Vol.03 エピローグ『交差する裏切り者たち』

「ご苦労様でした。ゆっくりと休んでください」


 無事着艦したミリアがコックピットから降りると、待っていたのはアーノルドからの労いの言葉だった。

 だが、それらがミリアの耳にまで届くことはない。彼女の意識は、戦闘中に聞いたある男の声に囚われてしまっていた。


(アレックスはあの時たしかに、『父さん』と言っていた……)


 そんなはずはない、あんなところに彼がいるはずがない。と、ミリアは必死にその事実の受け容れを拒む。しかし、ピージオンとの間に割り込んできたあの敵機の爆発する光景が脳裏にフラッシュバックすると、何ともやるせない気持ちになった。


(死んだ……。私が、殺したんだ……)


 別にこれが初めての殺人だというわけではなかったが、改めて思うと胸が締め付けられるような感覚に襲われる。

 無理もない。彼女はほんの数週間前まではただの少女であり、たとえ心が変わろうとしていても、肉体がそれに追いついていなかった。

 ぞくぞくとした悪寒が止まらず、つい膝をついてしまう。滝のように汗を噴き出し、荒くなる一方の息をなんとか整えようとしていたとき、背後から妖艶な少女の声が舞い込んで来る。


「立ちなさい、ミリア。これはあなたが選んだのではなくって?」

「ファリス……ちゃん……」


 こちらを見下ろす彼女の赤い瞳は恐ろしいほどに冷たく、しかし思いやりの心があるようにも感じられた。良くも悪くも、彼女は自分を現実と向き合わせようとしてくれている。

 遠い夢や理想ではなく、今ここにある地獄げんじつを。

 ミリアの生きる、世界げんじつを。


(そうだ。私がこの選択を望んだんだ)


 何よりも“自分”を守りたかった。

 だからこそ、守りきれるだけの力を欲した。

 その選択に後悔はない。後悔してはいけない。

 そうでなければ、これまで自分の奪ってきた命たちに示しがつかないから。


 のらりくらりとミリアは立ち上がると、ふと顔をアーノルドのほうへと向ける。


「ねえ、アーノルド。ナイフ貸してくれない?」

「ナイフ……ですか? 一応ありますけど……」


 ミリアが手を指し出して急かすも、アーノルドは困ったように苦笑いを浮かべるだけだった。


「うーん、困りましたねぇ……。あなたは兵士であると同時に囚人でもあるので、武器や危険物の与えることは禁じられているのですよ」

「じゃあ、ファリスちゃんに渡して」

「……? それなら構いませんが……。いやしかし、そんなことをしたら後でプレジデント様に何を言われるかわかりませんしねぇ……」

「では、妾からもお願いしますわ。ナイフを貸してちょうだい。さもないとお父様に言いつけますわよ?」

「ファリス嬢まで……いやはや、参りましたよ」


 とうとう根負けを認めたアーノルドは、腰に携帯していたサバイバルナイフを取り出すと、柄の部分をファリスへと差し出す。

 彼女が受け取ったのを確認すると、ミリアは自分の長い後ろ髪を手で束ね始めた。それを見て、ファリスもミリアの行おうとしていることを理解する。


「ファリスちゃん、お願い」

「わかりましたわ。では、いきますわよ」


 短いやり取りを交わし、ミリアがファリスに背を向けるように立つ。

 ファリスは空いている手でミリアの後ろ髪を抑えると、美しいブロンドの束へとナイフの刃を滑り込ませていった。

 黄金色の煌めきを帯びた繊維が花びらのように舞い、憑き物が抜け落ちてゆく。これまで自分の全身を縛っていた鎖が、音を立てて外れていくようだった。

 やがて刃が走り終え、短くなった髪が無重力でふわりと浮かぶ。ミリアの瞳に、もはや迷いの色など完全に消え去っていた。


「似合っていますわよ、ミリア」


 ファリスが惚れ惚れとして言う。ミリアは彼女のほうを向き直ると、「ありがとう」と素直な礼を返した。

 断髪を終えたミリアは、そのまますぐ側に佇む愛機“クリサリス”のほうへと歩み寄る。手を伸ばしてワインレッドの装甲を撫でると、理屈では言い表せないカタルシスにも似た喜びを得ることができた。


