闇属性の中学生

神村律子

繭蓑中学校編

影のある転校生

 Q県N市。そのほぼ中央にあるN市立繭蓑まゆみの中学校。在籍生徒数五百六十五名のごく一般的な地方都市の中学校だ。男子は詰め襟の学生服、女子は紺のブレザー、ベスト、プリーツスカートの制服だが、衣替えが終わった今はどちらも上着は着ていない。

「転校生は女子だってさ!」

 二階にある二年三組の教室に飛び込んで来た男子生徒が大声で叫んだ。

「おお!」

 男子達のほぼ全員が声を上げる。

「で、可愛いのか?」

 その中の一人である野球部員で坊主頭の太田おおた裕宇ゆうは興味津々の顔で尋ねる。

「可愛いらしいよ。隣のクラスの奴が、職員室に行った時、チラッと見たんだってさ」

 男子達が転校生の話で大盛り上がりをしているのとは対照的に女子達は冷めた感じだ。

「ウチのクラスの男子、アホばっか」

 そんな声が聞こえて来る。

(転校生か。どんな子なんだろ?)

 机に頬杖を突いているのはクラス委員の桐生きりゅう美緒茄みおな。肩上でバッサリと切り揃えたストレートヘアの黒目がちで大きな目の美人である。その上、成績優秀、スポーツ万能。但し、本人は否定しているが、そこそこの天然ボケでもある。

「黒保根君は違うよねえ、転校生くらいで騒いだりしないもん」

 女子達がウットリした顔で囁き合うのは、クラス一のイケメン男子の黒保根くろほね玲貴れいきの事だ。彼はクラスのほとんどの男子達が転校生が可愛いという話題で盛り上がっている中、全く関心を示さずに授業の準備をしていた。やや吊り上がった目を細め、騒ぐ男子達を含み笑いで一瞥し、男子にしては長めの前髪を手櫛で掻き揚げた。

「け、かっこつけやがって」

 裕宇は玲貴が好きではない。理由はわからないが、何となく虫が好かないという類いの嫌悪感を覚えるのだ。

「いつまで騒いでるんだ、席に着け」

 そこへ担任の川場かわばあきらが入って来た。角刈りに太い眉の見るからに体育会系の容姿だが、実は運動音痴の理系出身である。

「来た来た!」

 男子達は嬉しそうに各々の席に戻る。

「何が来た来ただ、全く。先生を敬えとは言わんが、せめてだな……」

 川場がムッとして説教を始めようとすると、

「違いますって、先生。一緒に来てるんでしょ、転校生」

 一番前の席の男子が言った。すると川場は、

「何だ、お前ら、どこからそんな情報仕入れたんだ?」

と目を丸くして呆れ顔になった。

「可愛い女の子なんですよね?」

 裕宇はもう待ち切れないという顔で尋ねた。川場は男子の様子がおかしいのに合点がいったのか、

「お前ら、勉強もそれくらい集中してしろよ……」

とますます呆れ顔になった。裕宇達は苦笑いして顔を見合わせる。女子達は更に白い目で男子達を見る。

「という訳だ。みんな、と言うより、男子達がお待ちかねだ。入りなさい」

 川場が廊下で待っている転校生に声をかけた。返事をしたのかしなかったのか、ドアがスーッと開き、一人の小柄な少女が入って来た。多めの長い黒髪を腰の辺りまで伸ばし、前髪は顔の大半を隠してしまっていて、クラス中に一瞬であるが緊張感が走った。着ているのは前の中学校の制服なのか、紺の大きな襟付きの白の上着のセーラー服。同じく紺のプリーツスカートの丈は膝下まであり、長い訳でも短い訳でもない。その下に見える脚は細く、骨ばっていた。履いている靴下は白で向こうすねの半分まである。上履きは間に合わせなのか、ヨレヨレのものだ。両手に抱えているのはスカイブルーの通学かばん。彼女の身体が小さいせいで、裕宇にはそれが随分と重いものに感じられた。少女が教室に入ると、ドアが勝手に閉まった。しかし、彼女のあまりにも異様な雰囲気に目を奪われていたので、誰一人その不自然な現象に気づく者はいなかった。

(な、何、この子?)

