に教室に戻るように言ってから、榛名を見た。

「ここでは話し辛いから、ちょっといいですか?」

 榛名はそう言うと廊下を歩いて行く。

「あ、うん……」

 有無を言わせない様子の榛名に素直に応じ、彼女について行った。

「妙義さん……」

 榛名から事情を聞いている倉渕美琴であるが、自分の好きな男子が他の女子と二人でどこかに行くのは落ち着かないようだ。

「ヤキモチが見苦しいんだよ、美琴」

 片品翠が怒鳴った。美琴はその声にビクッとし、翠を見た。翠は美琴を哀れむような目で見ていた。

「そんなに心配なら、追いかけろよ、美琴。陰でこそこそしてないでさ!」

 翠は勢いよく立ち上がって椅子を倒した。美琴は翠の言葉には何も言わず、俯いたままで自分の席に着いた。

「けっ」

 翠は舌打ちをし、手下同然の男子に椅子を起こさせると、ドスンと腰を下ろした。

まじない師め、何を企んでるんだ?)

 翠の眉間に皺が寄った。


 榛名は体育の授業で誰もいない教室に渉を招き入れた。渉も榛名が女子なのをその時急に意識し、ドキドキしながら教室に入った。

「ある程度の話は倉渕さんから聞きました」

 榛名は美琴から聞いた話を掻い摘んで渉に話した。渉は自分と美琴の事を知られているのを聞き、赤面した。

「片品さんが貴方に強い思いを抱いているのはわかっていますか?」

 榛名は無表情な顔で渉を見る。渉は小さく頷き、

「妙義さんも知っている通り、片品さんは僕の家まで来たから」

 彼は美琴と翠のいさかいに心を痛めている。榛名は渉の言葉を聞き、彼の胸のうちを感じ取った。

「二人は元は親友だったのに、今では友人でもない状態になっていて、何とかならないかと思っているんだけど」

 渉は悲しそうに俯いた。榛名は渉の顔を覗き込み、

「倉渕さんにもお話したのですが、実は私は陰陽師で、この学校の依頼を受けて校内に巣食う闇を打ち祓うために転校して来ました」

「え?」

 渉は驚いて目を上げ、榛名を見た。彼女の顔があまりにも間近にあったので、彼は榛名が本当は奇麗な顔立ちなのに気づいた。

(妙義さんて、髪を上げれば可愛いんじゃないか?)

 顔の半分を長い黒髪で覆っているため、榛名は損をしている。渉はそんな事を考えている自分にハッとする。

「片品さんは何かが切っ掛けで闇に取り込まれようとしています。もしかすると片品さんを救うのは難しいかも知れません」

 渉の動揺を全く感じていないように榛名は淡々と話を続けている。渉は小さく溜息を吐いた。

「確かに片品さんの変貌はおかしいけど、でもそれが闇のせいだなんてあまりにも突飛な話だよ」

 渉は美琴ほど榛名の話を信じてくれていないようだ。すると榛名はスッと渉から離れ、

「では、こうしたら信じてくれますか?」

 顔にかかった髪を両手でかき上げ、耳にかけた。すると彼女の顔が全部見えるようになり、渉は思わずドキッとし、顔を火照らせた。榛名は渉に顔を近づけ、

「男の人は可愛い女の子の話は信じると聞きました」

 まるでその顔は自分の顔ではないと言わんばかりの榛名の言葉に、渉はキョトンとした。

(妙義さんて、自信過剰なのか、帰国子女なのかのどっちかだな)

 正しい日本語を使えないのだろうか、と思ったのだ。ある意味それは当たっている。

「今日、二度あり得ない事が起こっています。朝、貴方に掴み掛かろうとした男子がいきなり転びました」

 榛名は話を続けた。渉はその時の光景を思い浮かべた。

(確かにあの時、いきなり倒れたな)

 彼を押した者はいないし、つまずくようなものもなかったのはよくわかっている。

「そして先程、貴方のお友達の吉岡君が突然宙に浮かび上がりました」

 榛名がジッと自分を見つめているので、渉はまた顔が火照って来るのを感じた。

(やっぱり妙義さん、可愛い)

 そして美琴の事を思い出し、自分をいましめる。

「どちらにも片品さんが関わっています」

 榛名が翠の名前を出したので、渉はギクッとした。

(やっぱりあの噂は本当なのか?)

