3(全面改訂)


 奇妙な契約の後、丸三日間歩き続けてようやく森を抜けた。

土地勘がないためテオに頼りきりの道中だが、服装や言語の訛り、それから種族の比率などを見ていれば、大体南を目指しているらしいことはなんとなく察せられる。


 グランネーヴェの気候風土は実に簡明で、峻峭なノルデンベルク北方山脈がまたがる北の地は極寒の永久凍土。

ザフ村の位置より少し南に下がった西域ヴェストはノルデンベルクの寒風にさらされながらも辛うじて農作業が可能な常秋の地域。

対して狼種のシェーンヴァルツが位置する東域エストには肥沃な土壌が広がり、農耕の盛んな豊かな地域だ。かつて人間の王が大陸統一を試みた時、真っ先に東の諸種族に協力を要請したというのも頷ける。


そして南域スュド

四つの地域の中で最も文化の混合が進み、かつ土着の種族の個性がうまいぐあいに味を出している魅力的な土地と呼ばれる南域は、唯一流氷のない海が見られることでも有名だ。船は木造でも難なく航行でき、雨季の嵐を除けば最も暮らしやすい土地といっていいだろう。


「さっきまでいた森はグランネーヴェ西端部、遺跡の森ルイーネヴァルツの端っこだ。これから南に抜け、ガザ地区を目指す」

「そのあとは?」

「ガザは港湾都市だ、必然的に物が集まる」


狼種の領土は遺跡の森からちょうど大陸をはさんで正反対に位置する。旅はいろいろと物入りだ、ここでたくわえを補充しておきたいというところか。


(もっとはっきり喋ればいいものを)


 口下手なのだろうか、テオ=シュタインという少年はひどく物言いが雑だ。

出会った当初は混乱もあって特に気にすることもなかった彼の態度だが、次第に気にかかるところが増えてきた。

―――しかし気にしたところで無意味かとも思う。

彼の目的はシュネーを一族のもとへ無事に連れていき、厄災とやらの対処をさせること。そして自分の目的は、目下魔女であることを隠して生き延びること。

聖判に見表された魔女がそのあとどんな扱いを受けるかは、テオから聞いた。言わずと知れたむごたらしい死が待つのみ。

正直まだ魔女としての自覚はないし、厄災どうこうといわれても今の自分にはなすすべがない。とりあえず彼が自分を傷つける気がないことを逆手にとって、保身を図るだけの関係だ。そんな義務的な関係に、何か変化を加えることが必要かと問われれば、是とは答えがたい。


「ガザ地区を出た後は?」


ひとまず頭を切り替える。考えていてもきりがない。

(そもそも、私は彼とどう接したいの?)

手を取ったとはいえ、彼についてわからないことが多すぎる。はたして彼の言ったことを一から十まで信じてもいいものだろうか?嘘をついている可能性は?

厄災なんて聞き覚えがない。でっち上げの話で、本当は人間のもとへ連れていこうとしている?

―――気持ちに余裕が出てきたとたんにこれだ。

疑心暗鬼が過ぎる自分の性格が嫌になる。自分はこんなに嫌な女だっただろうか。

(でも)

一つだけ信じられるのは彼についていくと決めた自分の直感だ。

人間を語るテオの目に浮かんでいた憎悪を本物だったし、厄災の話はリリーからも聞いていた。今さらじたばたみっともなく足掻いてもどうにもならない。

(私は、私を信じる)


地図とにらみ合いを続けていたテオが顔を上げ、歩き出す。


「ガザを出た後は、南路をとる。獅子レーヴェ領、そこからアドラー領を通過して美しい森シェーンヴァルツへ向かう」

「そう」

「最近は各種族領の境界沿いで緊張状態が続いている。正規の方法で関所は通らないから、できるだけ目立つようなことはするな」

「努力する。……緊張状態って、なに?」


一瞬テオのこめかみあたりがピクリと動いた。

しかし質問には答えずにただ黙々と歩を進める。仕方がないので周りの景色を眺めながら歩いた。

―――この街は、まるで廃墟のような場所だった。

灰色の膜がかかっているように、全ての建物が色あせて見える。ふきあげる砂塵も灰色、空も曇天。砂を踏む二人の足音だけがこの世界で唯一生きているものといってもいいほどに静まり返っている。


