麻薬酒

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麻薬酒

 電車を乗り継ぎ、半日以上掛かってこんな田舎の町までやってきたのは、ここで"麻薬酒"を飲めるという噂を同僚の高崎から聞いたからである。


 昨年末の忘年会で隣に座った高崎は、ガブガブとウーロンハイを飲みながら、俺に耳打ちをした。曰く、"青海村"という辺鄙な場所でしか飲むことができない麻薬酒という酒があり、それを飲むと、とてつもない快感を得られるという。高崎は薬の常習者で、色々な薬をやってきたそうだが、その麻薬酒はヒロポン並の一級品だと念を押した。俺はその場で携帯電話を使って"麻薬酒"と検索したが、それらしいページはヒットしなかった。怪しむ俺に高崎は「本当にヤバい情報なんて、ネットを探しても出てこないもんだ」と言った。

 バカらしいと思う反面、興味を持ってしまった俺は、村に行く計画をした。酒の席で近くにいた古谷も興味を持ったらしく、麻薬酒ツアーは二人になった。


 年も明け、暖かくなり、仕事も暇になってきたある週末、俺と古谷は青海村に向かった。早朝、市内のターミナル駅に着くと、古谷は大きなバックパックを背負って待っていた。日帰りにも関わらず、なぜそんな鞄を持ってきたのか、何が入っているのかと聞くと、土産を持って帰るためで、何も入っていないといった。


 JRに乗り、私鉄に乗り換え、二両編成の電車に揺られ、青海村市役所駅にたどり着いた時には正午を過ぎていた。自動改札機も設置されていない、さびれた駅。3階建て以上の建物は見当たらない。奥に見える青々とした山が、人間を見下ろしているようだ。


 高崎は「駅のすぐ近くのうどん屋に行け。そこの店員に聞けば、麻薬酒を飲める場所を教えてくれるから」と言っていた。駅舎を出て見回すと、コンビニの隣に木造の家があり、のぼりがたっている。近づくと、メニューの紙が貼られた台が置いてあった。

 ガタガタと音のする引き戸を開け、中に入ると、存外客が多い。二十ほどの席は殆ど埋まっており、駅前の静けさからは考えられないほどに活気に満ちていた。

「太郎!三番さんの料理は私が持っていくから、あんたはお客さんをテーブルに案内して!それと、次郎は五番さんに伝票!」

 女性店員の声が響き、やがて、太郎と呼ばれた少年がやってきた。黄色のTシャツを着て、首にはタオルを巻いている。少年はニコリともせずに、話しかけてきた。

「相席でも構わへんか?」

「はい、大丈夫です」

「二名さん、十一番、相席」

 俺は少年の迫力に思わず敬語を使ってしまった。案内されたテーブルには、二人の老人が座っていた。席に着き、ぐるりと店内を見渡して気が付いた。俺と古谷以外は皆老人の客だった。バックパックを壁に立てかけ、古谷は言った。

「平均年齢高すぎ。若い女の子はいないのか」

「店員のおばちゃんが一番若い子なんじゃないか」

 そんな軽口を叩いていると、少年が注文を取りにやってきた。麻薬酒について聞きたかったが、さすがに子供に聞くわけにはいかない。

「きつねうどんと、古谷は昆布うどん、だな、一つづつ」

「はいよ」

「それと、聞きたいことがあるんですが。あの女性店員さんを呼んでくれますか」

「何のためや?」

「込み入ったことを聞きたくて」

 少年は伝票に注文を書き入れて、厨房に向かって叫んだ。

「きつねと昆布!それとおかん!客が呼んどる!たぶん、酒のことや!」

 少年の声で、騒がしかった店が急に静かになった。テレビのワイドショーでタレントが話す声だけが店内に響く。回りの老人は全員、俺と古谷のほうを見ていた。目の前の老人二人は、うどんを啜りながら、こちらを凝視している。