 彼はその転校生の周りだけ暗くなっているように見えた。あれだけ楽しみにしていた男子達は、誰一人歓声を上げないし、逆に敵意を剥き出しにしていた女子達は唖然としている。

「誰だよ、可愛い子だって言ったのは……」

 小声で言い合うのが聞こえたので、川場は机をバンと叩いた。

「私語は慎め」

 川場はクラスの全員を一人一人確認するように見渡してから、

「今日からこのクラスの仲間になる妙義みょうぎ榛名はるなさんだ。妙義さん、自己紹介をしてくれ」

と転校生を見た。妙義榛名と呼ばれた転校生はコクンと小さく頷くと、教壇に上がり、まずはチョークを手にして黒板に名前を書いた。

「え?」

 美緒茄は驚いてしまった。榛名がチョークを持ったのまでは見ていたのだが、彼女の手の動きが見えなかったのだ。

(何、今の? 全然見えなかった……)

 榛名に関心がない大半のクラスメートや私語をやめない一部男子を注意していた川場は気づいていなかった。

「妙義榛名です。よろしくお願いします」

 榛名はそう言うと、ペコリと頭を下げた。正面を向いても、顔の真ん中で少しだけ分かれている髪の間から目の半分と鼻と口の一部しか見えない榛名をクラスのほとんどの者が奇異の目で見ていた。

「うん?」

 裕宇は榛名がある一点を凝視しているのに気づいた。彼女の視線を追うと、その先には玲貴がいた。

(なあんだ、イケメン好きの普通の女の子か)

 裕宇は榛名に何か妙なモノを感じたので、榛名の関心が玲貴にあるのがちょっと拍子抜けだった。

「何よ、あの子」

 榛名が玲貴を見ているのに気づいたのは裕宇だけではなかった。玲貴の「親衛隊」である女子達もだった。

(転校生にはこのクラスの仕来りを教えないとね)

 親衛隊の隊長を自他共に認めている松井田まついだあずさは鋭い視線を榛名に向けていた。彼女は他のクラスの男子にも人気がある美少女で、取り巻きも男女共に多い。つやのある長い髪をツインテールにし、切れ長の目許めもとは涼やかで、成績トップを美緒茄と争っている。

「妙義さんの席は、一番後ろの窓際だな」

 川場は梓達の敵意に気づくはずもなく、榛名に言った。榛名はコクンと頷いて何か呟き、机の間を歩き出す。その先には梓の取り巻きの女子がいて、にやりと笑うと足を出し、榛名を転ばそうとした。

「あ」

 榛名はものの見事にその企みに引っかかり、前につんのめった。しかも彼女は両手でかばんを持っていたので、手を着く事ができない。

(顔から転びな)

 足を引っかけた取り巻きの女子は思った。しかし、榛名は転ばなかった。

「え?」

 取り巻きの女子はギョッとした。他の誰も榛名を見ていなかったので気づいていないのだが、彼女だけは見てしまった。転びかけた榛名の背後の空間にいきなりニュッと人間のものとは思えない細くて指の長い手が二つ現れ、榛名の肩を掴んで倒れるのを止めたのだ。

(な、何?)

 腕はスウッと消え、榛名は何事もなかったかのように自分の席まで行き、座った。足を引っかけた梓の取り巻きの女子は唖然としていたが、

「ほら、よそ見するな」

 川場の声に我に返り、前を向いた。


 ホームルームが終わり、川場が教室を出て行くと、さっきの黒板の一件が気になっていた美緒茄が榛名に近づいた。他の女子達は榛名から距離をとってこそこそ話しているか、梓の取り巻き達のように榛名を敵意剥き出しの目で睨んでいるかだ。

「私、クラス委員の桐生美緒茄です。よろしくね」

 美緒茄はニコッとして右手を差し出したが、

「よろしく」

 榛名は美緒茄を見上げてそう返しただけで、握手をしなかった。

「あ、あはは、ちょっと馴れ馴れしかったかな、私?」

 美緒茄は苦笑いして出した右手で頭を掻いた。

「いえ、別に」

 榛名は教室の掲示板に貼られた時間割を見ながら、かばんの中から教科書を取り出す。

「わからない事があったら、何でも訊いてね」

 美緒茄は心が折れかけていたが、何とか踏み止まって言い添える。

「では」

 榛名は美緒茄を見た。美緒茄は思わず後退あとずさりしそうになった。

「彼の名前は何と言いますか?」

 榛名は教室を出て行こうとしている玲貴を目で追いながら尋ねた。

「え?」

 美緒茄は思ってもいない事を訊かれたので呆然とし、それを聞いた梓達「玲貴様親衛隊」は殺気立った。玲貴は自分の事が話題になっているにも関わらず、そのまま出て行ってしまった。

「何、あの女? 玲貴様のお名前を訊くなんて……」

 親衛隊の一人の女子がいきり立つ。

「放課後、歓迎会決定ね」

 隊長の梓はフッと笑って榛名を見た。それに呼応するかのように隊員達はニヤリとした。

「あの転校生、松井田に睨まれたみたいだな」

 梓達の会話を聞いていた男子の一人が呟いた。

(やばい事になりそうだな)

 裕宇は梓達と榛名を交互に見て思った。

「ああ、あの子は黒保根玲貴君。イケメンでしょ?」

 場を和まそうと思ったのか、美緒茄が余計な事を言ってしまう。

(桐生、相変わらず空気読めない女だな。あいつも一緒に歓迎会か?)