「これからもよろしくね、クリサリス。私のために……」


 今の彼女は、翅を得た蝶のように自由だった。



「どういうことなのだ、これは……」


 ラボラトリーのデスクで資料に目を配っていたルーカスは、深刻な表情で呟いた。

 彼の見つめるモニター。そこに映し出されているのは、それまで自分が存在自体を把握できていなかった漆黒のDSW。アレックス=マイヤーズの乗るオリジナルとは異なる、もう一機のピージオンだった。


「なぜ、このような機体が製造されている……? MPPを搭載した機体に、同型機など存在してはいけないというのに……」


 そもそも、この機体が現存していること自体がルーカスにとっては不可解であった。

 かねてより『マスター・ピース・プロジェクト』の根幹を担うピージオンは軍内でも極秘裏に開発され、存在を知る者もごく少数に限られている。無論それらはルーカスの管轄下にあり、開発プロジェクトもピージオンの完成と共に破棄させたはずだ。


 どこかで情報が漏洩してしまっていた……? それもルーカスの意図的なものではなく、計画の意志に背く第三者の手によって。

 思考を張り巡らせ、あらゆる可能性を模索していたその時、不意にラボの扉が開かれる。

 室内へと入ってきたのは、白衣に両手を突っ込んだキョウマ=ナルカミ。ルーカスにとって最も親しい友であった。


「キョウマ、緊急事態だ。どうやら私達の知らない何者かの手によって、ピージオンの同型機が製造されていたらしい」

「ああ、知っているとも」

「そう……えっ?」


 ルーカスは聞き返そうとするも、キョウマの指を鳴らした音によって遮られてしまった。その合図と共に、ドアから何人もの武装した人影が押し寄せてくる。

 黒い軍服に身を包んだ彼らは、U3F所属の兵士。それも、特務部隊の者たちだった。


「拘束したまえ」


 キョウマの指示により、兵達がルーカスを取り押さえるべく差し向けられる。あっけなく身動きを封じられてしまうルーカスだったが、彼はその間に一度すら瞬きすることなく、ただ呆然とキョウマの姿を見つめていた。

 今まで心の通じ合っていた──少なくともルーカスはそう思っていた親友の言葉が、今はまるで理解できなかったからだ。


「キョウマ……? これは一体、何のつもりだ……?」


 おそるおそる、訊ねた。するとキョウマは、いたって普段通りの薄ら笑いでそれに答える。


「見ての通りさ。ある方の命により、君を捕らえよとのお達しがあったのさ」

「命令……だと……?」


 それを下したのが誰であるか大凡の予想はついたが、それよりも受け入れ難かったのは、キョウマが誰かの指示に従って自分を売り渡したことだった。

 そして、ルーカスの考えうる中でも最悪のビジョンが頭をよぎる。


「まさか、あの黒いピージオンを作ったのも……」

「ああ、それも私だ」


 微塵も悪びれることなく、キョウマが言った。


「嘘だ……そんなことはありえない……。世界の秩序を司るMPPは、二つ以上存在してはならない……。お前も賛同してくれていたじゃないか……!」

「だが、それは君の“計画”においての話だ。だが、私のクライアントは2機目の製造を望んでいたのでね。もう一機のピージオン……いや、玉座とでも言うべきか」

「玉座……?」

「ああ! 君は知らないのだったね。もう一つの計画……『真のマスター・ピース・プロジェクト』の存在を」


 一瞬、おののきがルーカスの全身を駆け巡る。


 “真”……本当の『計画』だと?

 もう一機のピージオン? 玉座?

