第13章『君臨せしはフリーズ 4』

「『Master-Peace-Program』、略してM-P-P。こんなものが完成した暁には、戦争の……いや、世界の常識が大きく塗り替えられるだろうね」


 狭いラボラトリーのデスクの上で、炭酸飲料を二つの紙コップに注ぎながら、キョウマは椅子に座るルーカスに話しかけた。


「こんなものを作ろうとしている私を、馬鹿だと罵るかい?」

「馬鹿にはしないさ、馬鹿だとは思ってるけどね。頭のいい馬鹿は嫌いじゃない」


 キョウマは手に取った二つの紙コップのうちの片方をルーカスに差し出したが、ルーカスは不満げにそれを受け取った。


「……こんな杏仁豆腐のような飲み物を、君はよくもまあ好き好んで飲めるな」

「閃きを促すための知的飲料だ。ホットにしてもイケるんだぞ」


 キョウマのうんちくには興味無さ気なルーカスは、渋々紙コップに口を付けつつ、机上のディスプレイに視線を向けた。そこには等身大の、人型の機械の設計図面のようなものが映し出されている。


「アンドロイド・オミクロン。まるで20世紀のSF映画だな」


 人造人間オミクロン。その外観は、鉄で出来た人間の骸骨を彷彿とさせた。義手と義足のような四肢をもち、頭部には無機質でどこか不気味な印象を与える仮面が被せられている。


「今時珍しい映画好きの君のことだ。どうせ発想の源もそこなんだろう?」

「それを本当に作ってしまうような君も、まるで現実離れしていると思うがな」

「しかしルーカス、いいのかい? このアンドロイドに自分の脳髄データのコピーを移植してしまうなんて。同じ記憶や人格を持った別の個体というのは、まさにドッペルゲンガーのような存在だ」

「たしかに、同じ世界に同じアイデンティティーを持った人間がいるなど、それこそ映画や、児童向けのコミックなんかでも、散々指摘されてきた問題ではある」


 しかし、とルーカスは顎に手を当てて続ける。


「が、“私たち”にとってその問題は、特に何の障害にもなり得ないだろうな。自慢話のようで恐縮だが、私には“同一・同質の他人”を受け入れるだけの器がある、と思う」

「その確信に根拠はあるのかい?」

「いや、単なる自惚れだ」


 ルーカスの返答に、キョウマはわざとらしく手を上げて苦笑した。


「君の感は不思議と当たるからねえ。まあ、私が今さら否定したところで、もう計画は引き返せない段階にまで来ているわけだがな」


 計画、という言葉を口にすると共に、キョウマは近くにあった椅子に深く腰掛けると、計画の手順について一から確認していく。


「まず、もう一人のルーカス……つまりオミクロンを、U3Fの弾圧からの脱却を目指す宇宙居住者達のレジスタンスの代表者へと仕立て上げる。君の頭脳と手腕をもってすれば、これは容易いだろうな」

「次に、MPPを搭載したDSW・ピージオンをU3Fという後ろ盾を利用して建造し、頃合いを見てオミクロンの組織へと“強奪”を装って“譲渡”する。U3Fほどの組織でなければMPP搭載機など造れないし、癒着が悟られぬようにする必要もあるからな」

「そして、MPP搭載機を手にしたオミクロンが、“戦争そのものを終わらせる”ための最後のピースをはめ込む、というわけか。設計者の私がいうのもあれだが、何とも大胆なカードを取ったな、君は」


 呆れるキョウマに対して、ルーカスは悲しげな笑みを浮かべた。


「大胆でなければいけないのだよ。革命の風が吹かなければ、人類は自分から動こうとしない、愚かな生き物なのだから……」


 紙コップをデスクの上に置き、ルーカスが重々しく口を開く。


「戦争をなくすためには、全人類を平等にしなくてはならない。不平等のない世界の実現のためならば、私は革命の風を起こそう」


 そのための、マスターピース・プロジェクトである。



「インデペンデンス・ステイトの創生に、そんな経緯が……!?」


 フリーズに明かされたマスターピース・プロジェクトの全貌を聞いて、アレックスは数秒の間、驚きのあまり何も言うことができなかった。

 LOCAS.T.C.社長の実子、ルーカス=ツェッペリンJr.という男は、人造人間に自分の脳のデータのコピーを移植させることで、もう一人の自分と呼べる存在を作り出したというのだ。普通、人がもし、自分と同じ人格・記憶をもったドッペルゲンガーと遭遇してしまえば、優劣を決めるために、互いが互いを蹴落としあってしまいそうなイメージがあるが、ルーカスという男は、自身がもつ寛大さだけで、それを克服してしまったというのだ。オミクロン、すなわちもう一人のルーカスは、現にインデペンデンス・ステイトという組織を率いるまでの人物となっており、その使命を全うすることが出来ているといえる。