ふと、脇の建物に掲げられた看板に目が留まった。


『クシュ地区二番街』


「クシュ地区……」

思わず口に出して呟くと、厄災に破壊された街だろうとテオが口を開いた。

(こういうことには自分から答えてくれるわけね)


「厄災は、全ての生気を根こそぎ奪っていく。活気も、雰囲気も、歴史も。栄えることを断じて許さないとでも言いたげに」

「ここにいた住民は?」

「さあ。死んだか、どこかに収容されたか。それとももともと廃墟だったか」

「収容?」

「厄災に呑まれた生き物の中で、時折稀に生き残るやつがいる。だが正気を失っている。だから、家族が生き残っていれば保護する。人間に見つかれば、施設に収容されて、厄災研究の素材にされると聞いた」

「厄災の、研究」


厄災をどうにかしたいのは人間も同じだからなとテオは語る。

(誰かの怨念が凝って具現化したものが、厄災。恨む誰かに害をなす、そして時折暴走して生前の身内をも襲うようになる)

シュネーが厄災について知る知識をつなぎ合わせると、このクシュ地区の付近で誰かの強烈な怨念が凝ったということになる。


すると突然、テオが緊張感もあらわに立ち止まった。

「ちっ、噂をすればってのは本当らしいな」

「え……?」


同じように立ち止まり彼の見つめる先をシュネーも見晴るかす。

もうもうと景色を覆いつくす砂塵の向こうで、何かが蠢いた。輪郭の朧げな、黒い――


無数の黒い燐光をまといながら、ずず、ずず、と炎がゆらめくようにこちらに向かって移動してきている。


厄災だ、とテオが押し殺した声で囁いた。

(厄災)

あれが。


一度見たら二度と忘れないような風体だった。遠く離れたこの場所でも、厄災のはなつ負の気配がじわじわと心をさいなむかのようだ。悲しい、悔しい、憎い、そんなところ。


『オォ――――――――ォ……ン』


黒い炎が一度大きくゆらめいて、悲し気な咆哮を上げた。

厄災の上部から炯炯と光る青白い炎が目のように細められ空を仰ぐ。

聞く者全ての心を凍てつかせるかのような、哀切で恐ろしい声音。

シュネーは双眸を見開いてそのモノを凝視した。


(あれは……)


ちっ、とふたたび近くでテオの舌打ち。

ぐい、と手を引かれた。


「逃げるぞ、まだこっちに気づいていない」


返事をする前に引きずられるように駆けだす。粉塵をかき混ぜて廃墟の路地に駆け込み、がむしゃらに奥へ奥へを目指した。先ほどの厄災が向かった方向と、できる限り真逆の方へ。

打ち捨てられ、埃にまみれた古紙を踏んだ。

窓辺に飾られた色あせたぬいぐるみを見た。

路地に落ちたままの靴の横を駆け抜けた。

死んだ生活の跡がある。

生きている時よりも生々しく、強く訴えかけるように目に映る。


ふと路地の先が開けた。

古紙の色をした光の中に飛び込むと、枯れた街路樹の立ち並ぶ大通りが広がっていた。テオが首を左右にめぐらして、あてずっぽうに右へと駆け出す。


「待って!」


右へ進路を取ったとき、どうしようもなく嫌な予感がした。

胸の鼓動がうるさいほどに肋骨を打つ。眉根を寄せ、眉尻を下げ、青い目を行ったり来たり忙しなく揺らめかせながら、シュネーは顔を上げてテオを正面から見つめた。


「だめだ、前の裏路地に入ろう」


訝し気にテオの眉が顰められる。伝わらないもどかしさを抱えてシュネーが今度は彼の手を引いた。


「右に言ってはだめ、絶対に何かが起こる」

「おい、お前そっちはさっきいた場所の方向だぞ!」


抵抗するように足を踏ん張る彼を睨みつける。

厄災は移動していた。今にもここに現れるかもしれない。

そしてその出現は、大通りを右に進めば間違いなく怒るだろうと直感で信じられた。


「いいから――――…」


舌打ちしたテオが裏路地からシュネーを引っ張り出す。

(なんて頑固な自信家なの!)

