第5章『チャーリーの背中 5』

 マリネリス峡谷内に建設された階層都市は、いわば巨大な集落とも言うべき異質な空間だった。

 空のない、シェルターの壁に囲まれた居住ブロックは複数に分割化され、見回せば至る所に区画間を移動するためのリニアモノレールやエレベーターが通っているのがわかる。その様はまるで、重力下の大地に建てられたスペースコロニーのようだ。


「そんなに物珍しいか?」


 リニアレールを疾走する車両からアレックスが街並みを見下ろしていると、チャーリーが横に並んでそう言った。


「あ、いや……」

「一見窮屈に見えるかもしれないが、それでもここにはオミクロン様という秩序が存在している分、まだマシなほうだ。U3Fに不当な搾取を強いられるだけだった、昔に比べればな」

「わかるよ。僕も木星圏の出身だから、そういう世界は嫌ってほど見てきたつもりだ」


 アレックスは現在、オミクロンの計らいによってマリネリスの階層都市内を見学しているところだった。彼に言わせれば、『我々と火星をもっと知ってもらう必要がある』とのことらしい。敵の言葉に従うのはアレックスとて不本意ではあったが、寝床と食事を引き合いに出されてしまっては跳ね除けることなどできない……というのが、たったいま自身の置かれている現状である。

 そのような経緯から、アレックスは護衛兼監視役のチャーリー、サクラと共に居住区の駅へと向かっていた。彼らの他に、同じく基地内で時間を持て余していたエリー=キュル=ペッパーやテオドア=グニスも同行している。


「サクラも、キャラメル食べる?」

「ひとつ貰うわ。……ん、ありがと」


 少し離れた座席で女子二人に挟まれているテオドアを、アレックスはちらりと横目に見据える。人気ひとけのないガラガラの車両であるにも関わらず、彼はエリーやテオドアの元に近付こうとはしなかった。


「……っ」


 不意に、こちらを向いたエリーと目が合う。しかし言葉すら交わすこともできず、二人は気まずさから互いに視線を逸らしてしまった。ミリアやミドを失うことで生じてしまった亀裂は、それまでに深い。


 やがてモノレールの駅に到着すると、アレックス達は黒く汚れた大地へと降り立った。周りには墓石のようにそびえ立つコンクリートの建造物が延々と続いており、時おり怪しげな商人が出店を開いているのが見受けられる。

 お世辞にも裕福とは言い難いこの街並みは、質素な暮らしを強いられていた労働者コロニーの『ミスト・ガーデン』とも僅かに重なる。異なるのは、その場を行き交う人々の間に妙な活気が溢れていることだった。


(この人たちはきっと、独立運動という希望を糧に逞しく生きているんだ)


 オミクロンの真意はどうあれ、彼がU3Fに一矢報いるほどの戦力を纏め上げたというのは揺るぎない事実である。そして彼の見せた奇跡が、暗く閉ざされていた火星やコロニーの難民たちの心に光を与えているのだ。


(オミクロン……ルーカスは、大企業の御曹司という恵まれた生まれであるにも関わらず、弱者と同じ目線で世界を捉え、MPPを使って平等な世界を司る“神”になろうとしていた……)


 その結論は酷く早計で滑稽であると思うのは、今でも変わらない。そう判断したからこそ、アレックスはルーカスの望んでいた平和を否定したのだ。

 だが、例え理屈や方法論は異なれど、根底にあるのは両者ともに“永遠平和を実現したい”という子供じみた願いである。


(もしかしたら僕とルーカスは、似た者同士なのかもしれない……)


 そう思えてしまう自分につい嫌気が差してしまっていた、その直後のことであった。


「ねえ、君。大丈夫? キャラメル食べる?」


 狭い路地に座り込んでいた浮浪者らしき少女を見かけるなり、良心に駆られたであろうテオドアが駆け寄っていく。彼はズボンのポケットの中からキャラメルを一つ取り出すと、包み紙を剥がしてやつれた少女へと手渡した。


(まずい……!)