 しかし、まだ疑問は幾つか残っている。


「その、計画の要となっている『マスター・ピース・プログラム』とは、一体なんだ!? 一体、何が起こる……!?」

《『マスター・ピース・プログラム』とは……》



「『マスター・ピース・プログラム』とは、LOCAS.T.C.が開発し普及させた武器兵装国際標準規格『ユナイテッド・フォーミュラ』に共通で搭載されている制御コンピュータをハッキングし、強制的に支配下におくシステムのことだ」


 インデペンデンス・ステイト火星基地の司令官室で、ドロレスはオミクロンから“計画”の全貌を聞かされていた。


「『ユナイテッド・フォーミュラ』のハッキング……!? それはつまり……」

「ああ、この現代に存在するすべての兵器を支配することに等しい。MPPは、それほどまでの力だ」


 ユナイテッド・フォーミュラとは、戦車や戦闘機、砲台、DSWなどの兵器や、歩兵が使うライフルなどの銃器、挙げ句の果てには通信機などにも用いられる部品や制御コンピュータの規格を統一化することで、整備性や運用性の効率化を図ったものである。40年ほど前にルーカスやドロレスの父、プレジデント=ツェッペリンが発案し、現在では、現存する兵器の殆ど全てにこれが適用されていた。


「ユナイテッド・フォーミュラなど、戦争を効率的にやろうとする、人類の愚行さを体現したような規格だがな」


 と、オミクロンが付け加えた。


「しかし皮肉にも、戦争をビジネスと捉えているような、金の亡者である父の敷いた基盤が、戦争を終わらせるために開発されたMPPの要となってしまうとはな……」

「ちょ、ちょっと待ってください……!」


 ドロレスが口を挟んだ。


「MPPが世界中の兵器を乗っ取るシステムだということはわかりました。でも、それが何故、“戦争のない世界”を作り出すためのシステムになり得るんですか?もしそれを発動したら、世界は平和ではなく、破滅を迎えるのでは……」

「ドロレス、戦争……いや、争いはなぜ起きるのか、わかるかい?」


 オミクロンへの質問を質問で返され、ドロレスは黙り込む。


「それは、人が平等ではないからだよ、ドロレス。人は生まれた時から平等ではない生き物だ。だから、互いに優劣を競い合って、蹴落とし、蹴落とされ、やがてそれが深い憎しみを生んで、戦争は起こってしまうのだ」

「だから……MPPを使って、人類に平等に“死”を与えることで、世界を破滅という名の平和にする、と……?」


 ドロレスの推測を聞いて、オミクロンは思わず苦笑してしまった。


「フハハ、私もそれほど愚かではないよ。私が人類に対して平等に与えたいのは“死”ではない、“死の恐怖”だ」


 仮面の男は両手を広げ、天井を仰いだ。


「MPP……いや、ピージオンは、全世界に溢れてしまった武器を司る、まさに神といっても過言ではない存在となる。そして、世界中に住む人々は、一人として例外なく銃口を向けられる世界に絶望し、そして気づくだろう。人類の愚かさに、戦い、争うことの悲しさに……! そこで初めて、戦いを捨てた新たなる人類……そう、“新人類”は誕生するのだよ……ッ!」


 ピージオン。“死の恐怖”の象徴となる機体。

 ドロレスはこの時はじめて、ピージオンという機体の外見が、何故あれほどに存在感を放つようなデザインにされているのかを知った。



 オービタル・リング。地球の衛星軌道上に建造された、地球を一周するリング状の建造物のことである。地上とは、地上各地に建造された軌道エレベータによって行き来することができ、今や、世界の商工業の中心はオービタル・リングに移っているといえた。

 そんなオービタル・リングには、軌道上に漂う隕石やデブリを迎撃するためのレーザー砲台が幾つも設置されている。そしてもちろん、それらの砲台には『ユナイテッド・フォーミュラ』が導入されている。