 奇妙な符合を感じ、渉は改めて榛名を見る。榛名は感情が波打つような状態の渉と正反対の無表情のままで、

「そして、片品さんは貴方への思いがあるが故に、闇に全面的に取り込まれるのを拒んでいるのです」

 渉は目を見開いた。

「片品さんを救うには、貴方の協力が必要です。力を貸してください、厩橋君」

 榛名が更に顔を近づけたので、渉はたまらなくなって彼女から離れた。榛名は渉の反応に首を傾げた。

「どうしましたか?」

 渉は何かを言おうとしたが、チャイムに阻まれた。

「教室に戻りましょう、厩橋君。授業の間に考えておいてください」

 そう言い置くと、髪でまた顔を半分隠した榛名はサッサと先に行ってしまった。

「妙義さん、よくわからない……」

 榛名が自分に迫っているような気がした渉は、彼女の心のうちを計りかねてしまった。

(新手の告白なんだろうか?)

 冗談ではなくそう思った。


 榛名は二年五組の教室に向かいながらある少女の事を考えていた。

(厩橋君を説得しようとした時、春菜あのこが出て来た)

 榛名に「男の人は可愛い女の子の話は信じる」と教えたのはその少女だったのだ。

(厩橋君も似ているのか、彼女の思い人に?)

 榛名は教室に入ると思索を破られた。翠の憎悪が先程より強くなっていたからだ。

(片品さん、私と厩橋君が話していたのを嫉妬している?)

 榛名は自分の席に着きながら翠を一瞥した。翠は榛名を射殺しそうな鋭い目で睨んでいる。そんな二人を交互に見て、美琴は不安そうな顔をしていた。そこへ遅れて渉が入って来た。美琴はすぐにでも榛名と何を話したのか訊きたいのだが、翠の目があるので動けない。そしてそれはあまりに榛名にも失礼だとも思ったのだ。翠は渉に興味がないような素振りをし、窓の外を見るフリをして、窓ガラスに写る渉を見ていた。

(厩橋君……)

 彼に対する思いだけは闇に支配されていないため、素直に感情が形作られる。しかし、声にすると変わってしまうのを彼女は苦しんでいた。

(思っている事と違う事を口が喋ってしまう……。どうしたらいいの?)

 美琴が翠の思いを遮る事をしなければ、彼女は落ち着いている。榛名はそれに気づき、また対策を考えていた。

(厩橋君と片品さんがうまくいけば、闇の思惑が破れてこの膠着状態を打破できるかも知れない)

 翠の強い渉への思いと美琴への嫉妬心の釣り合いを保つためには、それが最善だと判断した。

(一時的に倉渕さんには引いてもらうしかない。そして片品さんを取り込もうとしている闇を打ち祓ってから、三人の関係を構築してもらうのがいい)

 榛名はそう結論づけた。その時、四時限目の社会の担任が教室に入って来た。彼はベテラン教師らしいのだが、英語の女性教師やクラス担任の月夜野鞠子と同じく、翠に脅えているようだ。彼女の方を見ようともしない。

(彼らのあの態度が闇を強めている)

 榛名は板書をノートに書き写しながら思った。

あるじ

 その時、榛名の心に禍津が語りかけて来た。

『どうした?』

 榛名は翠を警戒しながら尋ねたが、翠は聞き耳を立てていなかった。彼女は渉の心が自分から離れていっているのを憂えていて、その事に気持ちが向いているのだ。

『この建物、途轍もなき物の上に建てられております』

 禍津の言葉に榛名は眉根を寄せた。

『授業が終わったら聞かせてくれ』

『承知』

 榛名の足元に顔を出した禍津はスウッと人型に戻り、榛名の制服のポケットに入った。

(え?)

 隣の席の美琴は消しゴムを床に落として拾おうとした時、榛名のポケットに紙が入っていくのを見てしまった。

(今のが、妙義さんの力?)