 梓は美緒茄を睨んだ。

 元々、二年三組の女子達は二派に分かれている。一つは梓を中心にしたグループ。そしてもう一つは美緒茄を中心にしたグループ。但し、美緒茄自身はグループのリーダーのつもりはなく、梓グループに比較すると、美緒茄派の女子達は大人しい子が多いため、結束力はないに等しい。だから、普段は高圧的な梓が事実上のクラス女子の統率者として振舞っているのだ。美緒茄はそれに気づいているが、梓と争いたくないので、何も言わない。

「くろほね、れいき?」

 榛名は鸚鵡返しに言うと、ノートを開いてシャープペンシルを美緒茄に差し出し、

「どういう字を書きますか?」

「え?」

 意外な申し出に美緒茄はキョトンとしてしまった。

「何のつもりなの、あの女!?」

 梓は思わずそう口にしてしまい、ハッとして周囲を見たが、誰も彼も何も聞かなかったような素振りをしている。梓は取り巻きの気遣いが少しだけ苛立たしかったが、何も言わなかった。

(歓迎会、大いに盛り上げてあげるわ!)

 梓は歯軋りして榛名を睨みつけた。

「えっとね……」

 実は全然玲貴に関心がない美緒茄は、彼の名前がどういう字だったのかを思い出すのに手間がかかった。

「確か、こう」

 榛名がじっと手許を見ているので、美緒茄は緊張してしまった。震える手で書いた「黒保根玲貴」は自分でもあまり納得がいかない妙な字だった。

「ありがとうございます」

 榛名は美緒茄からシャーペンを受け取ると、無表情な顔を美緒茄に向けて礼を言った。

「またわからない事があったら、声をかけてね」

 美緒茄は微笑んで言うと、自分の席に戻った。

(あーあ、あの事、訊けなかった……)

 美緒茄は黒板にどうやって字を書いたのか知りたかったのだが、榛名の雰囲気に気圧けおされ、尋ねる事ができなかった。

「桐生、また松井田を怒らせたみたいだな」

 美緒茄を梓が睨んでいるのを裕宇が見ていた。彼は美緒茄とは中学入学の時に初めて会い、

(か、可愛い!)

 一目惚れをしたのだった。しかし、野球一筋の裕宇は、まだ美緒茄に気持ちを打ち明けていない。男子達も女子達と同じく、梓派と美緒茄派に分かれている。美緒茄の空回りなところが嫌いな男子は梓派、そこが可愛いという男子は美緒茄派。当然の事ながら裕宇は美緒茄派だが、隠れ美緒茄派で、公言はしていない。そんな裕宇が何故転校生が可愛いとはしゃいでいたのかというと、美緒茄の反応を見たかったからだった。男子に人気があるのを自覚していない美緒茄は、転校生にはしゃぐ男子に関心がなかった。裕宇の作戦は見事に失敗したのだ。でも裕宇はそれを知らない。

(桐生は妙義さんと仲良くなろうとしているのだから、俺も……)

 裕宇は違う意味で興味がある榛名と話をしたかったのだ。

(可愛くはないけど、何だか不思議な雰囲気の子だよな)

 裕宇が教科書に目を通している榛名をジッと見ていると、不意に彼女が目を上げて裕宇を見た。裕宇は慌てて目を背けた。しかし、榛名は裕宇が見ていた事になど関心がないかのようにまた教科書に目を落とす。

禍津まがつ

 榛名が心の声で何者かに呼びかける。

『はい、あるじ

 黒く濁った水底から発せられたような不気味な声が応える。しかし、それは榛名以外には聞こえていない。

『ここに巣食う闇はあれで間違いないか?』

『はい』

 榛名は一時限目の英語の先生が入って来たのを見て、美緒茄の号令に従い、起立した。

「礼」

 美緒茄の澄んだ声が教室に響く。榛名は、

『ならばすぐにでも始末をつける』

『承知致しました』

 榛名はお辞儀をしながら何者かとの会話を続けた。

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