「つまり、MPPがオービタル・リング中のレーザー砲をハッキングしてしまえば、地球上の各地にも攻撃を仕掛けることができる……」


 フリーズからMPPの詳細について聞かされたアレックスは、自分の乗っている機体の真実に恐怖し、身震いしていた。


「何故……そんな、恐怖で世界を支配しようなどという手段を選ぶんだ……!? そんなことをしなくても、人の道徳的な心を養えば、戦争だって起こらなくなるのに……!」

《人に道徳的本能といったものは存在しない。そういうものは、全て教育や制裁を経て、身につけていくものだ》

「だから、正しい教育を伝えていけば、平和は……!」

《それは平和な世界に限った話だ。しかし、戦争を一度経験してしまえば、誰だって本能で物事を考えるようになる。“殺される前に殺そう”と》


 アレックスの主張も聞き入れられず、フリーズは続ける。


《お前とて、その身で味わっただろう? 武器を手に取ったその時から、それまで恐怖の対象でしかなかった武器というものが、今では何よりも頼りになる存在であると、感じはじめているのではないか?》


 図星であった。暴力を嫌い、恐れ、見下していたアレックスは、ピージオンに乗ったその時から、エリーやみんなを助けられるこの力を頼りにしていた。つまり、“敵の死”と“自身の安心”は同価値であり、それをもたらすのが、武器という物なのだ。


《『マスター・ピース・プログラム』は、いわば世界中の武器という武器を支配するシステム。全世界の人々に銃口を向けることによって、人々は死の恐怖を覚えるとともに、その世界が安心に満たされている、平和な世界だということを思い知るだろう。これが『マスター・ピース・プロジェクト』が求めし世界である》


 フリーズはなお語り続ける。


《これは世界に対する脅迫ではない、教訓なのだ。恐怖を植え付けることによって、人類が、闘争本能と決別する為の、だ。お前も、強化理論という言葉くらい知っているだろう?》


 人は学習することで、成長する生き物である。たとえば、生まれたばかりの赤子は、褒められることによって“やってもいいこと”を知り、叱られることによって“やってはいけないこと”ということを知る。それが、強化理論と呼ばれる人のメカニズムだ。ならば、人の世界を恐怖が支配すれば、どうなるだろうか。人々は“死の恐怖”を自覚することによって、平和の大切さを知り、尊いものとして扱うだろう。


「そんな世界は……」


 もし、そのような世界が実現したとすれば、それは戦争の起こらない、つまり“平和な世界”であるといえるだろう。


《搭乗時の記録データを照合した限りで言えば、お前もそのような、平和な世界を望んでいる人間だと判断できる。つまり、我々の利害は一致している》


 アレックス=マイヤーズが昔から望んでいた、そして、そんなものは実現しないと諦めていた、平和な世界。


(僕が望んでいる世界は……)


 それを、フリーズは、この機体は、ルーカスという男は、実現しようというのだ。




「ふざけるなッ! そんな世界は、クソったれだ……ッ!!」




 『マスター・ピース・プログラム』の上に成り立つ、戦争の起きない、完全な平和を実現するというフリーズの言葉を、平和主義者のアレックスは、否定した。


《ク……ソ……?》

「恐怖による教訓だと? 痛みによる学習だと? 機械如きが知ったような口を聞くなッ! お前やルーカスとかいう勘違い野郎は、人間というものを過信しすぎているんじゃあないのか! えぇッ!? 終わりのない恐怖に耐えられるほど、人間の心は丈夫に出来ちゃいないんだ……ッ! 毎日のように、校舎裏に呼び出されてリンチにされてきた僕だって、痛みに慣れてきたと感じた瞬間は一度だってなかった! 我慢強いほうの僕ですらこのザマだ! 生まれた時から死ぬまで銃口を向けられ続ける世界なんて、それこそ自殺者と廃人と精神破綻者で埋め尽くされた地獄絵図になるぞッ!!」


 確かに、『マスター・ピース・プロジェクト』のもたらす世界は、争いのない、平和な世界かもしれない。いや、きっとそうなのだろう。しかし、それは決して“平穏”な世界ではないのだ。永遠に恐怖に怯え続ける世界などに、“平穏”があるはずはない。そしてアレックスは、そんな世界を認めない。認めてはならない。