 アレックスはすぐにテオドアを連れ戻そうとするものの、すでに手遅れのようだった。

 路地の奥の暗闇から、次々と他のストリートチルドレンたちが現れては、テオドアに『自分にもちょうだい』と強請ねだり始めている。中には明らかに失業者の類であろう、ほとんど骨と皮だけの老人さえも子供に混じっていた。この事態を想定していなかったであろうテオドアは、持っていた包み紙を落として硬直してしまう。


「馬鹿な真似はよせ。……行くぞ」

「あっ……ボクは、その……ごめんなさい……」


 チャーリーに手を強引に引っ張られながら、テオドアはひどく落ち込んだ様子で群がる浮浪者たちへと背を向ける。

 軽率な行為を咎められはしたものの、テオドアのやったことは人として誇らしい感情に基づくものだ。彼は優しい心を持っていたからこそ、不幸な者に善意を振りまこうと思ったのだから。

 だが、“優しさ”だけではどうにもならないことだってある。アレックスは今まさに、世界の根幹に根差す摂理の縮図を目の当たりにした気がした。


(こんな光景を見てしまえば、“死の恐怖”を振りかざしてまで争いを終わらせようとしたルーカスの気持ちも、わかってしまうじゃないか……)


 そのような恐ろしい思念が頭を過ぎってしまい、アレックスは必死にそれを掻き消した。



 一発の銃弾が音速を超え、夜闇を切り裂いて飛ぶ。

 命中。被弾したソリッドが爆散していくのをスコープ越しに確認すると、息を吐く間もなく次の標的へと照準を合わせて再びトリガーを引いた。

 これも命中。遠望に見える全ての敵機を掃討し終え、操縦者はようやく安堵の息を漏らすことができた。

 だがそこへ、抜き打ちとでも言わんばかりの警告音アラートが鳴り響く。


「──しまっ……!」


 数秒遅れで反応した頃には、すでに横から接近してきたソリッドの銃撃を思いっきり浴びてしまっていた。

 全天周囲モニターをモノクロの砂嵐が覆い、シミュレーションの終了を表すブザーがけたたましく鳴り響く。しばらく口を開けて唖然としていた後、ミランダはぐっと押し寄せてきた疲労感に負けて背もたれへと寄りかかった。

 彼女はマーク=ジェイコフの指導のもと、数時間ぶっ続けでシミュレーターによる過酷な訓練に殊勝にも精を出している。しかし、三日三晩でまともに動かせるようにまでなるほど、DSWの操縦は甘いものではなかった。努力とは裏腹に著しくないシミュレーションの分析結果を見て、ミランダは深いため息を吐いてしまう。


「ほう。俺の見込んだ通り、やっぱりお前には才能があるようだぜ」


 マシンの扉が開けられ、それまでモニター越しにシミュレーションの様子を眺めていたマークが悪い笑みを浮かべて言った。


「……それ、おちょくっているようにしか聞こえないです」

「そう不貞腐れるなって。まあ、まだまだ実力が足りてねーっつうのも事実なんだけどな」

「やっぱり馬鹿にしてるじゃないですか」


 如何にも年頃の少女らしい反応にマークは声を上げて笑うと、半身を乗り出して画面上に表示されているデータ群を指差した。


「んなこたぁねーよ。見ろ、確かに撃墜数も反応速度も基準値以下だが、射撃精度だけは素人にしちゃあ、ずば抜けて高い数値を叩き出してる。こいつぁひょっとしたら、いいスナイパーになれるかもな」

「それくらいしか出来そうにないですもんね、この結果だと」

「あのなぁ、ガラにもなく褒めてんだからちったぁ喜べよ……」


 マークは呆れた様子で後ろ首を掻くと、真剣な表情でミランダへと説き始める。


「いいか。狙撃っつうのは、お前が思っている以上に複雑な要素で成り立っているモンだ。単なる的当てなんかじゃねえ」

「……? そりゃあ気温とか気圧とか、風の流れなんかも考慮しなきゃいけないんでしょうけど」

「それもあるが、俺が言っているのはもっと精神的なことだ。集中、恐怖、油断、動揺、愉悦、狂気、覚悟……そういった心の動きが照準にまで作用しちまうのさ。それを踏まえた上で、“狙撃を成功させるのに理想的なメンタルコンディション”ってのはどういう状態かわかるか?」


 問われ、ミランダは間髪入れずに答える。


「“全くの無心”」

「その理由は?」

「心の動きが照準をブレさせてしまうなら、何も考えなければいい」

「ちと極端だが、まあ正解だ。もっとも、心の制御なんていう真似は口で言うほど簡単じゃあねえ。大抵の人間は、何ヶ月何十年という訓練を経てようやく身につけるような技術スキルだ」


 『だが』と、マークは口元の無精髭を撫でながら告げる。


「その点でお前は感情を押し殺し……いや、切り離して引き金を引く術を最初から身につけているようだった。こんな資質を持っている奴は、きっと世界中を探し回ってもそうはいねぇ。さしずめ、“生まれながらの暗殺者”ってところか」