抵抗しようにも獣人の腕力にはかなわない。髪を振り乱してシュネーは路地からまろび出た。そのままぐいと手を引かれる。


「だから、だめだって!!」


聞き入れようとしない彼に怒りのこもった顔を振り上げて―――厄災と目が合った。

(――――――!!)

炯炯と光る青と目が合った瞬間、背筋をぞっとする者が滑り落ちた。


「逃げて!」


転びかけていた勢いを利用して咄嗟にテオの体を引っ張り自らも横に身を投げ出す。

硬く冷たい感覚が肩に触れたと同時に、先ほどまで二人がいた場所を鋭く伸びた厄災の腕が打ち砕いていた。

石畳の破片が頬をかすめる。愕然と目を見開いたテオだったが、瞬時に状況を理解してシュネーを抱えて後ろに跳ぶ。直後二撃目が石畳に直撃した。


「くっそ…」


しゅるりと狼の姿に変身したテオは、大きく身をたわめると、空に向かって大きく咆哮を上げた。尾を引くと覚えが大気を轟かせる。厄災の目がこちらをとらえる。

地面に投げ出されたシュネーはなすすべなく狼が地を蹴って厄災を威嚇するのを見守った。

しかし、確固とした形を持たず炎のように揺らめく厄災は物量のある狼にとってこの上なく相性が悪い。噛みつけども減るわけではないのだ。血も流さなければ悲鳴も上げない。ただすべてを凍らせるような冷淡な目で小さな生き物を睥睨するのみ。

ついに厄災の腕にはじかれて狼が地を滑った。埃を巻き上げそば近くの建物に衝突する。

(!!)

血の気が引く。厄災の触れた狼の腹が、青黒くただれている。

闘志を眼光に宿してなんとか首をもたげるが、それも埃まみれで頼りない。

「テオ!」

叫んだ瞬間厄災がこちらを向いた。

探るように無数の腕を揺らめかせ、ずず、とシュネーに向き直る。

反射で一歩下がる。


(これが、厄災。ザフで噂され、狼種領を蝕む、これが―――)


逃げるべきだと分かってはいるのだが、どうしてかゆらゆらと炎のように揺らめく青白い目から視線を離せなかった。何かを語りかけるようにこちらをじっとのぞき込んでくる厄災と、なすすべなく対峙する。こちらを検分するような、不思議そうな眼差しだった。やがて一本の腕がシュネーに向かって伸ばされる。

首筋近くに回ったとき、ひやりとした。


「馬鹿野郎、下がれ!」


どこからともなく飛来したがれきがしたたかに厄災の腕を打ち据える。

はっと我に返ったシュネーは本能的に跳び退った。


近くで触れて確信した。厄災の持つ負の感情の凍てつく恐ろしさ。

(まるで呪いだ)

世界の万物を呪いつくし、滅びてしまえと謳い続ける空恐ろしい怪物―――

ちくりと胸が痛む。

全てを呪いたくなるほど、絶望を味わった者がいるから今この厄災はあるのだろう。それはいったいどれほどの絶望だろう。


しかしいくら哀れと思っても、今この瞬間、この厄災がテオを傷つけたことに違いはない。テオ=シュタインは、自分にとって何者だ?

ただ一族のため、シュネーを利用するためだけに旅をしているのは事実だ。

しかし彼の一族に手を貸すと約束した。なら、彼は迷う余地もなく自分の身内。

身内を傷つけた者は、相手が何であれ問答無用で敵だった。


唐突にシュネーは懐に抱えた魔女の骨の存在を思い出した。


テオの襲撃を退けた魔女の骨。それに宿った大昔の魔女の残留思念とその力。

耳の奥にザフ村の村人たちの声がよみがえる。


『魔女だ!』

(―――魔女だ)


一歩退いて背中が街路樹の鉢に当たる。そろそろとそれに手を這わせながらシュネーはゆっくりと立ち上がった。


(私は、魔女だ)


『正体不明の厄災に対処するため魔女の力がいる』


(魔女は、厄災を打ち払える?)