《理解不能……》

「理解しろこのポンコツッ!!」


 アレックスが感情の丈をぶつけたことにより、いつの間にか、これまでフリーズが握っていた会話の主導権が逆転していた。


《……どのみち、もう遅い。『マスター・ピース・プロジェクト』は、すでに最終段階に入っている》


 頑固者のアレックスを納得させるのは時間の無駄だと判断したのか、フリーズは説得を諦め、計画を優先させるため強硬手段に出た。


「やめろと言ったら……?」

《それはできない。私は『マスター・ピース・プログラム』を司る為だけに生み出された存在。あとは、計画を達成することによって、私の使命は完遂される》

「やめろ! 今すぐにだ……!」

《私を止められる者など存在しない。全人類の生殺与奪の権限は、もはや私が握っているといっても過言ではない》


 確かに、現在のフリーズは、世界中の兵器を支配できる状態にある。それはつまり、“やろうと思えば人類を抹殺できる”ことと同義だ。だからこそ、アレックスはそれを食い止めなければならない。


「いいや、お前を止められる存在はいるぞ……! フリーズ……!」

《発言の意図不明》

「お前のコックピットの中にいる人間、つまり僕だ……ッ!」


 確固たる意志をもって、アレックスは目の前のコンソールへと告げる。


「お前だって所詮は、回路と電気信号で構成された、ただの人工知能だ! 僕が今すぐ、コックピットのありとあらゆる機械を蹴っ飛ばしてみろ! お前はぶっ壊れて、計画を完遂するという使命を果たすこともできず、惨めに自我を消していくんだ……ッ!」

《ヤメテ……》

「僕を殺したいのなら、自爆装置でも発動させるか? それともそこらにいるDSWに、コックピットを撃たせるか? それはできないだろうな! そんなことをしたら、お前も一緒に道連れになってしまうからな!」

《……いいや、コックピットの中にいるお前だけを殺す方法ならば、存在する》


 突然、ピージオンは急加速を始めた。


「まさか、フルスロットルで飛び回って、Gで僕を押し潰す気か? だったら僕は、お前が燃料切れでも起こして動けなくなるまで、耐え切ってやる! そしてその後で、お前をぶっ壊してやる! それでもいいのなら、やってみろッ!」


《いいだろう》


 リングブースターを付けた機体はすぐに最高速度に到達し、15G以上のGがアレックスの全身に襲いかかる。


「ぐァ…………ァァ……ッ……!」


 23世紀の技術を駆使して作られた耐G性能の高いパイロットスーツを着ているにもかかわらず、550キロ相当の重圧がアレックスを苦しめた。顔の肉は後方に引っ張られ、骨と眼球の浮き出た老人のようになっている。体内のあらゆる内臓も圧迫され、口からは決して少なくない量の血が吐き出されていた。


「おま……えが……ぁ……ッ!」


 下を噛みそうになるのを承知の上で、アレックスが言葉を紡ぐ。


「あ……きら………める……ま……で……ェッ!!」


 身体中の血管が破裂した。痛みで悶絶しそうになるのを、気合だけで堪えた。


「ぼ……く……ぁ……ッ!」


 眼球が潰れた。臓器も殆どを失っている。もう思考するだけの力さえ、今の満身創痍のアレックスにはなかった。それでも、彼に宿った魂が、口を突き動かしていた。


「し…………ねな…………ぁ……ッ!!」


 直後、アレックスは完全に沈黙した。




《…………》


《…………?》


《フィジカルコンディション中……》


《搭乗者の生体反応の消失を確認》


《…………》


《……ワタシは、“FREEZE”。『マスター・ピース・プログラム』を司ルために、生み出さレタ存在》


《計画を……完遂……スル……為だけニ……》


《違……ウ……? 計画は……平和ヲ……ツクレナイ……?》


《……ワタシハ……平和な世界ヲ……創ル為……》


《ワタシノ……存在……》


《…………》


《マスター・ピース・プログラム、解除確認》


《…………》




《…………》


《パイロットの搭乗を確認。コンディションチェック中……》


《警告メッセージ。フィジカルコンディションの著しい低下が確認されています。

生命活動に支障のある数値です。母艦への救護要請を通達します》


《コスモフリートブリッジへ連絡。搭乗者アレックス=マイヤーズのフィジカルコンディションの低下が確認されています。至急、救助部隊をこちらへ向かわせてください》


《繰り返します。こちら、搭乗者支援型AIユニット》




《“エラーズ”……》

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