その後やっぱり少し痛んだ

@perfume

56分

 大学の試験が終わると毎晩のようにどこかの居酒屋や誰かの家で忘年会が開かれていた。別に忘れてしまいたくなるような辛いことや悲しいことはないし、そんな気持ちになるほど一生懸命にやったことはひとつもなかった。ただ集まって、騒いで、お酒を飲む理由さえあればそれで良かった。当時のぼくはアルバイトの他には友達や女の子たちと酒を飲んだり歌を歌ったり、そんな毎日が温かな泥のように心地よく、ごく当たり前のように自堕落に、いっぱいになった灰皿の上に空っぽの灰皿を積み重ねるような毎日を過ごしていた。大学2年生の冬のことだった。


 その冬何度目かの忘年会の時、もうそれが誰の家で開かれたのか、何人くらいの人が居て、そのうちの何人が知り合いだったのかとかは全部忘れてしまったけど、とにかくその中でたった一度会っただけで、ちょっと好きかもって思ってしまった女の子がいた。


 その日は珍しいくらいの大雨で、バイクで向かう予定だった僕は面倒くさくなって途中参加することに決めた。同じく雨で足止めを食らっている女の子からのLINEを返したり、ゆっくりお風呂に入って時間を潰していたりしたが、それでも止みそうもない雨に覚悟を決め、とっくに友人の家に着いてる女の子に今から向かうとLINEして、電車で友人の家へと向かうことにした。


 チャイムも押さずに家へ入ると、けむたくて乾燥した空気に交じって、早くも出来上がった数人の陽気な笑い声が玄関まで聞こえてきた。遅くなったことを適当に詫びながら、壁際に寄りかかって携帯の画面を一人で見ている女の子の横に座った。


「はじめまして。何してるの?」


 はじめまして。私お酒飲めなくて暇つぶし


「なにか面白そうなのあった?」


 ううん。ルービックキューブの揃え方のサイトを見てただけ


「本当に暇そうだね」


 友達寝ちゃったしね


 ぼくがついさっきまでLINEしていた女の子は彼女の友達でもあったらしく、携帯を握りしめたままベッドの上で寝息を立てていた。友達の方をチラッとだけ見た彼女は、それだけ言うとつまらなさそうに携帯をしまい、ぼくの顔を見て「お風呂入ってきた? 良い匂いする」と笑いながら言った。これがぼくとちーこの初めての会話だった。


 部屋の真ん中にいる酔っ払い集団の誰かに何本かお酒を投げてもらい、「風呂上がりの一杯は最高」なんておどけながら、彼女の横でそれを一口で開ける。


 ちょうど良かった。空き缶ちょーだい。灰皿にしたいし。


「俺もそのつもりだったんだよね。一緒に使おうよ」


 もう一本開けちゃいなよ、はいこれ。


いたずらっ子っぽく笑う彼女が差し出したトリスの瓶を見て苦笑する。


「一気飲みしろってこと? するけど潰れたらちゃんと介抱してね」


 その時はまたルービックキューブのサイトでも見てるよ


 自虐っぽく笑う彼女に乗せられるままにお酒を飲みながら、ぼくたちはたくさんの話をした。バイトのこと、地元のこと、大学の変な教授のこと、目の前で騒いでいる友達たちのこと。


 午前2時を少し過ぎた頃、あれだけ買い込んでいたお酒がなくなって、必然的に輪の中に居なかったぼくたちが買い出しに行くことになった。「早く帰って来いよ」なんてヤジに見送られて、ぼくたちは近くのドン・キホーテへと向かった。どうやら一日中降り続いていた雨はいつの間にか止んでいたらしく、そのせいで辺りは凍えるような寒さになっていた。自然と早足になって会話もそこそこに店へ着き、二人で適当にお酒を選んでいる時、ぼくはあることを思い付いた。


 ちょうど二つの袋一杯に買ったお酒を両手に持って帰る途中、「片方くらい持つ」と言い張る彼女に「じゃあこれだけ持って」と、先ほどこっそりと買ったルービックキューブを渡した。それを見た彼女は少し不思議そうな顔をした後、噴き出しながらも全然いらないよと満面の笑みでぼくを叩いた。それから「帰ったら一緒にしようね」と嬉しそうに言った。


 家に着くとぼくたちの帰りを待っていた酔っ払いたちが「遅い」とか「キスでもしてたの?」とか好き放題言ってきて、それに対してちーこも「あんまりうまくなかった」なんて悪ノリをして、なんだこんな冗談が通じる子なんだったら、本当にすれば良かったなとか考えながらぼくも一緒に笑っていた。


 そんなことはお構いなしに「だれこれ?」と、床に転がっている友達を跨いで定位置に座ったちーこは、早々にルービックキューブを取り出した。


「いきなり始めるわけ?」


 もちろん。これぐちゃぐちゃにして


「っていうかルービックキューブなんてしたことないんだけど」


 全然余裕でしょ


ちーこは携帯を取り出すと、先ほどまで見ていたページを一気に上までスクロールした。


 できた? じゃあ読み上げていくね


「え? 俺がするの?」


 共同作業でしょ。頑張ろう。6ページくらいあるし


「わかったわかった。とりあえずどうしたら良い?」


 まず一面を揃えます


「いや無理だよ。そこから教えてよ」


 だってそこからしか書いてないもん


「そんなわけないでしょ。ちょっと見せて」


 彼女が携帯の画面を見せてきたとき、少しだけ強引に彼女を近くに引き寄せた。それに対してちーこは特に何も言わず、ぼくたちはああでもないこうでもないと互いの腕が密着するくらいの距離でルービックキューブと格闘した。


 それから一時間くらい経っても相変わらずルービックキューブは完成していなかったが、それでも着実に面の色は揃っていった。それと同じように、お酒を飲んでいる友達らも一人また一人と減っていった。


 攻略サイトが最後の一ページになった時、ついに起きているのはぼくたちだけになった。ぼくたちはどちらともなくキスをした。軽く触れる程度の高校生みたいなキスだった。


 なんだか今までにしたどんなキスよりも緊張したし、それはちーこも同じようだった。「……普通こういうのって完成した時にするもんじゃないかな」と茶化して笑うちーこを軽く抱き締めた後、ぼくたちはまたルービックキューブを再開した。


 最後の一ページが下まで行き、ぼくの手の中で完成されたルービックキューブを二人で眺めながら、満足そうにちーこは「お水入れてくるね」と立ち上がった。ぼくは少ししてからその後を追って、台所でグラスを探しているちーこの華奢な体を後ろから抱きしめた。ちーこのベリーショートの髪からは仄かにシャンプーと煙草の匂いがした。そのとき、なんだか不意に、彼女のことをずいぶんと前からとても好きだったような気持ちに襲われて、ほくは笑いながら「お風呂入ってきた?良い匂いする」と言った。


 少しの間動かずにいたちーこは突然振り向き、ぼくに水の入ったグラスを渡しながら、何も言わずに空いた手でぼくを強く抱き締めた。


「どうしたのちーこ。痛いよ」


 別に。何もない


「痛いよ。ベルトが当たってるって」


 今日ベルトなんてつけてないよ


「だって、じゃあ、この硬いのって」


 ばか。わかってるくせに。


「えっ、ちょっと待って」


ねえ、我慢できないかも(ここでタイトルに戻る)

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