「なんか聞こえが悪いですけど……一応、褒め言葉として受け取っておきます」

「バカヤロウ。今のは悪口だ、素直に受け取るんじゃねぇ」


 理不尽なことを言われて文句を言いたげなミランダであったが、その気も失せるほどにマークは心配そうな眼差しをこちらに向けていた。


「……過去に、何かあったんじゃあねえのか。そうでもなきゃ、こんな芸当ができるとは到底思えねぇ」


 言われ、ミランダは少し考えた後、悪戯っぽく微笑みながら答える。


「ただのですっ。私、女の子ですから」


 わざとらしく艶っぽい声で言うミランダに、マークは不覚にも動揺を覚えてしまっていた。顔中から汗が噴き出し、全身の血流が熱を帯びながら下へと向かっていくのがわかる。

 より掻い摘んでいうと、ムラッときていた。


「……ところでミランダちゃん、後でオジさんの部屋に来ない? 何ならお小遣いもあげちゃ」

「ぶん殴りますよ?」

「ハハ……、冗談だよ」


 この様子だと、どうやら男としては完全に見限られているようである。

 愛想はいいが可愛げのない弟子にフラれてしまい、少し本気だったマークは残念そうに肩を落とした。



 アレックス達がチャーリーやサクラに案内されて連れてこられたのは、階層都市居住ブロックの一角にある集合住宅だった。

 肩を寄せ合うように建てられたコンクリートの家々は、限られた土地を有効活用するために一切の芸術性を排したような外観をしている。その隅にある一室のドアをチャーリーがノックすると、エプロン姿の綺麗な女性が出迎えてくれた。


「いらっしゃい、みんな。さあさ、上がってちょうだい」


 了承を得た一行はそのまま室内へと入っていく。通された窮屈なリビングに家具は申し訳程度しかなく、ひびの入った壁や荒れた木製のテーブルが妙な生活感を放っていた。おそらく女性の娘だろうか、テオドアと同じか少し年下くらいの内気そうな女の子が、部屋の隅から怪訝そうな眼差しでこちらを見ている。


「初めまして、エリー=キュル=ペッパーと言います」

「僕はテオ。テオドア=グニス」

「アレックス=マイヤーズです」

「エリーちゃんに、テオ君に、アレックス君ね。私はエルシャ=ムグン、この子は娘のレミーナよ。ほら、ちゃんと挨拶して」

「……どうも」


 レミーナは恥ずかしそうに小さくお辞儀をすると、そそくさと母親の後ろに隠れてしまった。どうやら少し人見知りの激しい性格らしい。

 そもそもアレックスらがこの家を訪れることになったのは、今日中に元コスモフリートメンバー全員分の寝床を確保するのが難しいという理由からだった。そのため、今夜はムグン宅に泊めさせてもらうこととなっている。チャーリーやサクラはこの親子と面識があるようだったが、初対面のアレックス達にとってはまるで留学生のするホームステイのように感じられ、少しそわそわしてしまっていた。


「遠慮しないで、くつろいでくれていていいのよ。すぐに御夕飯の仕度をするから、レミーナも遊んでもらってなさい」

「お願いします、エルシャさん。じゃ、サクラお姉ちゃんと遊んでよっか!」

「……チャーリーがいい」

「ああっ、ちょっと!」


 レミーナは相手をしようとしていたサクラをすり抜けて、くつろいでいたチャーリーの膝へと座る。どうやらレミーナは彼の膝の上がお気に入りのようで、座られたチャーリーも仏頂面のまま動じないのが、側から見ているとかなり可笑しく感じられた。


「なんか、意外ですね……。チャーリーさん、子供に懐かれるタイプだったんだ……」


 エリーが率直な感想をこぼす。アレックスも同じことを考えていた。

 実際にチャーリーは特に嫌がるような素振りを見せることもなく、レミーナの小さな頭を撫でてやっている。別に子供が苦手というわけではないらしい。


「チャーリーはさ、相手が子供でも下に見たりはしないからね。無口だし愛想もないからわかりにくいけど、根は結構優しいんだよ」


 サクラが何故か自分のことのように誇らしげに言う。しかし二人の様子を見守る彼女は、嫉妬しているのか少しだけ頬を膨らませていた。

 そんな素っ頓狂なやり取りを皮切りに、エリーやテオドアも緊張を解いて思い思いの時間を過ごし始める。まるで本物の家庭のような暖かさの輪が広がっていくなかで、アレックスだけが取り残されるような錯覚を覚えた。