 美琴は思わず唾を飲み込んでしまった。その美琴の反応で榛名は美琴に見られたのを悟った。だが今回は前回の繭蓑まゆみの中学校のケースと違い、美琴は当事者でもあるので、榛名は気に留めなかった。


 やがて授業が終わり、ベテラン教師が教材を抱きかかえて挨拶もそこそこに教室を飛び出して行くと、榛名は席を立って翠に近づいた。途端に美琴と翠の取り巻きの男子達が反応した。

「片品さん、一緒にお弁当を食べない?」

 榛名は無表情のままで翠に提案した。美琴は呆気にとられ、取り巻き達は顔を見合わせた。翠は怪訝そうな顔をして、

「何を企んでいるんだよ、転校生?」

 彼女は警戒していた。しかし榛名は、

「じゃあ、屋上で待ってる」

 それだけ言うと、教室を出て行ってしまった。これには途中から二人のやり取りを見ていた渉と吉岡も唖然としていた。

(何をするつもりなんだ、妙義さん?)

 渉はまた顔が火照るのを感じた。榛名が気になっているのだ。

「何だ、転校生? 片品と何の話をするつもりだ?」

 吉岡は廊下で痛い目に遭ったのを忘れたかのように興味津々だ。

「やめとけよ、吉岡。また怪我するぞ」

 渉が小声で言うと、吉岡はフッと笑い、

「大丈夫さ。俺は超能力者になったんだからな」

 意味不明な言動の吉岡に呆れ、渉は席を立つ。

「あ、待てよ、厩橋!」

 吉岡が慌てて渉を追いかけて教室を出て行く。

「何勝手に決めてるんだよ、あのチビは?」

 翠は口ではそう言いながらも、榛名の行動の真意が気になっていた。

(最初に攻撃的な力を見せた時と違う……。どういう事だ?)

 翠が榛名を目で追っているのに気づき、美琴はまた落ち着かない。

(妙義さん、何をするつもりなのよ?)

 彼女は榛名が陰陽師なのを知っているが、それでも心配だった。


 榛名は購買であんぱんと牛乳を買い、屋上に行った。美琴と来た時より日が高く強くなっている。

(ちょっとつらい……)

 榛名は眩し過ぎる日差しに目を細め、日陰になっている位置に動き、来ないかも知れない翠を待つ。

『禍津、何があった?』

 彼女はその間に禍津からの報告を受ける事にした。

『百聞は一見に如かず。我の見聞した次第をそのままお伝え致します』

 禍津はそう告げると榛名の心に自分の調査報告を直接送り込んだ。

(何と……)

 榛名は更に目を細めた。

(何という場所に学びを建てたのだ?)

 彼女は消された歴史を知り、闇の発祥の原因を感じた。

「おい」

 その時、翠が顔を出し、榛名に油の染みが小さく浮き出ている白い紙袋を差し出した。榛名は禍津からの報告を中断し、それを受け取った。

「牛乳とあんぱんじゃ、腹が減るだろう? そのコロッケ、美味うまいから食え」

 ぎこちない言葉と表情で翠は言うと、榛名の隣に立った。翠は別の紙袋からてのひらに収まらないくらいのコロッケを取り出し、一口食べた。

「ありがとう」

 榛名は翠が大きな口を開けてコロッケを食べるのを見て礼を言った。

「お前、最初と雰囲気が変わったな。私をどうしたいんだ?」

 翠はティッシュで口の周りを拭いながら尋ねる。榛名は自分の口より大きいコロッケを見つめて、

「貴女と厩橋君の仲を取り持ちたい」

「え?」

 意外な返答だったのか、翠はティッシュをコンクリートの床に落とした。

「貴女はまだ救える。ここに呼んだのは、闇の束縛を弱めるため」

 榛名はコロッケを袋に戻し、翠を見上げた。二人の身長差はそれほどないが、榛名が小さいのでやや見上げる形なのだ。翠は目を見開いたまま何も言わずに榛名を見ている。

「教室を出ると、気持ちが安らぐでしょ?」

 榛名が尋ねる。翠はハッとして彼女を見返し、

「そうかな……」

 答えを探るような言い方をした。

「原因はあの教室の真下の地面にあった」

 榛名は教室がある方向に視線を走らせた。翠はコロッケの残りを紙袋に戻し、

「何があったの?」

 怯えた目で榛名を見ている。榛名は再び翠を見て、

「何百年も解消されなかった怨念。それが貴女と倉渕さんとの関係を壊した」

 翠の身体に残っている闇が榛名の言葉に反応した。

「それ以上首を突っ込むな、呪い師! 死ぬぞ!」

 翠の顔が凶悪になる。

(そう簡単にはいかないという事か)

 榛名は目を細めた。

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