無意識だった。鉢に這わせていた右手が枯れた街路樹に触れる。目線は厄災の光る眼をとらえたまま、シュネーは右手に意識を集中させた。

街路樹と、自分の気を、つなぐ。

懐に入れた魔女の骨が服と擦れて、励ますように音を立てた。

自然の万物に訴えかけるための、はじめの段階は―――


『開放詞華』


声が響く。あの魔女の骨の声だ。自分の中で、眠りについていた清冽な光が呼び起こされてまろやかに渦巻く。慣れ親しんだあたたかな鼓動が体中を指の先に至るまでゆっくりと満たしていく。


「開放詞華」


そして花紋が一斉に咲き乱れる。

枯れたと思われた街路樹が息を吹き返し、青々とした若葉を天に突き上げる。若葉の鮮烈な緑が触れた右手を伝って精緻な花紋をシュネーの右腕に描き出す。

花紋は右腕から首へ、首から右頬へと伸びやかに蔓と花びらを開かせる。


驚いたように実体のない体を揺らめかせて微かに厄災が腕を引いた。

戸惑うように体を揺らす厄災の目を見据え、シュネーは丹田に力を込めた。


とっ、と地を蹴る。幹から淡い緑の光を伸ばして、厄災の側部に回り込む。

無意識に、本当に無意識に両腕を前に突き出した。

左手にも花紋が出現、そして―――展開。


蒼穹のブロイエ吹雪シュネーシュトゥルム


花紋がシュネーを中心として壁画のように広がった。淡く緑に発光し、厄災を取り囲む。

それはまるで、大地の底で眠りについていた神々しい何かが、花紋の亀裂の隙間から一挙に噴き出してきたかのようだった。無数の光の粒子が波のようにはためき、シュネーの号令を待っている。


大地と自分が花紋を介して一体化したような、壮大な驚きに胸を打たれた。

花紋の光を浴びて息を吹き返す焦土が、木々が、風が、雲間を割った陽光にひるがえる。

鼓動が早まる。これだ、この感覚。世界のすべてが生命力に満たされ輝く、その契機を生み出した高揚。この抑えられない感激と興奮を、自分は確かに知っている。


『呼吸を整えて、背筋を伸ばして前を見て――怖気づいてはだめよ』


誰かの優しい声が耳元で囁く。

さらりと明るい色の神がこぼれる音さえ聞こえるよう。


―――この花紋が収斂したとき、この厄災は地に帰る。

直感で悟った。しかし、やはりまだ厄災の目から視線を離せない。自分が消されるであろうことは厄災もわかっていように、ただ静かにじっとこちらを見つめてくる。視線を合わせたまま、思わず口をついて言葉がこぼれた。


「ごめんなさい」


瞬間、花紋が強烈に輝き収斂した。光と風の瀑布が押し寄せ大気を揺るがし渦を巻く。先ほどまで厄災の佇んでいた位置に巨大な衝撃が走った。


えも言われぬ断末魔の悲鳴が轟く。

女のような、少年のような、老婆のような、獣のような、正体のつかめぬ陽炎のような声が木霊する。光が溢れる、地面が揺れる。雲が裂ける。

最後に、また青白い光を見た。

シュネーを見つめて、首を傾げたようだった。

それからふっと柔らかく、笑った。

唐突に、厄災の青白い手に浮かぶ燐光は、不思議と自分の花紋と似ているなと思った。



手を交差させて踏ん張り続けること数秒、ふっと大気が軽くなる。

先程までの狂乱が嘘のように凪いだ時間がやってくる。しばらく厄災の痕跡を探すように石畳を眺め、やがてぎこちない動きで自分の右手を見下ろした。


(魔女の本懐だ。万物と、己をつなぐ、貴い術)