 その胸中を察したのか、エリーが不意にこちらを向いて口を開く。


「あ、アレックスも……」


 だが、その言葉が届く頃にはもう、アレックスは身を翻してキッチンの方へと向かっていた。


「エルシャさん、僕も手伝いますよ」


 まるでエリーから逃げるように、アレックスは言った。

 なぜこのようなことをしたのかは、自分でもわからない。ただ、自分には彼女の優しさを甘んじて受ける価値などないと、考えるよりも先に体が拒絶反応を示してしまったというだけのことである。


「それは悪いわ。あなたたちはお客様なわけだし……」

「いえ、気にしないで下さい。手を動かしていた方が僕としても気楽ですし」

「あら、そう? じゃあ、この野菜を切るのをお願いできるかしら」

「任せてください」


 アレックスはエルシャに並んで台所に立つと、渡された芋や人参に包丁の刃を滑らせていく。トントンとまな板が奏でるリズミカルな音を聴きつつも、鍋で何かを煮込んでいるエルシャから話題を振られれば、ロボットのように受け答えていった。


「ところで、アレックス君達はどこから来たの? 見た感じ、火星出身ってわけじゃなさそうだけど……コロニーの人かしら?」

「木星です。木星圏第1番コロニーの『ミスト・ガーデン』。ここからだとかなり遠いところですけ……ど……」


 出身地を口にした途端、ほんの一瞬だけエルシャの手がピタリと止まったような気がした。

 何かまずいことを言ってしまったのだろうか。すぐに話題を変えるべきだと思い至ったアレックスは、この家に来てから密かに気になっていたことをエルシャに訊ねた。


「失礼ですが、旦那様はどんな仕事をされている人なんです? 少し帰りが遅いみたいですけど……」

「夫はね、もういないの。ちょっと前に戦死してしまってね」

「えっ……?」


 なぜこんな愚かなことを聞いてしまったのだろうと、アレックスは数秒前の自分の発言を恥じる。すぐに謝罪をすると、エルシャは困ったように笑ってそれを許してくれた。


「気にしないで! 私こそ、変なことを言ってごめんなさいね……? パイロットだもの、そういうこともあるわ」


 それを聞いて、なんて大らかな人だろうとアレックスは思った。

 いや、彼女は明らかに無理をして笑っている。きっと娘を守らなければいけない母親だからこそ、涙を見せるわけにはいかないのだろう。この人は強い女性なのだと、アレックスは思わず感嘆の息を漏らした。


 だが、次に続くエルシャの一言が、今度はアレックスの心臓を抉ることとなる。



「夫が最後に就いた任務も、木星圏での作戦だったの。……



 その言葉が脳髄へと到達したとき、雷光が落ちたような衝撃を受けた。

 

 エルシャ=ムグンの夫であり、レミーナ=ムグンの父親だった火星出身の男は、戦場において亡くなったという。

 インデペンデンス・ステイトの兵士──それもパイロットだった人物が、木星圏において戦って死んだだと?

 少なくともアレックスが『ミスト・ガーデン』で生きてきた17年間において、木星圏での戦闘はピージオンを巡るあの事件以外に例はない。おそらくエルシャの夫もその時に殺されてしまったのだろう。


 まだだと決まったわけではない。

 だが、可能性がないとも言い切れない。




「アレックス君!? いけない、血が出ちゃってるわ……!」


 エルシャに言われ、無意識のうちに包丁が指の皮を切ってしまっていたことにようやく気付いた。きっとショックで茫然としている間に刃が触れてしまったのだろう。そこまで大した怪我ではなかったが、心配したエルシャはすぐに部屋の奥へと救急箱を取りに行ってしまった。

 離れていく彼女の背中をぼんやりと見つめながら、アレックスは荒くなっていく動悸を必死に整える。


(こんなことが、こんなことがあるなんて……!)


 あまりにも数奇な運命の巡り合わせ。

 これが神の悪戯だというのなら、なんて惨たらしいレールを敷いてくれたものだろう。

 あるいは、これこそが神を気取る道化オミクロンの与えし試練だとでも言うのか。




 目の前にいる女性の配偶者は、ザブー=ムグン──すなわち、アレックスがDSWという力によって命を奪った最初の人物。

 その者の名を知っていたわけではなかったが、彼を殺してしまった時の血生臭い感触は今でも鮮明に覚えている。


 アレックスは今まさに、自らの手で引き裂いた母娘と対峙していた。

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