 そんなもの、私は知らない。


「まあ、君は神になるばかりか、掌の上で踊らされるだけの存在に過ぎなかった……ということだ。残念だったね」


 追い討ちをかけるようなキョウマの言葉が、ルーカスの心臓を穿つ。この言い草、もしかしたらこの男は、初めからそれを知っていて……。


「騙していたのか……私を。親友だと思っていたのは、私だけか……!?」

「人聞きの悪いことを言わないでくれよ、ルーカス。付き合いの長い君のことだ、私の性質くらい理解してくれているだろう?」


 言われ、ルーカスはこれまでの彼の日々を想い起す。すると、キョウマの言わんとしていることは自然とわかってしまった。

 この世のありとあらゆる知識の求道者、キョウマ=ナルカミ。彼は己の研究のためなら、どんな手段も厭わない男であった。


「まさか、大学での私達の出会いも……」

「ああ、世界の覇権を握るとも言われる大企業“LOCAS.T.C.”の御曹司ともなれば、資料や施設の確保をするのに都合が良かったからね。まっ、これが私なりの友人付き合いというものだ。友情に免じて許してくれたまえ、ハッハッハ」

「何が友情か……。人を裏切っておいて……!」

「裏切る? それは違うぞ、ルーカス。私はただ切り捨てただけだ。それに私はただ依頼された通りに2機目を作っただけであって、君の計画に関することは一切口外していないのだがね」

「何を今更……信じられるものか!」

「いいや、これは本当だよ。あくまで私の推測だが、君が計画に関係のない部外者にこれを話したんじゃあないか……?」

「私が、部外者だと……? そんなはずは……」


 そんなはずはない。そう否定しようとしたところで、言葉が詰まった。

 ルーカスの記憶の中に、該当する者が一人だけ存在していたからだ。


 フリージア=ノイマン。

 ルーカスと志を同じにする者として、彼女には例外的にMPPに関することを話してしまっていた。


 もし、彼女が告げ口をしていたのなら。

 これまでの交際も、彼女にとっては情報を聞き出すためのハニートラップに過ぎなかったのだとしたら。


「心当たりが、あったようだね」


 全くキョウマの言う通りであった。底知れぬ深い悲しみに落ちたルーカスは、そのまま力なく倒れかかる。


「連れて行きたまえ」


 キョウマの号令とともに、ルーカスを抱えた兵士達が部屋の外へと消える。

 かつて恒久の平和を実現しようとした男の末路は、酷く滑稽なものであった。



 インデペンデンス・ステイト火星基地。

 その司令官室に座すオミクロンは、形容しがたい不安感に表情を曇らせていた。

 ……いや、厳密にいえば彼の頭部は鉄の仮面に覆われており、その中身には表情を司る顔面も存在していない。だとしても、ルーカス=ツェッペリンJr.の人格データを移植された脳回路が疼いて仕方がなかった。


(定時連絡も途絶えている……、何かあったと見て間違いはないだろう。だが、底知れぬ悪が蠢いているようなこの悪寒はなんだ……?)


 顎に手を置きながら考え込んでいたそのとき、通信機器からこちらを呼び出す電子音が鳴り響いた。オミクロンはそれに応答するべくボタンを押すと、スピーカーからドロレスの凛々しい声が発せられる。


《報告します。ファントマイル強奪作戦は無事に完了、目標は捕獲することに成功しました。ただ、詳しくは追って通達しますがこちらの損害状況も著しく、このまま次の作戦を遂行するのは難しいかと……》

「了解した。では、“アルゴス”はただちに火星基地への進路を取れ。……連中の作戦も、そろそろ動き出す頃だろうからな」

《はっ! 了解です》


 オミクロンは通信を打ち切ると、椅子を立って窓のほうへと歩み寄る。ガラスを一枚隔てた向こうに広がっているのは、赤茶けた火星の大地だ。


(U3Fが企てている、“火星圏侵攻作戦”。ここも、間も無く戦場となる……)


 その大規模作戦や“アンチマター・リアクタ”の名はどれも、オミクロン──ひいてはルーカスの“計画”には存在していなかったものだ。自分の意図しているものとは別に、他の者が壮大な何かを企てているとでもいうのだろうか。


 少なくとも木星圏においてあの機体──ピージオンが大地に立った日から、様々な出来事があまりにも急速的に起こり過ぎているのだ。

 これは単なる偶然なのか。

 それとも、誰かに仕組まれた運命なのだろうか。


 今のオミクロンには、残念ながらその答えを知る術などなかった。ただ、行き場のない恐怖を振り払うように空を見上げる。


(帰って来るのだ、アルゴス。神の器、ピージオンと共に。火星へ……)


 日の沈んだ夜空の上で、一点の赤い光が輝きを放っていた。




Vol.03[Crossing Betrayer] 完

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