 女性店員がこちらにやってきた。

「旅行の方ですか」

「はい」

「聞きたいこというのは、その」

「彼が言っていたことです」

「そうですか」

 女性店員があたりを見回すと、老人たちが目をそらし、さっきまでのように、また、しゃべり始めた。

「わざわざ来はったのに申し訳ないけど、お酒は切れてるんです」

「切れてるっていうのは、売り切れてしまったと」

「そもそも売って無いんです。みんな飲んでしもて、在庫が無いようになって」

 横の古谷が声を挟んだ。

「せっかくここまで来たのに、このまま手ぶらで帰るのもなぁ、吉野」

 古谷が俺の腹をひじで小突き、俺は頷いた。古谷は続ける。

「奥さん、酒蔵の場所だけでも教えてくれませんか?」

「行って何しはるんですか?」

「どんな場所かを見学したいんです」

「他所の人には場所を教えてないんです。それに、村のもんが飲むためだけにつくってるんで、大した設備もありませんし、見てもおもしろいもんはないですよ」

「外から眺めるだけです」

「堪忍してください。他にも観光する場所はありますから、案内所に行ってください」

「どうしてもだめですか」

「堪忍してください」

 そういうと、女性店員はお辞儀をして、厨房へ戻っていた。入れ替わりで、少年がうどんを運んできて、粗雑にテーブルに置いていった。

「遠路はるばるきたのに、そりゃあないよなあ」

 古谷はぶつぶつ言いながら、箸をわり、うどんを啜り始めた。俺もうどんに手をつけようと割りばし入れに手を伸ばすと、その手をギュッと掴まれた。目の前の老人だった。アトピーで真っ赤になった顔には、笑みが浮かんでいる。

「あの、何か」

「兄さんら、酒飲みに市内から来たんやろ。遠いところからご苦労なこっちゃなあ。せやけどな、明日香ちゃんが言うとったとおり、今切らしてるんや。昔は村のもんだけが飲んでたんやけど、最近は兄さんらみたいな他所もんが来るようになったからな。もちろん飲んでもろてもいいんやけど、仰山つくってへんから、すぐなくなるんや」

 アトピーの老人の手は、ところどころささくれていて、妙に熱を持っている。俺が手を引っ込めようとすると、ギュッと引き戻された。

「安土桃山時代に大名が青海山を切り開いて村をつくってから今まで、みんなで米をつくり、山菜を採って、暮らしてきた。青海山の水はびっくりするくらいに甘い軟水なんや。これが日本酒に合う。仰山湧いてるわけやないから、つくった酒を売るんは無理やけどな。ほれ、三木助、兄さんらに水を飲ましたり」

 隣の老人が鞄をごそごそと探り、ペットボトルを取り出した。そして、俺と古谷の湯飲みになみなみとついだ。

「ほれ、飲んでみ」

 アトピーの老人に従い、舐めるように水を飲んだ。はっきりと分かるくらいの甘味があり、口に含んでいると、舌がほんの少し痙攣する。

「こんな水飲んだことないやろ。この水で、兄さんらが飲みに来はった酒をつくるんや」

 古谷は水を全て飲み干して、言った。

「どうやって、そんな、麻薬作用のある酒なんて」

「知りたいか。兄さんらが時間あるんやったら、わしらが酒蔵まで連れて行ったるで」

「お願いします」

 老人たちの異様な雰囲気に圧倒されていた俺に対して、古谷は喜々として返事をした。俺は古谷の肩を掴んだ。

「おじいさんたちに迷惑だろう」

「遠慮せんでええで。老人は家でワイドショー見てるか、病院行くくらいしか予定あらへんのやからな」

 アトピーの老人は歯を見せて笑った。形の揃った真っ白の入れ歯に蛍光灯が反射して、きらりと光った。

「吉野、行ってみようぜ。酒蔵。面白そうじゃん」

 古谷は伝票を高く上げて、「お勘定」と叫んだ。少年が近づいてきた。さっきまで仏頂面だった少年が、ほんのわずかに、微笑んでいた。


 うどん屋を出て、近くにとめてあった老人たちのワゴン車に乗りこんだ。アトピーの老人は、運転席に乗り込み、歌謡曲を口ずさみながら、エンジンをかけた。

「30分くらいで着くわ」

 駅前を抜け、山へ向かう広い道をまっすぐに走る。他に走っている車は無い。山には黒い雲がかかり、今にも雨が降りそうだ。

 俺はアトピーの老人に声をかけた。

「青海村は合併の心配はないのですか。過疎で人が減っていくと、町の税収も減って、運営が大変なのではないですか」

「話が無かったわけやない。隣の中津原と何度も話し合った。せやけど、町や村がくっつくっていうのも大変でな」

「どういうところが」

「近くに住んでいても、何というか、考え方が違う。相いれんもんがある。それに、カネが無くて困ってるのは中津原だけで、青海は困ってへんのや。わしらの村は人口が増えとるからな」