近くでがららっ、とがれきの崩れる音とうめき声が聞こえた。

ぱっと振り向くと、人型に戻ったテオが埃の粉塵の中から気だるげに身を起こすところだった。


「テオ」


駆け寄ると、かすって切ったらしい額の傷から血をにじませる少年の顔がこちらを向く。どこか放心しているようだった。


「大丈夫、けがは?」

「――お前、今のは」


 シュネーを振り仰いだ彼の双眸は、何かを見透かすように細められていた。

勘ぐるような、怪しむような、そしてどこか期待するような懐疑に満ちた瞳。

一瞬たじろいで、戸惑いもあらわに彼を見つめ返す。


「テオ?」


呼びかけた。ゆっくりと彼の瞳孔が見開かれ、やがて急速に力を失ったようにぱたりと落ちた。

うつむいたかと思うと、すぐに弾みをつけて立ち上がる。

たしかに見る限りは大丈夫そうだ。頭がふらつくのか、どことなく意識がおぼつかなさげではあるけれど。体もところどころ薄汚れているが、ただのかすり傷。

ぱんぱんとズボンをはたいて、身を起こしたテオは、一言何かを呟いた。


「―――った」

「えっ?」

「いや。助かった。礼を言う」


あと、すまなかったとテオは頭を下げた。


「悪い、謝った判断を下した。お前の言うことを聞かなかった。そのくせお前がいなければ死んでいた」


顔を上げたテオの気まずそうな金色の瞳と目が合う。仏頂面の彼にしては珍しく、あらゆる複雑な感情がその面にうずまいていた。

シュネーは自分も自分の身に起こったことがいまいち呑み込めていない状況ながら、いや、と手を振った。


「いいのよ、動転していたんだし、なんとかなったんだし」


しかしテオは首を振る。


「すまない、信用していなかったんだ」

「ええ?」


鼓動が一つ跳ねる。信用していなかった、誰を?言わずもがな、シュネーを。

目にかかった前髪を払いのけ、微妙な表情でテオはシュネーに向き合った。


「本能で、外のやつらは信用できないと疑ってかかる癖がある。信用できるのは一族だけ、仲間だけ、そして自分だけ。無理やり連れてきて言うのもなんだが、シュネー=アルト、正直お前も信じてはいなかった。だから、意地でもお前が行こうとする方向を信じなかった」


どこかで覚えのある感情だった。ちょうどクシュ地区に着いたころ、厄災に出会う前、シュネーも同じようなことを考えてはいなかったか。


『はたして彼の言うことを一から十まで信じてもいいものだろうか』


はっとする。

「だが、それで危険を呼び込んだ。疑ったあげく、お前を危険に巻き込んだ。悪かったと思う」


金色のまっすぐな眼差しがシュネーを見据える。

どうしてだか、今ここで初めて彼と目が合ったような気がした。

「正直まだ誰かを完全に信じ込むことは難しい、けど…シュネー=アルト、お前のことは信じる努力をしたいと思う。命を懸けて救ってくれた人間を、疑い続けるの

は無礼だし、どうにも性に合わない」


そう言って、彼は気まずそうに、不器用に笑った。

(―――…)


「そう、なの……」


自分でも驚くような呆けた声が出た。


「そう……」


なぜこんな言葉を繰り返すのかわからない。なんだろう、この感情は?

不思議?驚き、悲しみ、―――嬉しさ?


「ありがとう」


一言口から滑り出た。


「私も、あなたを信じていたというと、嘘になる。でも、そう言ってくれて―――信じる努力をすると言ってくれて―――嬉しいのかしら」


目を瞠る彼を見つめて告げる。


「だから、私もあなたを信じてみよう。信じる努力をしてみよう。そうすれば、いつか本当になると信じて」


知らぬ間に笑顔がこぼれたらしい。テオが息をのむ。

笑ったのなんていつぶりだろう。とても久しく、笑っていなかったような気がする。


改めてシュネーは右手を差し出した。今度は、自分から。


「あらためて、よろしく。テオ」


ぎこちなく、腕がのばされる。

すこしためらうように揺れて、次の瞬間ぱんっと小気味良い音が廃墟に響いた。

シュネーは少し目を瞠る。思ったよりもあどけない表情で、テオが佇んでいた。


「よろしく、シュネー」


旅は、順調な始まりを見せたと言っていいだろう。




***





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