「そうなんですか」

「出生率は減っとるけど、流入があるんや。まあ、年寄りばっかりや」

 助手席に座っている老人が笑った。喉がかれて、空気が漏れるような笑い声。

「金持ちのわしらにたかってくるんやから、気分悪い。それに中津原の連中も、しょっちゅう青海に来とる。麻薬酒を飲みにな」

 遠くでゴロゴロと雷が鳴った。

 道は僅かに傾斜しており、少しづつ山を登っていることが分かる。運転席のメーターを確認すると、速度は100km/時を超えていた。

 変な気分だった。

 車が揺れる度に、身体がふわふわと浮かぶようだった。身体の感覚が敏感になり、服が体に触れる度にこそばゆい。車の中にいるのに、エンジン音が遠くに感じられた。

 隣の古谷に「なあ」と小さな声で耳打ちした。このまま老人たちについていくのが不安だった。古谷からの返事は無い。ひじで小突いて、もう一度「なあ」と言ったが、返事は無い。肩を掴んで、強引にこちらに顔を向けた。

 古谷は目を見開き、口を開け、しゃっくりを繰り返していた。口から泡が溢れている。

 はっとして、前を見た。助手席の老人が目を見開いてこちらを見ていた。

 そして、急に視界が暗くなった。袋のようなものを被せられた。ワゴン車の後ろに人が乗っていたのだ。首が苦しい。腕で締め上げられている。腕に爪を立てて、振りほどこうとするが、力が入らない。ダメだ。そんな抵抗をしていると、いつのまにか、気を失った。


*


 声が聞こえる。歌だ。手拍子をしながら、たくさんの人が歌っている。


-風 吹き荒れ 雨が降りつぐ

  恋をなくした 男の背中


 笑い声。咳払い。また、笑い声。手拍子にのせた大合唱は続く。


-広い 荒野の果てを どこまで行くの

  孤独をかついで 時はむなしく流れ


 瞼を開けると、強い光が入ってきた。赤・青・黄・緑。良く見ると、折り紙のリングが、天井からぶら下がっている。フローリングの部屋に、パイプいすが円状に並べられ、老人が座っている。中央にはコーヒーテーブルが置かれ、一升瓶と、紙コップが置かれている。

 身体を起こそうとしたが、腕が動かない。椅子の肘掛けにテープで縛られている。

「兄さん、起きたかい」

 隣にアトピーの老人が胡坐をかいて座っている。手には紙コップを持っている。

「ここは」

「公民館の多目的ホールや。この建物の横に醸造施設がある。たった一個のタンクで酒をつくっとる」

 アトピーの老人はコップをあおった。

「兄さんはこれを飲みに来たんやろ。ほれ、飲めや」

 コップを差し出されたが、俺は首をそむけた。

「まず、腕のテープを外してもらえますか」

「それは無理や」

「なぜ」

「外したら逃げるやろ」

 手拍子の音が大きくなる。老人達の下手な歌声が耳につく。

 はたから見れば、老人たちのデイサービスだ。椅子に座り、皆で仲良く、歌を合唱している。しかし、これはパーティー会場だ。老人たちが薬をキメて、ハイになり、唾をまき散らして、気が狂ったように歌っているのだ。

 なぜ、俺はこんなところにいるのだろう。なぜ、椅子に縛られて、こんな場面を見せつけれているのだろう。それに、古谷は何処にいったんだろう。

「古谷は」

 という俺の声に間髪を入れずに、アトピーの老人が口をはさんだ。

「この酒を飲むんと、ヒロポンを打つんは、よー似とる。言うても、兄さんは知らんわな。ヒロポンいうのは、昔は誰でも買える薬やった。わしも昔、土方の仕事の合間に、トイレの中でやっとったわ」

 咳払いをして、紙コップの中に痰を吐き出した。

「せやけど、いつの間にか普通には買えん代物になった。危ない橋渡らなあかんし、とても安い給料で買えるもんやなかった。ヒロポンうったら、何もかも忘れて、身体が飛んでいくような気分になるんや。回りの景色が色鮮やかになる。少年の時みたいに。風が肌をはじいて、木が呼吸する音が聞こえてきて、胸がドキドキする。ついこないだのことみたいに。精通もしてへん。女を知らん。初恋の女の子にドキドキする」

 アトピーの老人は俺の腕をつかんだ。

「わしの初恋は当時の村長の娘さんや。お転婆で、ほんまにカワイイ女の子やった。幼馴染やった。いつも二人で遊んでた。わしは彼女が好きやったし、向こうもわしのことが好きやったと思う」

 爪が俺の腕に食い込む。

「色んなところで一緒に遊んだ。山で、川で、小学校の教室で。それに、酒蔵で。彼女は木登りが上手やったから、いろんな所に登った。猿みたいやった。わしは下から、彼女のケツを眺めとった。『茂君、ここまで来れる?』言うて、ちょけてきたりな。可愛かった。せやけど、わしは震えてた。『みっちゃん、無理や。はよおりてき』て、何度も言うたんやけど、彼女はいうことを聞かん。しまいに、タンクまで続く橋の上で、日本舞踊を踊り出した。こっちを見ながら。笑いながら。『茂君見て、上手やろ』いうて、扇子持ってるみたいに、手をこうしてな。そんな、手ぶらぶらさして、前もみんと、踊るからや」

 アトピーの老人は、そらを見上げた。口元には泡が出ている。

「バシャンて大きな音がした後、水を叩く音が聞こえた。『助けて、助けて、茂君、助けて、助けて。』タンクの中で泣き叫んだ。彼女は泳がれへんかった。わしには、タンクに登って、彼女に手を差し伸べるなんて、できへんかった。『茂君、助けて、助けて、助けて。』やがて、声が聞こえんようになった」

 気が付くと、うどん屋に居た老人と、そのほか、三人くらいの老人が俺の回りを囲み、俺を見下ろしていた。

「次の日に、動かんようになった彼女を引っ張り出す時、作業している奴がびっくりしたんや。酒の匂いがせーへん。人間が腐ったような臭いもせーへん。タンクには水が入ってるみたいやった」

 一人の老人が、俺の口に一升瓶をあてがい、無理やり飲ませた。口から溢れても、次から次へと注がれた。俺は、息ができず、嗚咽を繰り返した。

「発酵の仕組みは、不思議で、恐ろしい。小さい酵母が新しいものを生み出す。人間の死体から稲ができるちゅう神話があるが、魂が抜けた人間の身体いうのは、特別な力があるんかもしれんな。しかも、若いやつや。年取ったらあかん。歳とった奴の死体はただの肉の塊や」

 俺は酒を飲みこむまいと、懸命に吐き出した。

「兄さんの連れの彼はギリギリ大丈夫や。まだ肌が水を弾くくらいの年齢やろ。鞄の中見させてもろうたんやけど、空の容器を仰山持っとった。麻薬酒を作り出す酵母をとりにきたんやろな。あほや。その酵母は、彼自身がつくるんや」

 回りの老人たちがゲラゲラと笑った。その笑い声が、脳に直接ぶつかるみたいに、大きな音で聞こえる。気持ち悪い。思考が定まらない。頭が朦朧とする。赤・青・黄・緑のリングが光輝いている。意識が体から分離するみたいだ。俺の身体が、見える。俺自身を見ている俺がいる。

「麻薬酒をつくるための餌は、ちょっと前までは、村の中で賄って来た。せやけど、若いやつが少なくなって、確保できんようになったから、外から連れてくるようになった。半年前くらいも、カップルがきよった。それで、男を逃がして、女を酒にした」

 俺の頭を、アトピーの老人ががっしり掴んでいる。赤べこのように、首がぐらんぐらんと揺れている。

「兄さんは街に帰ったらええ。ほんで必ず、次の餌を連れてこい。赤塚建設第二営業部の吉野君、われの使命はたったそれだけや。餌が来んかった時、話をどっかに垂れ込もうとした時は、兄さんが酒になる。それだけ忘れんかったらええ。それさえ守ってくれたら」

 俺の前に一升瓶が差し出された。

「毎年中元くらい送ったるわ」


 そのあと、俺は意識を失った。気が付くと、俺は街へ戻る電車の座席で寝ていた。俺の隣の席には箱詰めされた酒が置かれていた。

 箱には、金色で、古谷、とだけ書かれていた。

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